三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

国家=カルト教団

2007年03月10日 | 政治・社会・会社

 日本はまだアメリカの植民地なのでしょうか。
  たとえばアメリカンダイナーといった類のレストランに入って、従業員が白人と黒人ばかりで接客が英語またはカタコトの日本語だったら、私たちはどういう態度をとるでしょうか。ふざけるな!と大声で怒鳴りまくる? そうですね、もちろん中にはそういう人もいるでしょう。しかし圧倒的に多いのは、自分も英語を話してなんとかコミュニケーションをとろうとする人の方だと思います。その方が、多分楽しいからです。フランス料理店でフランス人にフランス語で上品に迎えられたり、イタリア料理店でイタリア人にイタリア語で陽気に迎えられたりした場合も同じだと思います。実際にそういう店舗がありますが、人種や民族についての苦情はありません。
  ところがこれが中華料理店で従業員が中国人ばかり、接客が中国語またはカタコトの日本語だったら、どうでしょうか?  自分も中国語を話してなんとかコミュニケーションをとろうとするでしょうか?  もちろん中にはそういう人もいるでしょう。しかし圧倒的に多いのは、ここは日本なのだから日本語を話すべきであるという考え方の人です。中には怒り出す人もいます。実際にそういう人がかなりいまして、店舗にはたくさんの苦情が入ります。曰く、ここは日本だぞ、中国人なんかを使うなとか、店内で「チャイ!」などと叫んだりします。店長は大変です。現場だけでなく本社に電話をしてくる人もいます。言うことは同じで、中国人に対する差別意識が丸出しです。欧米と中国とで、この違いはどうして生じるのでしょうか?

 英語は義務教育で習ったが中国語は習っていないとか、そういう問題ではないでしょう。中国語に限らず、フランス語もイタリア語もたいていの人は習っていないはずです。どうしてフランス料理店のギャルソンがフランス語を使うのはよくて、中華料理店の中国人が中国語を使うのは許せないのでしょうか? フランス人が上品で中国人が下品だから? そうですね、そういう場合もあるかもしれません。しかしひょっとすると、日本人である私たちの勝手な先入観で、フランス人は上品と思い込んでいるのかもしれないし、同じように中国人は下品だと思い込んでいるのかもしれません。

 戦後から随分と時間が経ったのに、私たち日本人は未だに白人に対する妙な劣等感とアジア諸国に対する根拠のない優越感を持ち続けているのでしょう。創価学会のことを嫌いな人が、池田大作が北朝鮮出身であるとかないとか、瑣末な問題をことさらに強調するのは、北朝鮮に対する差別意識の現われです。池田大作が朝鮮人の血を引いていてもそれが彼を非難する理由にはなり得ないことぐらい、小学生でもわかります。日本は朝鮮半島を通じて昔から大陸と交流があり、日本に帰化した朝鮮人、中国人も沢山いて、その血が混じって今に至ると考えるのが自然であり、純血種の血統書付の日本人なんてものは簡単には証明できないはずです。

 人類の歴史では、人に知恵がつくと、生産性を上げ生活を向上させるために必然的に形成されたのが共同体であったが、いつかその誕生の理由は忘れ去られ、共同体の存続こそが目的であるかのようにすり替えられてきました。そこに使われたのが帰属意識を煽るという方法で、国家の歌やマークや国鳥、国花、国技などが決められ、それがさも美しく貴く気高いかのように宣伝されました。また、共同体に反発する者、反体制派は非国民と罵られて弾圧されました。共同体の構成員たる国民は、まんまとそういった手法に騙されて、共同体の存続が自分の幸せであるかのようにすり替えの論理にどっぷり浸ってしまいました。精神構造を操られてしまったのです。オウム真理教などの新興宗教が行う洗脳と全く同じで、国家という共同体は構造的には、大がかりなカルト教団そのものであると言うことができます。そう考えると納得できることばかりです。

 カルト教団であれば、他のカルトを敵視し差別するのは当然のことであって、互いに非難し合い罵詈雑言をぶつけ合ってときには戦争もします。アメリカという巨大なカルト教団は巨大であるがゆえに多様性を持ち時に他国に干渉し、時には武力で攻撃します。自分の国は核兵器を持っていてときどき核実験をしてもいいが、他国にはそれを許さないという身勝手な論理は、カルト教団そのものでしょう。「星条旗よ永遠なれ」を歌って感動しているアメリカ人と、池田大作の言葉に感動して泣いている久本雅美は、同じ精神構造なのです。

 国家という共同体=カルト集団の洗脳は、オウム真理教の比ではありません。なにせ共同体が生まれるのは必然性があってのことですから、その後の論理のすり替えを意識する人などあまりいないのです。『美しい国、日本』という言葉がどこまでも共同体の論理であって、個人のための言葉ではないこと、帰属意識を高めようとする洗脳の言葉であることを、私たちはあまり認識していません。しかし事実はそうなのです。共同体の支配層にある人々は、共同体の存続が自分たちの地位を守る大前提であることくらい、わかっています。そのために帰属意識を煽る。国外に敵を設けて、それを共同体の敵、国家の敵、そして国民の敵とすることで帰属意識は煽られます。すなわち洗脳されるのです。

 グローバル化などというよくわからない言葉があります。国家というカルト集団がその殻をアメーバのように伸縮させて、別の国家と交わるような印象の言葉ですが、ひとりひとりの個人は、共同体に洗脳されたまま国家国民という固い殻を心の鎧にして、とてもグローバル化どころではありません。少なくとも朝鮮半島の人間を「チョン」中国人を「チャイ」と呼ぶような人は、国家というカルト集団に骨の髄まで洗脳されている、精神的な不具者、狂信者であると言わざるを得ません。北朝鮮もカルト集団ですが、アメリカという巨大で凶悪なカルト教団に追随している日本という国家共同体も、アメリカと同じくらい下劣なカルト集団そのものなのです。