都内を歩いていると街中で公園や神社を見つけることはある。ただ、あまり規模の大きなものは多くはない。しかし、新橋駅を降りて新虎通りを越え、少し歩いたところの『鹽竈神社』『塩釜公園』の存在に気づいた。住所は港区新橋5ー19ー7、ビルになっても不思議ではない立地である。
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以前に仙台から仙石線に乗って塩竈神社の桜を見に行ったことがあったが、それと関係があるのかと調べると江戸時代にはこの地に伊達藩の江戸中屋敷があった。1695年に本社から分霊を勧請し、1856年にこの地に移したものであった。
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神社のすぐ横に塩釜公園があるのは明治以降も伊達氏の所有物件であったが、関東大震災の際に避難場所となったこともあり、広場として住民が使いたいとの要請を受け、1930年に地元自治会『愛宕下町会』に寄付された。当時は唯一の町立公園となり、大きく報道されたものだが、さらに1972年に港区に移されたのである。
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公園はまさに児童遊園、その裏には立派な門構えの奥に鳥居があり、歴史物の狛犬が一対置かれている。さらにその奥には神社の控えめな建物がある。
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お隣には稲荷神社もあり、一対のきつねの像の奥には祠、さらにその裏にはこちらもかなり古い大国様・恵比寿様の石像が置かれている。喧騒からわずか数分歩くだけで静けさを満喫できるのである。
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さらにここから頻繁に車が行き来する国道15号線に面したところに石碑がある。よく見ると『浅野内匠頭終焉の地』とある。忠臣蔵で有名な浅野内匠頭は殿中で吉良上野介に切り付けた赤穂事件の張本人であるが、彼が捕らえられ、若年寄であた田村右京大夫建顕の邸に連れてこられ、そして庭で自刃した。その場所が石碑のある場所である。
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因みに松の廊下で事件を起こしたのが1701年3月14日(旧暦)10時〜11時と記録されているが、浅野内匠頭が江戸城平川門を出たのが午後3時、この地に到着したのが午後4時頃、切腹が申し渡されたのが午後6時と言われており、あっという間の出来事だったようである。
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街を注意深く歩いていると意外な歴史のある遺跡や神社に出くわす、これも街歩きの醍醐味である。