hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『夏旅2024』②〜さらに奥の滝に行く

2024-08-12 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』②、不動滝の次は乙女滝、由来はわからないが小さな滝。川が岩のおかげで左右に蛇行しながら流れるため、至る所に大小の滝ができている。



大日滝はやや広めの滝、仏像の名前がついた滝が並ぶ。あたりの岩が急に大きくなり、台風のような大水でこのような地形が作られたのだろうが、岩にたくさんの苔が生えていて時間が経過していることがわかる。




川の中に大きな岩、これが八畳岩、たしかにそのくらいありそう。紅葉がたくさん植えられていて、秋の紅葉期がベストシーズンということがよく分かる。

ただ、夏の太陽に照らされている青もみじも美しい、よくみると竹どんぼのような種が育っているのがわかる。



千手滝が右前に見えてくる。観光切手の8円に描かれている滝。広々とした中で幾つにも分かれている姿が千手観音のようだから付いた名前なのだろう。



かつてはここに茶屋があったらしいのだが、今は廃業してあづまやとヨガスタジオになっている。確かにこの滝の前で心を落ち着かせれば効果もありそうである。

我々はあづまやの椅子に座り、滝を見ながらランチにした。品川駅で購入した深川めしを開き、お茶を飲みながらゆっくり食事。太陽光線は遮られ、しかも目の前の滝からマイナスイオンがくるせいか涼やか。汗を掻きながらも美味しくいただきました。



滝はこの先も布曳滝、荷担滝(24円切手に描かれている)、琵琶滝など名瀑が続くのだが、山道を行くのも辛いのでここでUターンした。



駐車場まで戻り、一路奈良県に向かう。奈良県宇陀市に入ると先ほどまであれだけ良い天気だったのに曇り始め、雨粒が落ちて来た。



道の駅『宇陀路室生』で一休み、するとかなりの雨になってしまった。(以下次回)




夏旅2024①〜まずは赤目四十八滝を目指す

2024-08-11 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』①。今年も夏旅に行って参りました。2024年夏旅は三重県→奈良県→京都府→滋賀県という関西旅行である。還暦を過ぎると国内では島を除くと行く場所がなくなってくる。しかし、しばらく墓参りもしていないので今年は京都の墓参りをしつつ、旅行することになった。



まずは三重県名張市にある赤目四十八滝を訪ねる。この名所を知ったのは小学生の頃で昭和25年から観光百選切手に選ばれた各2枚が発行された。毎日新聞社が中心となり、全国の名勝のうち山岳・温泉・高原など10個のジャンルに分けて一般民衆から選んだのである。



瀑布部門でトップだったのが赤目四十八滝なのだが、これを見て一度尋ねたいという願望を叶えるために訪問した。



自宅を0600に出発、品川駅から名古屋駅に新幹線で向かう。普段は東京駅経由で行くことが多いが、休日の朝の時間は中央線快速運転がないことから品川駅利用としたが、重い荷物を抱えて行くのならば東京駅利用の方が断然楽である。何しろいつまで経っても完成しない渋谷駅の階段を舐めてはいけない。





名古屋駅でアーバンライナーとの乗り換えが不調(ひのとりは名張は通過)のため、名張に着いたのは11時前となった。





ただ、近鉄名古屋駅で『ひのとり』『しまかぜ』『アーバンライナー』『伊勢志摩ライナー』『ビスタカー』など色々な車両が見れて楽しい時間を過ごした。



名張駅では江戸川乱歩像がお出迎え、駅近くのレンタカーを借りて赤目四十八滝に向かう。車で約30分程度とガイドブックに出ていたが、道も空いていて少し早めに到着。ここで初めての観光地、いつも悩むのが駐車場である。下の方の駐車場管理のおじさんがここに停めろと指示。無料なのでそれに従うが外は驚くほど暑い。ダラダラ坂を滝に向かい歩くが、その先の駐車場にも空き、後ろから来たドライバーはおじさんの言うことも聞かずどんどん先にいく。ところが我々が10分ほど歩いたところにある駐車場もまだ余裕、疑ってかからないと余計に歩かされる。



