映画「君の忘れ方」を観た。
昨年は相次いで年配社員が亡くなった。ふたりともひとり暮らしの独身男性で、出社してこないから部屋を訪ねてみると死んでいた、というパターンだった。
人間が死んだら、人格も何もなくなってしまうことは、誰もが知っている。しかし、ふとした瞬間に、面影が蘇ることがある。幽霊を信じるのではなく、死を消化しきれていないのだ。
年配の孤独死は、家族を探すことからはじまるが、それは警察の仕事だ。家族から連絡が来ない限り、葬式にも出られない。
だから二人のお別れ会を催した。二人とも社歴が長いから、たくさんの人々が参加してくれた。社員たちは、それなりに納得した顔をしていた。セレモニーには、それなりの意味があるのだ。
故人を偲ぶのは、義務でなくて権利だと思う。一番思うのは、あの人たちが生きているときに、何をどのように感じていたのかなということだ。
人と人とは決してわかりあえないが、想像することはできる。感謝することもできる。死者に感謝することは、死者に対する何よりの弔いだ。
近しい人のロスに対して、おせっかいな口出しをしてくる人がたくさん登場する作品だが、主人公が懐の深さをみせて、単純に拒否しないところがいい。もっとも、主人公の寛容がなければ、本作品は成立していない。脚本家という設定が、その寛容さを担保している。いろいろと考えさせられる作品だった。