『東京の坂、日本の坂』その153。今回は地下鉄千代田線根津駅で降りて千駄木駅の先あたりまでの坂道を歩くことにした。実は根津・弥生あたりの坂道を2014年10月に訪れたことはあるのだが、不忍通り方面は今回が初めてである。
駅を降りて千駄木方向に不忍通りを歩く。かつては20系統の都電が通っていたころと基本的に変わっておらず、古いビルも多い。途中、根津神社に行く道は越えて千駄木2丁目の信号を左に行く。
始めはごく緩い坂であるが、根津神社の裏門あたりからははっきりと坂であることがわかる。この坂が『根津裏門坂』である。
向かい側の日本医大病院の建物と建物の間の道を右に行くと左側に階段と坂道が並んであるが、これが『解剖坂』。病院の横を通るために付いた名前なのだろう。
細い坂道を上がって行くと右側に汐見小学校の校庭が下に見えてくるが、この坂が『汐見坂』。かつては海が見えたのだろうか。
不忍通りと中山道の真ん中、本郷台地の中腹を行く薮下通りだが、右側には文京八中もあるが、グラウンドは遥かに眼下。すると左側に森鴎外記念館が現れる(休館中)。
鴎外が観潮楼と名付けた自宅跡であり、ここから東京湾が見えたようだ。
広い道に出るが、団子坂上の交差点。左側にさらに登って行く。
団子坂の由来は悪路で急坂であったため、雨が降るとコロコロ団子のように転がったからとも、団子屋が坂の下にあったからだとも言われている。
せっかくだから坂道を降りてみる。今は舗装されているが、昔は未舗装かつ悪路で大八車や馬などで荷物を運んだりしたら転んでしまうかもしれない急坂である。(以下、次回)