途中にはお土産物を商う店や手裏剣体験のできる店などあるが、どこもガラガラ、お土産物屋のおばさんにちゃんとお弁当は持っている?と聞かれたが、こちらは東京駅で調達済。



入場料は入口の赤目滝水族館で支払い、水族館の中に入る。中にはウグイやこの滝の名前の由来の一つと言われているアカメ、カエル、ミズカマキリなどの水槽がある。



一番奥にお目当てのオオサンショウウオの水槽はあるが、オオサンショウウオは棲家の土管に頭を突っ込んだまま。身体は見えるが頭が見えず、がっかりである。



水族館を抜けると木々の中に川沿いの道が続く。ただ、それまでの太陽の下、影もない道と違い涼しく、川の流れも影響しているのだろう。



赤目四十八滝とはたくさんの滝が連なるという意味で四十八あるわけではないが、それぞれに名前が付けられている。渓谷美を堪能しながら川沿いの遊歩道を歩くと小さめの行者の滝、銚子滝、霊蛇の滝と現れる。





まあ、滝と言えば滝だが、小さなものと思っているうちに『不動滝』、不動明王から名前を取ったもので、高さが15mもある。滝の前が大きく開かれ、前に立つだけでマイナスイオンに包まれる。(以下、次回)

『昭和レトロカレー』⑤〜みのがさ本店

2024-08-10 05:00:00 | グルメ
『昭和レトロカレー』⑤。この企画を考えた時に最初に頭に浮かんだ小伝馬町交差点にある『福聚』を目指す。この店を目指すのはもう2度目になるが、前回は臨時休業。

(福聚)
今日は行けるかなと思ったが、『7月中は臨時休業』の張り紙にガッカリ。やむを得ずそのまま人形町通りをまっすぐ歩き、岩本町を目指すことにする。

日傘があるとはいえ、35℃の中を20分ほど歩くのは結構辛い。汗が額から吹き出し、足取りも重い。『みのがさ岩本町店』に着いたのは12時5分前だが、暑いこともあり、店内にお客さんは3人のみ。



カウンターにいるおばさんにカレーライスを注文、620円である。1000円札を出してお釣りをもらう、新札も旧札もないのである。その間に隣のおじさんはご飯をカレー皿半分程度に取り、反対側にルーを掛けて、福神漬を添えてくれる。

おばさんは蕎麦猪口にワカメスープを入れてお盆に乗せて出してくれる。この間約2分、早い。

壁側に向いた席に座ってカレーライスを頂く。よく、スープから飲む人がいるが、こういうお店のスープは恐ろしいほど熱いので私はしない。

これぞ昭和レトロカレーという黄色いドロっとしたルー、たっぷりご飯もルーもあり、かなりボリューミー。スプーンでご飯を掬い、一口食べるが、それほど辛くはない。ただ、私の不得意な甘いカレーではなく、ホッとする。学食で食べたタイプだが、鶏肉も玉ねぎもたっぷりと入っていて一段上の美味さである。ところが、次第に少しずつ辛くなってくるのが面白い。

スープは蕎麦つゆにワカメと刻みネギが入っていて醤油に出汁の加わった味、味が変わっていいし、何となくカレーライスによく合っている。贅沢を言うとソースを途中から掛けて味変したいところだが、蕎麦屋にあるのは七味唐辛子のみ、ソースは置いてなかった。

そば+ミニカレー(800円)というセットもあるが、カレーライスを堪能するためにはやはり単品がいい。この味は懐かしく美味かった。もちろん店内には冷房が効いているため、暑くはなかったが、外に出るや否や暑さと共に汗まみれ。

