渋谷川に沿って恵比寿駅から天現寺橋を目指す。駒沢通りを歩くと渋谷川同様に少し右に曲がりながら天現寺橋の大きな歩道橋が見えてくる。
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左側には大きな都営アパート、元はここに都電の広尾営業所(車庫)跡地に建設されたもの。
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広尾車庫は1914年に開設、廃止前は7(四谷三丁目〜品川駅前)、8(中目黒〜築地)、33(四谷三丁目〜浜松町1丁目)、34(渋谷〜金杉橋)系統の運行を担当。
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1969年10月に33、34系統の廃止とともに廃止された。
天現寺橋歩道橋を上り、向かい側に渡る。天現寺橋であるが、川は笄川と渋谷川の合流点にあり、道路は駒沢通りと外苑西通りの交差点と交通の要所にある。
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歩道橋を降りるとすぐに山門があり、中に入る。右側には高いビル(天現寺スクエア)、左手の建物は手前が毘沙門堂(客殿)、奥に本堂がある。
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由来は江戸時代中期の1719年に小日向御箪笥町にあった普明寺を引き継ぐ形で当地に移転、多聞山天現寺として新たな法幡を堅起することになった。ご本尊は高さ109cmの多聞天像(秘仏)である。その後、1845年の江戸大火で焼失、さらに1945年太平洋戦争に伴う空襲で再び焼失し、その後再興されている。(そのため、建築物は比較的新しい)
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毘沙門天の使いは『虎』とされており、客殿、本堂共に前には一対の『狛虎』が睨みを効かせている。
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(正面)
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(横から)
まずは手前の客殿の狛虎は明和3年(1766年)製作で左右では随分意匠が異なり、右側の虎は顔だけは前を向いて睨む。
まずは手前の客殿の狛虎は明和3年(1766年)製作で左右では随分意匠が異なり、右側の虎は顔だけは前を向いて睨む。
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(正面)
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(横から)
一方、左側の虎は前を向いて吼えているように見える。いずれも迫力がある顔つきである。
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本殿の狛虎は左右対称のフォルムで向かい合っていて、特色として尻尾が長く、また胴の縦じまがはっきりと分かる。こちらは天保6年(1835年)の盂蘭盆会で御目見したものらしい。
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この4匹の虎が睨みを効かせている天現寺は前庭も美しく、また日当たりも良いため、紅梅の蕾も膨らみかけていた。
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