毎日会社で苦情処理をしていますが、このところ気のせいか日に日に苦情の度合がヒステリックになってきているように感じます。
最低だった。
最悪だった。
最低最悪だった。
自分は客である。
自分は被害者である。
自分には何の落度もない。
責任はすべてそちらにある。
納得のいく説明をしろ。
そちらには説明をする義務がある。
何月何日までに説明しろ。
納得がいかない場合は訴える。
気持ちは分かりますが、もう少し精確な言葉を使ったらどうでしょうか。「最低」だとか「最悪」だとかは本来、ひとつのグループの中で最も劣っている要素を言う言い方で、「森内閣の支持率はこれまで支持率調査を行った内閣の中で最低だった」や「ブッシュJr.は歴代で最悪の大統領だ」という使い方が正しい使い方です。また、客であるというだけで、どこまでも要求できる訳ではありません。説明を求めるのは構いませんが、期限を区切るのは相手に負担を強いることになり、強要罪が適用される場合があります。「訴える」というのも、安易に使ってはいけない言葉です。「訴える」と言って、間もなく実際に訴えるのであれば問題ないのですが、実際に訴えるのではなく、何かを要求して、さもなくば「訴える」という使い方をすると、間違いなく脅迫行為に該当します。
飲食店の苦情の中には次のようなものもあります。
最低だった。
最悪だった。
最低最悪だった。
自分は客である。
そちらの商品を食べて体を壊した。
自分は被害者である。
そちらは加害者である。
ついては治療費、交通費、慰謝料を払ってもらいたい。
ついでに料金も返金して欲しい。
さもなければ、保健所に報告する。
マスコミにも言う。
場合によっては訴える。
最近はウィルス性の感染性胃腸炎が流行しているようで、一次感染はたいてい二枚貝から、二次感染はウィルス保菌者からの感染です。発症した人の原因が一次感染なのか二次感染なのかは判定が難しく、二次感染が一次感染に比べて少ないとは限りません。しかし多くの人は二次感染を意識せず、一次感染だけを考えます。そしてたいていの場合、最後に食べたもののせいにしがちで、それが外食なら尚更です。
感染性胃腸炎は文字通りウィルスに感染することで発症するもので、たとえばノロウィルスであれば12時間から72時間の潜伏期間があります。だからランチを食べて夕方に吐気や下痢の症状が出たのであれば、そのランチで感染したのではなく、朝食か前日の夕食か、またはそれ以前に食べたものが原因であるか、あるいは食べ物ではなく、たとえば感染した人の吐瀉物が乾燥して空気中に漂っているのを吸い込んだといった二次感染であるかのいずれかです。また、病院で食中毒と診断した医師は、24時間以内に保健所に通告しなければならず、通告を受けた保健所は直ちに当該の事業所を検査しなければなりません。だから医者に罹れば食中毒かどうかはっきりしますし、食中毒の場合は自動的に保健所に通告してもらえる訳で、飲食店としては是非医者に行ってもらいたいのですが、思い込みの激しい人は一度あのランチのせいだと決めつけてしまうと、どんなに説明しても納得することはありません。そして厄介なことに苦情を言い立ててくる人のほとんどが、そういう思い込みの激しい人たちなのです。自分が食中毒やウィルスに関する正しい知識を持っていないことを素直に認めて苦情を撤回する人など、先ずいません。逆に言えば、思い込みが激しいからこそわざわざ苦情を言ってくるのです。誰しも、自分が100パーセント正しいと思っていなければ、苦情なんて言えるものではありません。中には確信がなくても連絡をしてくる人もいますが、そういう人は他にも似たような症状が出た客がないかどうか確認するために連絡してくるもので、苦情とは少し違います。また、嘔吐や下痢の症状の他に治療費だの休業補償だの交通費だのといきなり請求してくる人もいます。これまでの経験ではそういう場合、ほとんどが詐欺まがいの不当要求でした。そういう不当要求に対しては、毅然とした態度で応対することで、必ず撃退できます。
厄介なのは、何も要求するでもなく、ただ言葉遣いが悪かったとか、それが客に対する態度かとか、客商売のこちらが逆らえない理屈を延々と言い続ける人たちです。ただ怒りたいだけ、ただストレスを発散したいだけ、傷ついたちっぽけなプライドのために報復したいだけという、極めて不寛容な人たちです。どうしてこれほど不寛容な人々が増えたのでしょうか。何でも訴訟の不寛容の国、アメリカの真似なのでしょうか。
自民党によるアメリカ追従の政治が生んだ格差は、経済的に貧しい人々を大量生産しただけでなく、他人を許すことのできない、心の貧しい人々も大量に生み出してしまったような気がします。デパートで年間数百万円も買い物をする高額所得者が、高校生のアルバイトの言葉遣いが悪いことを延々と言い立ててきたりします。社長名で謝罪文を出せとまで要求してきます。お金持ちだからといって、寛容とは限らないのです。貧しい人もお金持ちも、押しなべて心が貧しい国、日本はそんな国になってしまいました。