和泉橋を渡る頃にはぐだぐだ。夏のカレーライスは修行である。とはいえ、ご馳走さまでした。

みのがさ本店
千代田区岩本町3ー10ー5
0338669969


三吉橋から旧楓川に沿って歩く③

2024-08-09 05:00:00 | 日記
『ぶらり橋巡り』その116。旧楓川に架かる橋を巡る③。宝橋も震災復興の楓川改修と道路建設に伴い1929年に竣工。その名前の由来は色々調べても出てこない。近くに都営地下鉄浅草線宝町駅があるのでこれがヒントかと思い、調べてみると『宝町』は1931年に実業家で東京市議会議員であった中澤彦吉という人がめでたい名前として付けたことがわかる。しかし、橋ができたのは1929年だからこれより2年前、どうも違うようである。



宝橋の周囲も児童遊園となっていて袂には『宝地蔵尊』がある。そのお隣には石造りの『宝塔』がある。宝地蔵は1954年に近くに住んでいた子供が楓川にはまって亡くなった事故の供養として作られたものである。



急に周囲が開け、行幸通りに出る。架かっているのが久安橋、17世紀に架橋された橋で寛永江戸図では『下野橋』(橋の東側にあった下野守屋敷に由来)、さらに『越中橋』(東詰に松平越中守上屋敷に由来)と呼ばれた。1868年に久安橋と改称された。 

その名の由来は①単に美称を付けた、②古くにお坊主久安の屋敷があった、③松平氏の本姓が久松松平氏であった、などの諸説がある。

今の橋はやはり関東大震災の復興事業として1930年に架橋されたもので橋長33.0m、幅員33.0mと不思議に正方形である。

新馬橋は阪本小学校からすぐのところにある高速道路に架かる橋である。袂には楓川新馬橋公園。



また、高速道路と昭和通りに挟まれた道は中央区により『かえで通り』と名付けられ、道に沿って楓の木が植えられている。よく見るとちょうど緑色の実が成っていた。(以下、次回)


『昭和レトロカレー』④〜そば処 おか田

2024-08-08 05:00:00 | グルメ
『昭和レトロカレー』④。今回も立喰そばのカレーとはいえ、よもだそばと違い、完全に席のあるタイプである。『そば処 おか田』は東京メトロ日比谷線小伝馬町駅から3分ほど、目の前に都営バスのバス停があるからわかりやすい。

この店は蕎麦(麺)が売りの店で、注文が入ってから麺を茹で始めるため、少し提供に時間がかかる。まだ、新札が使えない券売機で『カレーライスセット』(900円)をチョイス。カレーライスとかけそばなのだが、カレーライス単品はメニューにも券売機にもない。



席を確保したのちにカウンターに食券を持って行くとご店主が『そば茹でるから少し席で待ってね』と言われ、席で待つ。

5分ほどで注文品が完成し、呼ばれる。カレーライスと蕎麦の丼を置くと、小さめのトレイにほぼ一杯になる。おかみさんが『サービスの揚げ玉入れる?』と聞かれ、『お願いします』と返す。

席について蕎麦に七味唐辛子を振って一口。喉越しのよいそば、こちらの麺はもりやざるでたべても十分美味い。さらにツユもからすぎず甘すぎず、鰹出汁のよく効いている。

おまけの揚げ玉もカリカリ、お店で天ぷらを揚げているからこそ油が回っていない美味い天かすも出せるのである。

麺を食べ終わり、いよいよカレー。ルーは蕎麦のかえしを使った和風、子供の頃に食べたような小麦粉たっぷりの黄色いカレー。辛味はそれほどなく、具は玉ねぎメイン、もちろん豚肉も入っている。この味が嫌いな日本人はあまりいないだろう。



セットのみにしかカレーライスはないが、注文する人が多い。やはり、蕎麦だけではボリュームが足りない向きが多いようで私のお隣のおじさんは慣れた口調で『カレーセット、蕎麦は大盛、さらに春菊天を入れて』と注文していたが、ここまでするとかなりのボリューム、これぞ立喰そばである。

