三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

地方の貧しい無職の老人

2008年01月12日 | 政治・社会・会社

元旦の午後に僅かに曇ったのを除くと、正月の間東京は雲一つない快晴で、風もなく快適でした。しかし全国の天気を見るとかなり荒れていて、地域格差が天気にも象徴的に現れたかのようでした。吹雪で外に出られずひっそりと閉じ籠っている以外にない地方の人々に対し、小春日和の賑やかな街をのんびり散歩する都会の人々という構図です。
実際に三が日でも東京ではお店は結構開いていて、食事や日用品を買うのには困りません。シャッター通りが続き、コンビニが撤退する地方の状況とは対照的です。この格差を思うたびに憲法の「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文を思い出します。この条文を守ろうとするなら、格差があるときにそれを調整してなるべく平等にするのが政治の役割となります。豪華な議員宿舎について「住みたければ国会議員になればいい」と発言するような傲慢さでは困るのです。地方が寂れて不便だからといって「だったら東京に住めばいい」と、田舎に住む高齢者に対して言える人はいません。また、田舎に住む人々も都会に移り住むことなど望んではいません。田舎には都会にない魅力があったり、幼馴染みや親戚が住んでいたり、代々受け継いだ土地や家屋があったりします。簡単に投げ出せるものではありません。しかし小泉や安倍政権はそこら辺の事情は一顧だにせず、次のような考え方を国民に喧伝しました。

田舎の人は都会に移り住めばいい

貧しい人はもっと頑張ればいい

仕事のない人は見つければいい

田舎に住んでいるのは自己責任

貧乏なのは自己責任

仕事がないのは自己責任

そして市場原理主義による弱者切り捨て政策によって格差社会を実現したのです。これでは、ずっと働いて税金を納めてきた、地方に住んでいる無職の貧しい老人が切り捨てられてしまいます。何のためにこの絶望的な時代を生きてきたのかわかりません。もちろん、賛同したのはそれで儲かる大企業経営者たち、税制で優遇されるお金持ちたちでした。経団連のオテアライがその代表です。この人は、追従大臣の舛添が「家族団欒法案」と表現を変えて誤魔化し、国民を騙そうとした残業代ゼロ法案を、何も考えていない安倍政権に強力に押して成立させようとしたり、自社のキヤノンで偽装請負をしていることで有名です。
大企業には利益追求だけではなく、それなりの社会的責任があります。それを理解していないと商品の偽装や改竄をしてまで利益を優先し、それがバレて消費者の信用を失い、または当局の追及を受けて営業停止や上場廃止、役員の辞任や訴追という事態に陥ることになります。老人や身体障害者などの、自分の会社の客にも労働者にもなりそうにない人たちのための予算を徹底して削減し、大企業が儲けるためだけの予算を組ませようとロビー活動をする冷血たちがなるべく早く刑務所に放り込まれることを、全国の弱い人々は心から願っています。そういう連中と組んで私腹を肥やし、自分の保身と目先の利益、次の選挙で当選することだけに汲々として、国民の税金を湯水のように浪費する自民党の政治家ともども、早く野垂れ死んでほしいことも、併せて祈っています。