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『ぶらり橋巡り』その118。旧東海道を歩くうちに目黒川の最下流に掛かる品川橋に通りかかった。それならばと少し上流から橋を巡ることにした。スタートは第一京浜(国道15号線)が上を通る東海橋から。
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東海橋は幅広い国道が上を通るだけあって立派な造りとなっている。特徴的なのは親柱の上に置かれている『鳳凰像』、青緑色(緑青をイメージしているのか?)でかなり目立つ存在。これは日本橋の麒麟像との対比で造られたのかもしれない。
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ただ、竣工は比較的新しく、1997年である。因みに目黒川は品物が行き交う川のため、江戸時代には品川とも呼ばれた、これが品川という地名の由来となった説の1つと言われる。
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下流に向かい、京浜急行の目黒川橋梁、荏川橋(えがわばし)と続く。橋の名前は旧町名の荏川町に由来する。
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荏原神社の正面に向かう朱塗りの橋が鎮守橋。目黒川の川筋が変わったため、1928年9月に完成したコンクリート橋ではあるが、橋柱が左右6個ずつ、計12個あるが、青銅製の擬宝珠がついている。
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旧東海道が上を通る品川橋は江戸時代の立派な石造灯台風の欄干となっている。品川橋は東海道五十三次で日本橋の次の本格的な橋であった。北品川宿と南品川宿を分ける橋で位置から江戸時代は中ノ橋、境(堺)橋、行合橋などと呼ばれていたが、品川宿の真ん中にあることから品川橋と呼ばれるようになった。目黒川の改修に伴い川の流れは変わったが、今の橋は江戸時代とほぼ同じ位置にある。
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橋の上には庭園や東屋も立っている珍しい形態の橋である。江戸時代は木橋だったが、現在の橋は1991年に竣工したものである。
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新品川橋はすぐ下流に架けられている。橋のところで立体交差となっていて川沿いの歩道はトンネルのように下を行く。架橋されたのは1972年である。
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江戸時代の浦高札場(うらこうさつば)が新品川橋の南詰にあった。浦高札は全国津々浦々に立てたもので元は4枚あったが、今は『御城米船が難破した時の処置や心得を発したもの』『抜荷買いを禁止する旨を記したもの』の2枚が残されていると説明板にあった。
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洲崎橋は目黒川の川筋変更により洲崎の漁師町と南品川1丁目が分断されたためこの2つの地区をつなぐ目的で作られたもの。橋が完成したのは1928年である。
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昭和橋は目黒川最後の橋で上を海岸通りが通る。新目黒川開さくによって元の河口に作られた橋、1930年(昭和5年)に作られたので昭和橋と名付けられた。
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その先は天王洲南運河、さらに京浜運河につながり、太平洋に注いでいる。