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風向き急変し突風、炎が3人巻き込む 静岡・野焼き事故

2010-03-21 16:40:38 | Weblog
野焼きに巻き込まれ3人死亡…東富士演習場 2010年3月21日 読売
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100320-OYT1T00475.htm
 静岡県御殿場市の陸上自衛隊東富士演習場で野焼きの火が燃え広がり、作業中の男性3人が火に巻き込まれ、全身やけどで間もなく死亡が確認された。
 県警は安全管理上の過失がなかったかどうか調べている。
 御殿場署などによると、3人は、地元の消防ボランティア組織「火防隊」のメンバーで、勝間田和之さん(37)、勝間田嘉弘さん(33)、池谷慶市さん(32)とみられ、身元の確認を急いでいる。
 発表などによると、野焼きは1973年から害虫駆除などを目的に、住民組織「東富士入会組合」が毎年春先、自衛隊の協力を得て実施。この日は住民約500人が5人1組となり、約3000ヘクタールを五つのエリアに分けて作業、勝間田さんら3人は同じグループだった。
 午前9時25分に枯れ草状態になったカヤに火を付けたが、強風のため同組合が同10時5分、中止を呼びかけたという。陸自隊員約700人も延焼防止などのために参加していた。
 中止指示を受け、消火活動が行われたが、予定する面積をほぼ焼き、鎮火したのは午後8時頃だった。
 静岡地方気象台によると、午前中の御殿場市の天候は晴れで、風速7~8メートル。午前9時45分頃、最大瞬間風速16・4メートルを記録したが、強風、乾燥注意報は出ていなかった。
 今年の野焼きは2月27日の予定だったが、悪天候などのため4回延期されたという。東富士演習場の総面積は約8805ヘクタールで、御殿場市、裾野市、小山町にまたがる。

風向き急変し突風、炎が3人巻き込む 静岡・野焼き事故 2010年3月21日 朝日
http://www.asahi.com/national/update/0321/TKY201003200389.html
 静岡県御殿場市の陸上自衛隊東富士演習場で20日、野焼き作業中に男性3人が死亡した事故は、風向きを変えた突風が火をあおり、3人を巻き込んだことが御殿場署への取材でわかった。静岡地方気象台によると、事故の直前には最大瞬間風速16.4メートルを記録していた。同署は、野焼きの実施判断や安全対策などに問題がなかったかを調べる。
 野焼き作業は、害虫駆除などを目的に「東富士入会組合」などが実施し、地権者や自衛隊員ら1100人以上が参加。演習場約8800ヘクタールのうち約3分の1を野焼きする予定だった。
 御殿場署によると、死亡したのは、同市川島田地区の地域防火組織から参加した、いずれも会社員の勝間田和之さん(37)、勝間田嘉弘さん(33)、池谷慶市さん(32)の3人。
 同署によると、死亡した3人が所属していた作業班は5人1組で着火作業をしていた。静岡地方気象台によると、当時の風向きは南南東。5人は縦1列となって幅4メートルの道を歩き、風向きとは反対方向の斜面に火をつけていたという。午前10時すぎ、突然風向きが変わり、火をつけていた方向から突風が吹きつけてきた。先頭を歩いていた3人が火に包まれ、火の勢いがおさまると、3人は焼けた斜面に倒れていたという。
 作業には、自衛隊員が協力部隊として、類焼防止などにあたっていた。事故が起きた作業班は、自衛隊員が100メートルほど後方で、火の状況を確認していたという。
 作業を指揮する統制本部にいた入会組合の勝間田祐一事務局長によると、参加者は午前8時半に現地に集合。風速5、6メートルだったため、作業は可能と判断し、午前9時25分ごろに着火を指示した。午前10時5分ごろ、風が強くなったため、新たに火をつけるのをやめるよう無線で指示したが、その数分後に、作業中の自衛隊員から「火に巻き込まれた人間が3人いる。搬送用の車を用意してくれ」と連絡が入ったという。
 静岡地方気象台によると、同演習場付近は、この日午前の風速は平均7メートルほどだったが、断続的に強い風が吹き、午前9時47分には最大瞬間風速16.4メートルを記録した。当時、強風注意報や乾燥注意報は出ていなかったが、普段よりも火の扱いに注意を必要とする「火災気象通報」を発表していたという。
 野焼き作業は入会組合などが毎年実施。御殿場市に提出された作業実施計画書によると、この日の作業には地権者ら地元関係者約430人、自衛隊員約700人が参加。演習場内を五つの作業区に分け、地域ごとに5~50人で作った班が着火作業などをしていた。自衛隊員はシャベルや水が入った容器を背負って各班に同行したほか、ヘリコプターで上空を巡回していたという。
 陸上自衛隊富士学校総務課広報班は「自衛隊の対応について問題はなかった」と話した。

