『東京の坂、日本の坂』その218、『昭和の暮らし博物館』を出て、元の道を右に曲がるとすぐに鵜の木八幡神社の前に出る。小雨が降っているなか、ご近所さんだろうか、おばあさんが丁寧に参拝されていた。
この辺りには先程の博物館だけでなく、昔懐かしいアパートも点在、うち写メに撮った1軒はまだまだ健在のようである。
すぐ前の道が下り坂になっていて少し歩くと環八通りに出る。これを反対側に渡ると大きなお寺があった。増明院という智山派のお寺を左回りするように坂がある。
登り終えると今度は下り坂となるが、この坂道が『富士見坂』。細い坂で左右に曲がりながら進むと開けるが、マンションが林立していてとても富士山は見ることができない。
坂を降りると東急多摩川線鵜の木駅前に出る。これを右に曲がると公園に突き当たるが、右に上る坂道が現れた。
(この突き当たりを右に)
『河原坂』である。江戸時代はほぼ東急多摩川線あたりが多摩川であり、河原があったらしく地名も河原である。河原に向かう坂のため、河原坂と付けられたらしい。
坂の途中が鵜の木松山公園、ここは『鵜の木1丁目横穴墓群』という古墳であり、そのうちの6号墓のみが発掘後そのまま保存されている。
奈良時代の墓らしく、中には3人の人が埋葬されていた。案内板によるとほぼこの公園全体がお墓で1〜7号墓まである。
小さな公園だが、大きな桜の木があり、花見の頃には大勢の人が集まるだろう。
雨が止まないので隣の沼部駅までは東急多摩川線に乗ることにした。(以下、次回)