12時前なのに私が食べ終わる頃には店内は人でいっぱい、もちろん食べ終わるとすぐに次の人に席を譲りました。これが立喰そばのエチケット、ご馳走さまでした。

そば処 おか田
中央区日本橋小伝馬町13ー6

『久我山歳時記』㊻〜秋きぬと目には彩に見えないね。

2024-08-07 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊻、8月7日は立秋である。『立秋』とはいうが、東北・北陸の梅雨明けは8月2日頃、つまりまだ梅雨明けしてから1週間も経過しておらず、これから夏本番である。(平年は7月28日頃)
立秋の頃に秋らしい日が訪れることはほぼなく、夏の風物詩である全国高校野球(8月7日)開幕日と重なっている。なぜ、立秋が盛夏の頂点のようなこの時期になるのか。

これは地球温暖化の影響だけではなく、『夏至』と『秋分』のちょうど真ん中を『立秋』にしたからである。さらに大元の中国は大陸性の気候に対して海洋性気候の日本はまだ暑さが残っているのである。

さらにもう少し細かく分けた七十二侯では『涼風至(りょうふういたる/〜8月11日)』『寒蝉鳴(ひぐらしなく/〜8月16日)』『蒙霧升降(ふかききりまとう/〜8月22日)』としている。つまり、立秋を過ぎるとたまに涼しい風が吹いてくるようになり、ヒグラシの声を聞き、霧が立ち込める日もある、という順で本当の秋に向かうのである。

もちろん、立秋から必ずしも涼しくなるとは昔の人も思っていなかったようで、立秋までが『暑中』であり、そのあとも『残暑』となるのである。藤原敏行の詠んだ和歌で『秋きぬと目にはさやかに見えねでも風の音にぞ驚かれぬる』とはうまくこの季節を詠んだものである。



久我山を歩いて『盛夏』だなあと感じるのが、並木道の蝉の声、夕方6時頃になってもまだまだ止むことを知らない。アブラゼミの声よりみんみんゼミの声を聞く方が増えているが。ただ、残念ながらまだヒグラシの声は聞こえてこない。



さらに通勤路で背比べをしているようなひまわり、ただ、昔に比べると小ぶりになったように思う。花をたくさん付けているのがサルスベリ(百日紅)、名前の通り長い間鮮やかな赤い花を咲かせるが、白い花の木もある。


我が庭ではモミジアオイが鮮やかな赤い花を毎日咲かせ、6月頃に一度ピークを迎えた桔梗が花を二輪つけた。



一方で、『立秋』に秋の気配を探してもようやく見つけたのが、ススキの穂くらいのもの。



そう言えば100円で春に植えたシシトウ、一つ収穫を忘れていたものが、真っ赤に実っていた。さぞや辛いかなあと思いつつ、焼いて食べたらパプリカより甘くなっていた。

立秋は秋の入口に立ったくらい、まだまだ暑い日が続くことは間違いない。秋の涼しさを心待ちにしている一方で寂しさも感じるのは子供の頃に夏休みが半分過ぎた時期だからであろうか。




都営地下鉄三田線スタンプラリー④

2024-08-06 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その249。都営地下鉄三田線スタンプラリー④。巣鴨駅ではJR山手線に乗り換えをすることができる。ちなみに山手線で他の路線との乗換えがない駅はいくつあるか、ご存知だろうか。例えば鶯谷駅などは並走する京浜東北線があるし、大塚駅は都電(東京さくらトラム)に乗り換えられる。



となると他の線が全く乗り入れていないのは30駅中で目白駅、新大久保駅の2駅のみ(高輪ゲートウェイ駅は泉岳寺駅で京浜急行・都営地下鉄浅草線と乗り換え可能)となる。

巣鴨駅のスタンプには『とげぬき地蔵尊と真性寺江戸六地蔵尊』が描かれている。巣鴨といえばとげぬき地蔵というほど有名、正式名称は萬頂山高岩寺といい、本尊の地蔵尊像は秘仏のため、公開されていない。

