三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Endangered Species」(邦題「クルーガー 絶滅危惧種」)

2022年04月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Endangered Species」(邦題「クルーガー 絶滅危惧種」)を観た。
映画『クルーガー 絶滅危惧種』公式サイト|4月8日公開

映画『クルーガー 絶滅危惧種』公式サイト|4月8日公開

映画『クルーガー 絶滅危惧種』公式サイト|4月8日公開|360度逃げ場のない絶望のサファリツアー、開幕

https://klockworx-v.com/kruger/

 原題は「Endangered Species」だから「絶滅危惧種」である。邦題の「クルーガー」の意味がわからない。南アフリカの国立公園だとしたら、キリマンジャロ山が見えるのはおかしい。地平線は約30キロメートル先である。高い山やビルはもっと遠くても見えるが、クルーガー国立公園からは、2,400キロメートル離れたキリマンジャロは見えない。台北からは2,000キロメートル離れた富士山が見えないのと同じだ。

 邦題のことは置いといて、本作品の主役は出来の悪い家族である。娘の彼氏のレゲエのお兄さんみたいな男が一番まともだった。無茶な旅をする一家がサイに襲われて酷い目に遭う話だが、アメリカ的な家族第一主義に対して、ケニア的なエコロジーが所々で割り込み、何を描こうとしているのか、ピントが合わない。

 エンドロールの前になって、密猟者が大量にいて動物を絶滅させているという紹介が出るが、毎年たくさんの種が絶滅しているのは、大抵の人が知っていると思う。立場によって絶滅種の数は異なるが、人間が絶滅させているのは間違いない。
 絶滅を悪とし、存続を善とするなら、人類の存在を真っ先に否定しなければならない。しかし人類にも絶滅の運命が待っている。

 有名な話だが、地球の歴史を24時間でいうなら、人類の登場は23時59分ころらしい。地球の歴史を1年に換算すると、人類の登場は大晦日の23時過ぎらしい。登場したばかりの新人が、地球を荒らしまくって種の絶滅を早めている訳だが、それも含めて地球の歴史だろうと開き直る考え方もある。電力を使わない生活に、いまさら戻れる筈もないのだ。

 人類は一発屋の芸人だ。出てすぐに消えてしまう。芸風を変えたからといって、ウケるとは限らない。あるいは預金を食いつぶしながら生きている家族だ。節約しても、預金はいずれ底をつく。贅沢は敵だ、欲しがりません勝つまではと頑張ってみても、勝利は絶対にないのである。

映画「Kursk」(邦題「潜水艦クルスクの生存者たち」)

2022年04月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Kursk」(邦題「潜水艦クルスクの生存者たち」)を観た。
潜水艦クルスクの生存者たち | キノシネマ kino cinéma 配給作品

潜水艦クルスクの生存者たち | キノシネマ kino cinéma 配給作品

キノシネマ kino cinéma 配給作品

 ロシアはゴルバチョフによる改革で全体主義から民主主義へと移行したかに見えたが、実際はそうでもなかったことは、エリツィン大統領とその後継者であるプーチンの政治で明らかになった。エリツィンのチェチェン侵攻からプーチンのクリミア併合、ウクライナ侵攻と、ロシアは世界から総スカンを食らう政治を延々と続けている。

 思うに、ロシアの官僚主義は日本のそれによく似ている。事なかれ主義と責任回避が蔓延して、誰も責任を取らない。自分で決定すると責任を取らなければならないから、上司の命令を待つ。上司は上司で、その上からの命令を待つから、結局は大統領の命令ですべてが決まる。イエスマンしかいないわけだ。それに加えて日本の官僚は、既得権益の死守と利権拡大と天下り先の開発には余念がない。ロシアも同じかもしれない。
 あまり報道されないが、厚労省がワクチン接種の横並びに固執した結果、ワクチンの使用期限が切れてしまった。地方自治体の首長たちが早く接種させろと訴えたにもかかわらず、厚労省の役人は批判を恐れて訴えを却下したのだ。世田谷区の保坂区長が怒っていた。
 その後、使用期限が切れたことが明らかになると、期限が切れても大丈夫だと強弁している。賞味期限切れの食材を使った飲食店は営業停止になるのに、厚労省のミスは許されるらしい。試しに厚労省を営業停止にしたらどうか。日本の衛生保健行政はずっと円滑に進むかもしれない。

 本作品でも、ロシア軍の官僚主義が救助を妨げる。軍人は基本的に命令には絶対服従だから、官僚や政治家が素早い決断をすればいいのだが、イエスマンばかりだと、誰も決定しない。そこで大統領の決断を仰ぐことになる。
 人命が大切なのか。それとも軍人は国のために死ぬ覚悟をしているから、国家の威信を優先させるのか。二者択一のように思えるが、実はそうではない。軍人も人間だ。人命に違いはない。つまり本当の二者択一は、国家なのか、国民なのかである。
 国民が主権の国を民主主義国、国家が主権の国を国家主義国と呼ぶ。ロシアは明らかに国家主義である。ファシズムだ。何のことはない、プーチンのロシアはナチスそのものなのである。

 理科の授業で、水を張ったビーカーにろうそくを立てて火を付け、上からフラスコを被せる実験をした人もいるだろう。火が消えるとどうなるかを憶えている人がいれば、本作品の出来事に納得すると思う。
 軍人も人間だから、命の危機に際しては生き延びようとする。本作品では緊迫した状況で、生き延びるための様々な努力が描かれる。訓練どおりにはいかないし、貧乏なロシア軍は給料もろくに払えないから、訓練も足りていない。にもかかわらず北極海で演習をする。愚の骨頂だ。軍人たちをほぼ使い捨てに等しい扱いをしている。この頃から、プーチンには合理的な思考が欠如していた訳だ。

 本作品で描かれる潜水艦内部のストーリーは創作だが、息を呑むシーンの連続である。特に潜水して道具を取りに行くシーンは、観ているこちらも息が苦しくなった。潜水艦内部の様子を描く一方で、陸で帰りを待つレア・セドゥをはじめとする軍人たちの家族の物語もちゃんと用意されている。
 命令を待つだけのロシア軍の官僚、命令に従うだけの軍人たち、給料もなくて苦しい生活を送る家族、そして民間人にも容赦のない諜報組織。事故を取り巻く人間たちの様子が立体的に描かれている。奥行きのある作品だと思う。