日本橋川に架かる橋を江戸橋、日本橋、西河岸川と遡り、外堀通りに架かっているのが一石橋である。
一石橋は江戸初期からある古い橋で、破損した際に北詰の本両替町の後藤庄三郎(金座当主)と南詰の呉服町の後藤縫殿助(江戸幕府御用呉服掛)により再建された。その際に後藤の読みが『五斗』、『五斗+五斗=一石』という洒落が効いたネーミングにより一石橋と名付けられた。
当時この辺りはかなりの繁華街で迷子もよく出たが、地元の町内で1857年に『満よひ子の志るべ=迷い子の標』という石柱が作られた。これは石柱の右側に『志らする方』、左側に『たづぬる方』と彫られていて左側に迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、これを見た通行人に重い当たりがある場合はその旨を書いた紙を貼り、知らせたのである。
橋の隣には三菱治所が開発した常盤橋タワー(地上40階、地下5階)が聳えている。高さが212m、この周辺には後3本、うち1本は高層ビルとなる予定である。
再び一石橋を渡り、向かい側に渡る。常盤橋のところで川は曲がり、橋がハの字になっている。(やや分かりにくいが関東大震災後に作られた車道が通っているのが『常盤橋』、常盤橋門に続く歩道の橋が『常磐橋』である)
その奥の常磐橋は今回整備されたもので向かいには日銀本店、また、今回の修復で渡場も新設されている。
橋を渡ると旧常盤橋門の石垣が残されている。八角形の大理石製の親柱や唐草意匠の手すり柵など豪華な細工が施されている。
常盤橋門は1629年に置かれた奥州街道につながる江戸五口の一つで門は1873年に撤去されたものの石垣の保存状態が良く、1928年に国史跡に指定された。
常磐橋は1590年に木橋として作られ、1877年に石橋に改架。近代的な石造橋の先駆けである。関東大震災、東日本大地震で被害を受け、ようやく昨年完成をみた。
また、常盤橋公園には渋澤栄一の銅像が建てられている。この像が初めて作られたのは1933年、公園と同時に完成した。
しかし、一旦は太平洋戦争の金属供出に伴い失われたが、1955年に再興された。因みに像が向いているのは旧第一国立銀行本店である。