三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「11 minut」(邦題「イレブン・ミニッツ」)

2016年09月02日 | 映画・舞台・コンサート

映画「11 minut」(邦題「イレブン・ミニッツ」)を観た。
http://mermaidfilms.co.jp/11minutes/

登場人物の全員が俗物であり類型的である。だから誰にも感情移入できない。人物が映画に登場するためには、多かれ少なかれ、理由が必要だ。典型に対する類型、正義に対する悪、または特別な生い立ちや体験など、映画のシチュエーションに合った人物でなければならない。
しかしこの映画では、そこら辺にいそうな俗物たちが、それぞれの小さな欲望のために利己的に動くだけだ。並列的に描かれるので、誰を中心に見ればいいのかわからず、注意が散漫になってしまう。簡単に言えば退屈ということだ。
ラストシーンも期待外れで、この映画を作った意図が理解できない。偶然の事故に巻き込まれる話なら、震災の被害者を取材した短いドキュメンタリーの方が、まだ状況を理解できるし、同情も共感もできる。


映画「High-Rise」(邦題「 ハイライズ」)

2016年09月02日 | 映画・舞台・コンサート
映画「High-Rise」(邦題「 ハイライズ」)を観た。

だだっ広い土地にいくつかのマンションが建っている。ひとつのマンションはひとつの国家として描かれる。国家には階層があり、上の階ほど金持ちで権力がある。最上階に住むマンションの設計者が支配者だと思われているが、実際はそれほどの力はない。
停電をきっかけにパニックが起き、最初は下の階が被害を受けていてのがだんだん上階へと広がっていく。
死は日常的で性の倫理は忘れ去られる。結社があり、裏切りがあり、詐欺がある。反体制派がいて、権力による弾圧がある。変化を求める者と変化を受け入れられない者。どこまでも関わる者と傍観する者。
国家は常に矛盾を抱え、支配層も被支配層も本音を隠し続けることで、何とか体裁を保っている。しかしひとつのきっかけで各階級の本音が火山のように噴火する。映画は、いまの国家が薄氷の上に乗っていて、いつの日にかどうしようもなく崩壊してしまうだろうことを暗示している。そして共同体が崩壊したあとの劣悪で理不尽な状況でもなお、人間は日常的に生きていくのだ。

映画「Tudo Que Aprendemos Juntos」(邦題「ストリート・オーケストラ」

2016年09月02日 | 映画・舞台・コンサート

映画「Tudo Que Aprendemos Juntos」(邦題「ストリート・オーケストラ」)を観た。
http://gaga.ne.jp/street/

先日観た「Les Heritier」(邦題「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」)も落ちこぼれの学生たちが歴史コンクールを目指して努力するうちに、様々な問題に立ち向かえるようになっていくという映画だったが、こちらはスラムの子供たちが音楽を通じて荒んだ生活から抜け出そうとする映画だ。「Les Heritier」のレビューにも書いたが、日本で放送中のドラマ「仰げば尊し」に似ている。設定は少しずつ違うが、コンセプトは同じである。
同じコンセプトの映画やドラマがフランスとブラジルと日本で同時期に作られたのは、偶然ではないと思う。

世界は価値観が停滞し、閉塞状況にある。共同体や組織の同調圧力が強く、個人の価値観は軽んじられるのだ。そして個人の価値観を実現するためには共同体の価値観に認知されることを目指すしかないという撞着に陥る。結局は金持ちになるかならないかという話になってしまう。勝ったら金持ちになるスポーツマンと同じだ。
この映画も例外ではなく、だから抜本的な救済はない。しかしシビアなブラジルで作成された映画だけあって、日本のドラマと違って安易な和睦に至ることなく、現実を見据えたままだ。世界は救いようがないが、それでも人生がある。


真実とは何か~映画「ニュースの真相」

2016年09月02日 | 映画・舞台・コンサート
映画「Truth」(邦題「ニュースの真相」)を観た。

George.Walker.Bushはアメリカ史上最悪の大統領だ。同時期に総理大臣だった小泉や暗愚の宰相アベシンゾウを選んだ日本国民も同レベルであると言える。他の国も似たり寄ったりで、要するに世界中のレベルがその程度なのだ。
George.Bushは特に特に酷い。911のテロ被害を受けたからと、ありもしない核兵器をあると強弁して無理やりイラクを攻撃し、たくさんの人を殺した上に、たくさんの米兵を精神異常にした凶悪犯人である。全米ライフル協会の支持を受けていて兎に角武器を使うことが大好きな上に、軍需産業にバックアップされているから、需要を生み出さねばならないという背景もあったが、弾丸やミサイルが余っているからという理由で殺された無辜の人々はたまったものじゃない。アメリカ国民がこんな男を選んだと考えると、アメリカという国がいかに病んでいるかがわかる。アメリカほどではないが、日本を含めた他の国も、多かれ少なかれ病んでいる。

映画はそんなBushが再選を目論んでいるときに、Bushの経歴詐称を報道したテレビ関係者の物語だ。
綿密な調査を行ない、真実であるとの確かな心証が得られてから報道したものの、報道直後から政府関係者による様々な圧力によって事実が捻じ曲げられていく。
実際の事件では間違っていたとされる報道だが、映画では間違っていたのかどうかは不明のままだ。この姿勢は、真実というものがどこまでも観察者によって左右される相対的なものであるという観点から、正しい姿勢だ。
Robert.Redfordが覚悟のあるアンカーマンを好演していて、ジャーナリストのありようについて考えさせられる。権力になびいてばかりの日本のマスコミ人とは大違いだ。