hokutoのきまぐれ散歩

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『都会の小さな町散歩』〜番町編③

2019-12-17 05:00:00 | 日記


『都会の小さな町散歩』その9、一番町から四番町まで歩いたので今日は五番町から。実は番町の番号は江戸時代のそれとは異なる。現在の区画は1938年に見直されたものとなっている。例えば一番町の両隣に二番町と三番町があり、二番町と三番町は隣接していない。




五番町は堀端の旧土手三番町を改めたもので区画が最も小さい。市ケ谷から新坂を上り、右に曲がると右手が五番町、左手が六番町となる。五番町には東京中華学校、日大大学院、日本棋院などがあるが、堀端の道や土手まで全て五番町に含まれるため、あまり大きなマンションは多くない。(416世帯906人)




六番町は通りを挟んで向かい側に広がるが、学校が多い区域で四谷駅に近い方には双葉学園、最近ではいとうあさこが卒業したことでも有名である。さらにはかつてのエリートコース、番町→麹町→日比谷のスタートとなる番町小学校がある。




六番町は文人たちの旧居が多かった地区で、六番町2番地には一覧できる地図があり、便利である。そこに乗っていた有名人だが、有島武郎、泉鏡花、内田百閒、大杉栄、菊池寛、里見弴、島木赤彦、島崎藤村、藤田嗣治、松岡洋右、初代中村吉右衛門など多士済々。




そのうち泉鏡花や内田百閒などの案内板を見つけることができた。今はどんどんと宅地がマンションやオフィスに変わり、昔の風情は少なくなりつつあるが、この六番町は昔の街並みを残したいという住民の『六番町奇数番地街づくり憲章』が掲げられていた。


一番町から六番町まで歩いたが、驚いたのはタワーマンションの数と昔ながらのお屋敷が少ないこと。いい屋敷と思っても殆どが大使館や公共の建物であった。番町皿屋敷など今では遠い過去の話である。









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