映画「メイド・イン・バングラデシュ」を観た。
ラストシーンは唐突な終わり方に思えたが、これでいいのかもしれない。主人公シムは、してやったりの笑みが浮かびそうになるのを押し殺して、厳しい顔で立ち去る。まだ何の成果も得ていない。やっとスタートラインに立っただけだ。これから長い戦いが待っている。シムの決意の表情が見て取れた。
バングラデシュはイスラム教徒がインドから独立したパキスタンの内、インドの東側にあるから東パキスタンと呼ばれていた。災害救助の不十分に対する不満などが原因で、バングラデシュとしてパキスタンから独立したのが1971年だから、およそ50年ほどの歴史である。
イスラム教だから女性は差別されている。シムの夫は無職でシムに家賃を払わせているくせに威張っていて、シムに言うことを聞かせようとする。シムは、結婚しても女性に自由はなく、相変わらず差別されていると嘆く。
それでもシムは決まった時間に礼拝し、夫と別れようとはしない。そこが理解できないところだが、イスラム教徒の女性は、イスラム教が女性を差別しているとは思っていないようである。男が働いて、女は家で子供を育てる。戦後の日本のパラダイムと同じだ。
バングラデシュが戦後の日本と違うところは、朝鮮戦争特需やベトナム戦争特需などがなく、自力で価値創造をする力もなかったため、独立してからずっと貧しいという点である。人口が多いことも貧しさに拍車をかける。増えないGDPを増え続ける人口で分配するのだ。
シムが仲間に読んで聞かせるパキスタンの労働法は、日本の労働基準法の条文にそっくりである。解雇予告手当などは殆どそのままだ。労働者の権利を守る法律は、宗教や産業が違っても、同じコンセプトになるのだろう。フランスでは債権のうちで一番優先されるのが労働債権である。日本では担保付債権や税金が労働債権に優先する。
シムたちが勤務する縫製工場は、劣悪な環境と長時間労働、それに時間外勤務手当の不払いなど、ブラック企業そのものである。給与明細もなく現金をそのまま渡すところなどは、ブラック企業も顔負けだ。経営者は先月の給料も支払わないくせに、深夜まで残業をさせる。
その上、労働組合ができると工場は閉鎖されて、お前たちは職を失うことになると脅す。典型的な論理のすり替えである。工場が閉鎖されるのは経営責任であって、労働組合の成立と直接的な関係はない。労働組合が労働環境の改善と待遇の向上を要求するのは当然で、それがただちに工場の閉鎖に結びつくことはない。
シムはこれからたくさん勉強して、経営者の論理のすり替えをみんなに説明できるようになって、団結力を高めて戦わなければならない。団結した労働者との交渉を繰り返した結果、労働者の権利を理解した経営者は、労働法を遵守するためにクライアントと価格交渉を行なって、自分たちの製品をもっと高く売る努力をしなければならない。そのためには日本や欧米の多国籍企業の言いなりではだめだ。オリジナリティのある商品を作って、新しい価値を生み出さなければならない。労働者の協力が必要だ。
経営者をそういう方向に仕向けることがシムの使命である。労働者が豊かになれば国も豊かになる。女性たちが社会で才能を発揮する機会も増える。人々はイスラム教から離れ、女性差別は漸減していく。
ラストシーンの続きを巨視的に想像してみると、いい方向に向かいそうだが、そこは不条理な存在である人間のやることだ。必ず紆余曲折がある。シムの戦いには終わりがない。ずっと険しい上り坂である。なんだかシムを応援したくなった。ラナ・プラザの悲劇は繰り返してはならないのだ。