昭和十年に始まるお話。とくれば昭和十一年二月二十六日のあの事件に収斂されていくのではと予感。
ヒロインは女子学習院に通う笹宮惟佐子(いさこ)。空恐ろしいほどの美貌の持ち主で、同時に囲碁と数学に長じている。意図的に、徹底して名探偵的キャラに設定してある(伏線)。
俗物で、天皇機関説を排撃することでようやく政治的に生き残ろうとする惟佐子の父親は伯爵。彼は娘のことがまったく理解できないでいる。
語り手は惟佐子と、彼女の“おあいてさん”(家柄の確かな娘を遊び相手に選択する風習が当時の貴族にはあったようだ)だった職業婦人の牧村千代子がメイン。同じパラグラフのなかで平気で語り手が交代するので油断がならない。
事件のはじまりは、惟佐子の親友、寿子の行方がしれなくなったことだった。彼女はその後、陸軍士官と富士の樹海で心中死体となって発見される。しかし惟佐子のもとへは、寿子が仙台から投函したハガキが送られてきていた……
悠揚迫らぬ語り口。昭和初期の風俗と、天皇機関説を批判することで世論が次第に国家主義に染められていく過程がじっくりと説明される。
速読のわたしが、このミステリを読み終えるのに二週間もかかってしまったのは、穏やかな展開がひたすらに心地よく、毎晩すぐにお布団のなかで気を失ってしまったからです(笑)。
しかし終盤は突っ走る。およそこれほど過激な思想と犯罪の動機がミステリのなかで語られたことがあったろうか。しかも、名探偵で語り手であったはずの惟佐子が、読者の意表を突くようにさまざまな男性に身をまかせていくのに驚かされる(それには理由がある)。
日本の天皇制について、奥泉光らしいシニカルで冷徹な考察がなされており、国家主義を突き抜けるとむしろ天皇制を……あ、ネタバレになってしまう。暴走する軍にしても、ある思想を体現する犯人にしても、その来し方、行く末はまことにあやうい。雪でできた階段、というタイトルはそれを象徴している。