そのため、御影に祈願したり、洗い観音に治したい部分を洗うと御利益があるという。特に4のつく日は縁日が立ち、お年寄りで賑わう。

西巣鴨駅は明治通りと中山道(国道17号線)の交差点下にあり、近くには都電の新庚申塚電停がある。



スタンプには『都電荒川線新庚申塚電停とすがも鴨台さざえ堂』が描かれている。『さざえ堂』とは江戸時代に東北から関東にかけて作られた特殊な建築様式の仏堂。仏教の礼法である右遶三匝(うにょうさんぞう)に基づき右回りに3回巡ることができるようになっている。不思議なお堂で中を登って行くと回廊を周り、次に下り、中は完全な一方通行で出ることができる。



有名なのは円通三匝堂(会津若松市)で私も行ったことがあるが、1796年に作られた。設計図もなしによく作ることができたと不思議に感じた。

スタンプに描かれているのは大正大学キャンパス内の2013年に作られた鴨台さざえ堂で中に入ることもできる。

新板橋駅はJR板橋駅、東武東上線上板橋駅からも近く、この3駅は徒歩5分程度のところにある。

スタンプにはJR板橋駅前にある『板橋縁宿と近藤勇像』である。1868年に流山(越谷との説もある)で新政府軍に捕縛された近藤勇は総督府の置かれた板橋宿まで連行され、取調べを受ける。



当初は『大久保大和』という変名を使っていたが、見破られ、板橋刑場で斬首された。このため、板橋駅前に墓があり、銅像もある。(以下次回)

『昭和レトロカレー』③〜よもだそば

2024-08-05 05:00:00 | グルメ
『昭和レトロカレー』③。立喰そばの店でセットメニューにカレーライスのある店が結構ある。昭和レトロカレーから少し外れるかも知れないが、立喰そばのカレーライスとは思えないレベルのカレーを紹介したい。



日本橋には立喰そば2軒と老舗蕎麦屋が並んでいる場所がある。立喰そばの店は両方ともカレーを提供しているが、自信があるのか、看板にもカレーライスの文字があるのが、『よもだそば』、日本橋以外にも銀座や新宿、名古屋などに9店舗を展開している。



蕎麦ももちろん美味いが、お店の自慢はスパイシーなインドカレー。いわゆる小麦粉を使ったどろっとしたルーではなく、サラッとしている。券売機で食券を買ってカウンターに出す方式でカレーは単品(620円)、半カレー(350円)のほか、かき揚げそばと半カレー(800円)などセットも充実している。



カウンターに食券を出して待つ。楕円形のカレー皿にライスを入れ、ルーを掛け、具は鶏ももが1つ入っている。カレーにはきゅうりの漬物も添えられている。

まずはルーを一口。粘度が低く、本格的だが、蕎麦屋のカレーだけにかけツユをベースに玉ねぎ、トマトなどをじっくり煮込んでいて、スパイスも多数使っている。

一口目ではあまり気づかないが、かなり辛い。半カレーには鶏ももはつかないが、普通サイズにはよく煮込まれた鶏もも。問題はこの食べ方、箸で挟んでかぶりつくしかないが、これが立喰そばの低いカウンターで行うのが難しい。とにかく片手間で作ったものではない本格派でこれのみを食べに来る(麺類なしで)お客さんも多い。



