浅草橋駅裏の満留賀さんを出たあと、すぐ隣の銀杏岡八幡宮にお参りする。
駅からも1分の交通至便な神社だが、鳥居から参道が続き、左右にはその名前にも入っている立派な銀杏の木が並んでいて静かな時間が流れている。
創建は平安末期、源義家が奥州征伐に行く途中にこの地の丘に銀杏の枝を刺して勝利祈願したと言われている。祭神は誉田別命、武内宿禰であり、創建時の銀杏は焼失したものの、明治神宮から新たな木を授与された。
江戸通りに戻り、左手に歩くと須賀神社の前に。創建は600年、推古天皇の御世で江戸時代には牛頭天王神社、祇園社、蔵前天王社、団子天王社と呼ばれていたが明治時代に須賀神社と改称された。
こちらの社殿は新しく作られたものだが、中に狛犬が5体もいる。
江戸通りに戻り、須賀橋交番前の信号を左に曲がると角に赤い小さな社殿が見えるが、これが加賀美久米森稲荷神社。
江戸時代に加賀美太夫、条太夫という越後国猿屋村の猿曳が諸国をまわり江戸にやってきた。本業の芸の他に加持祈祷の評判が高かったが、その噂が広まり、時の将軍が不治の病にかかった際、城に呼ばれた。加持祈祷の功があり、この神社の土地に猿楽町の名前を賜り、永住することを許された。それぞれの邸内に祀られたのがこの稲荷神社である。
さらにまっすぐ行き、左にあるのが甚内神社。以前にもブログに書いたが、武田家再興をはかって江戸市中を乱した高坂甚内という大泥棒が瘧(マラリア)に苦しんでいるところを捕らえられ、鳥越にあった刑場で処刑された。その際に『我瘧病にあらざるば何を召しとれん。我ながく魂魄をとどめ、瘧に悩む人もし我を念ずれば平癒なさしめん』と言ったことから病に効能のある甚内霊神として信仰を集め、創建されたものと伝えられている。
私も同じ高坂を名乗る者として4年ぶりに参拝したのである。できれば瘧ばかりでなく、コロナウィルスにも効能があればと祈ってしまった。
(扇稲荷神社)
浅草橋には僅か1キロほどのところにこれ以外にも神社があり、それぞれの由緒を調べるだけでも楽しい。