hokutoのきまぐれ散歩

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『創業の地』を歩く②〜飯田橋編②

2022-01-19 05:00:00 | 創業の地
『創業の地を歩く』その2。飯田橋1丁目の信号で反対側に渡る。



『台所町跡』という石碑があるが、江戸時代にこの辺りには台所衆と呼ばれた江戸城の料理を担う役人の組屋敷があり、台所町と称した。武鑑にはお台所頭・四百石・たい所町・鈴木喜左衛門と書かれている。

ここから飯田橋駅に向かう。右手に東京大神宮の大きな石碑が見えて来る。その先に『國學院大学開校の地』の石碑もある。



ここに1882年に国学を学ぶ皇典講究所が設けられ、さらに1890年に山田顕義により國學院が開校した。その後、1923年5月に現在の渋谷区に移転した。



すぐそばに『東京府立四中発祥の地』。1882年に国学を研究する目的で開校、1888年に同じ地内に開設された補充中学が1901年東京府立第四中学校となったものである。1904年に市ヶ谷加賀町、戦後は新宿区戸山に移り、現在は戸山高校となっている。




『日本大学開校の地』もこのそばにあるが、実は國學院も日本大学も山田顕義により開学されたもの。國學院の1年前に日本法律学校として創立、1895年には三崎町に移転している。つまり國學院大学と日本大学の嚆矢をたどると同じものであり、その石碑が両大学によりそばに作られていた。

最後は『飯田橋』の石碑である。江戸時代には外濠の城壁に囲まれていて橋や道路はなかった。1868年に外堀を渡る木の橋が作られ、1881年には車が通れる橋、1890年には鉄橋となった。

飯田橋はあくまで橋の名前であり、地名ではなかった。甲武鉄道が開業した際の始発駅として『飯田町』駅が作られたのだが、関東大震災からの復興に際して1928年に近くにあった牛込駅と飯田町駅を統合して飯田橋駅が誕生。その後も長距離列車の始発駅として残されたが、1933年にこの機能を新宿駅に移譲、旅客扱いを廃止して貨物駅となり、1999年に駅も廃止された。

元々の地名は飯田町なのに後でできた飯田橋の方が地名となり、飯田町という地名は今はない。

これで一回り、しかし紹介した以外にも『日本赤十字社の跡』『新撰組屯所跡』『東京女子医大発祥の地』『甲武鉄道飯田町駅』という4つの石碑があるはずなのだが、地下鉄工事の関係からか今は指定された場所からは移転しているようである。