hokutoのきまぐれ散歩

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『創業の地』を歩く①〜飯田橋編①

2022-01-17 05:00:00 | 創業の地
『創業の地を歩く』その1。2022年のスタートにあたり、新しい企画を立ち上げることにした。ブログを書いて9年間、主に東京の街を歩いてきたが、大学や企業の創業の地に出くわすこともしばしば。しかも、今存在している場所から離れた所が多いのである。そんな創業の地を歩いてみることにしたい。

第1回として飯田橋駅から九段に向かいながら創業の地の石碑を見ながら歩いて行く。ここは『歴史のプロムナード』という名前をつけて整備されているからである。

東京メトロ東西線飯田橋駅から地上に上がるとすぐ前に『東京農業大学開校の地』の石碑がある。東京農業大学は1925年榎本武揚により徳川育英会育英黌を設立したが、これが母体。

徳川育英会は旧幕臣の子女教育のために奨学金を拠出していたが、直接学校を作り、教育しようとしたものである。

ただ、この地にあったのは一年のみで農地確保のため文京区大塚窪町(現在の大塚2丁目)に移転、最終的に1946年3月に現在の場所に移転している。


次は飯田橋付近の地形図、1590年に徳川家康が入城した頃のものである。まだまた、海の面積が広い。

飯田橋2丁目信号付近には『徽章業発祥の地』、1885年に鈴木梅吉により日本帝国徽章商会が開業。

その後の徽章業各社はこの会社の流れを汲んだものであり、今も周辺に徽章業の店が多い。

『北辰社牧場跡』の石碑、こんな街の真ん中に牧場?と疑問に思うが、先ほどの農大開学同様に榎本武揚が自分の屋敷の中に牧場を作り、乳牛を30〜40頭飼育していたのである。

これは江戸が東京になり、旗本屋敷などが空き家になったため、住民が激減し、新たな産業振興が必要となった。オランダ留学の経験のある榎本は北辰社を設立、牧場や乳業工場を運営していたのである。



吉幾三の歌に『銀座でべこ飼うだ』というフレーズがあったが、『飯田橋で乳牛飼う』は普通にあったようだ。ただ、今はもちろん面影もないが。(以下、次回)