辛いこともあるが、次々と口にスプーンを運び、あっという間に完食。クーラーはよく効いてはいるが、じわじわ額から汗が出る。

骨付き鶏ももは柔らかく煮込まれていて美味いが、問題は食べ方だろう。ご馳走さまでした。ちなみにこの店は1階は完全立ち食い、地下には席があるお店です。

よもだそば 日本橋店
中央区日本橋2ー1ー20
0332730505

三吉橋から旧楓川の橋を巡る②

2024-08-04 05:00:00 | 川と橋とダム
『ぶらり橋めぐり』その115。旧楓川に架かる橋を巡る②。新富橋の隣は新金橋、名前の由来は旧新富町と旧金六町を繋ぐ橋のため、それぞれから1字ずつ取ったもの。関東大震災の復興事業の一環として1930年完成のラーメン橋、長さ33.1m、はば15mある。

旧金六町は芝田金六の支配地となったため、付いた名前である。芝田金六は大坂の陣で人足差配役をした。因みに金六町、新金六町は京橋、八丁堀、芝口と色々なところにあるが、火除け地として移転したためである。(芝口金六町は今の銀座8丁目7番あたり、後に南金六町となった。八丁堀金六町は八丁堀2丁目にあたる。)


新金橋は首都高速道路京橋ランプが橋の上にある。橋の横には小さな新金橋児童遊園があるが、子供の遊び場というより、周辺のサラリーマンの休憩所として使われている。


弾正橋は鍛冶橋通りにある橋長32.2m、幅員20.0mのラーメン橋。江戸時代、北八丁堀にあった島田弾正少弼の屋敷があったことから付けられた名前で、当時は交差していた堀川上に真福寺橋、白魚橋と共にコの字形していたことから、江戸名所図会に『三ッ橋』と描かれていた。



度々架け替えられていたが、明治11年に工部省の手により日本で初めて国産鉄を使った橋として建造された。その橋は掛け替えの際に国の重要文化財として江東区富岡の八幡堀遊歩道に移されて現存されている。



保存されている橋は長さ15.2m、幅2mの小規模な鉄橋、赤く塗装された可愛らしいフォルム、しかし、菊の紋章も付けられている。



楓川弾正橋公園には喫煙所が作られているが、ここに渡る橋も昔の橋のミニチュアであった。



お隣の松幡橋は小規模な橋だが、歴史は古く、明暦の大火(1657年3月2日)以降の架橋であり、名前の由来は松屋町と因幡町をつないでいたため、それぞれから1字ずつを取って橋の名前にしたものである。(以下、次回)








紅虎餃子房で冷やし黒胡麻担々麺を頂く

2024-08-03 05:00:00 | グルメ
冷やし担々麺シリーズ第2弾、チェーン店ではあるが、担々麺の味ではかなり秀でていると私が勝手に考えている『紅虎餃子房』の店でも夏のメニューに『冷やし黒胡麻担々麺』(1210円)がある。普段から熱々の紅麻辣担々麺はよく食べるが、冷やしは初めてのチャレンジである。



ランチタイムに店に入るとやはり人気がある。私は迷うことなく注文するが、この店はランチメニューの種類が多く、皆結構悩んで通常の一品料理の定食を食べる人が多い。



注文して10分ほどで麺が到着。丼ではなく、平皿にもう混ぜてある麺が登場。上にはたっぷりの貝割れ菜が添えてある。スープはレンガ色の辛そうな色で一口飲むと唐辛子の辛味より、中国山椒(花椒)の痺れる辛味が強い。

中に刻み込まれているのが、叩いた肉、ナッツ、ニラ、黒胡麻、白髪ネギ、もやしなどがたっぷりと入っている。特にナッツは歯触りが良く、また、肉は挽肉でないため、一つずつが存在感があって美味い。普段なら辣油などを出すのだが、何も加えなくても充分辛い。

麺は細めながら縮れ麺で噛みごたえがある。ただ、平皿のためタレを麺にかけようとしてもレンゲではなかなか難しくイライラする。

タレの味はやや酸っぱさがあるが、色々と混ざっていて複雑な味で食べ進めるほど美味さを感じるようになる。さすがに担々麺を売りにするチェーンだけのことはあった。ご馳走さまでした。

紅虎餃子房人形町店
中央区日本橋人形町1ー16ー10
0356145305