野焼き3人死亡:「風強いが」言い残し…家族の心配現実に  2010年3月21日 毎日
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100321k0000m040059000c.html
 静岡県御殿場市の陸上自衛隊東富士演習場で20日に起きた野焼きの延焼は、瞬く間に3人の命を奪った。例年、地元に春を告げていた風物詩が、なぜ惨事に一変したのか。病院で遺体と対面した関係者が言葉を失う中、親族の男性(63)は「責任者はどんな指示をしたのか。こんなことがあってはいけない」と語気を強めた。
 3人が搬送された御殿場市新橋の富士病院では20日午後2時過ぎ、遺族ら約20人が駆け付けた。関係者から当時の状況の説明を受けた後、遺体と対面。病院から出てきた女性は泣き崩れ、男性に両脇を抱えられていた。
 3人はいずれも地元の消防ボランティア組織「原里火防隊北畑支隊」に所属し、防火活動に携わっていた。亡くなった池谷慶市さん(32)の父喜市さん(62)は「顔が真っ黒くなっていて分からなかった。家に早く連れて帰りたい」と涙を浮かべた。喜市さんによると、池谷さんは4~5年前に同隊に入り、当日は「風は強いけれど中止という連絡がないので行ってくる」と言って家を出たという。喜市さんは「(慶市さんが)出掛ける時に『本当にこの風でやるのかな』と言っていたのが耳に残っている。富士山周辺の風は予測がつきにくいから心配していた」と話した。
 関係者によると、野焼きは当初2月27日に実施する予定だったが、降雪で延期。次に予定していた3月13日も天候が悪かったため再延期し、20日に行ったという。病院に駆け付けた御殿場市職員(59)は「風が強いので『危ない』と仲間と話をしていた。ただ、何度も延期しているし草も伸びているので(実施主体の)入会組合もやってしまおうとなったようだ」と話した。
 遺体を乗せた車は午後3時半ごろ、御殿場署に向けて出発。火防隊の法被を着た約10人が沈痛な表情で敬礼して見送った。

直前に演習場内で飛び火 御殿場の3人焼死野焼き 2010年3月21日 産経
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/100321/dst1003210929001-n1.htm
 静岡県御殿場市の陸上自衛隊東富士演習場で野焼き作業中の3人が死亡した延焼火災の数十分前、南東に約6キロ離れた演習場内の林に野焼きの火が強風で飛び火し、3ヘクタール近くを焼く林野火災が起きていたことが21日分かった。
 3人の焼死も強風による延焼が原因とみられ、県警は野焼き作業の進め方などに問題がなかったか調べている。
 県警によると、20日午前9時15分ごろ、地元の入会組合などが東富士演習場で実施した野焼きの火が強風の影響で、同県裾野市が管理している演習場内の造成林に飛び火し、約2・9ヘクタールを焼失した。けが人はなかった。
 約6キロ離れた御殿場市の現場では午前10時ごろ、野焼きの火が燃え広がり、勝間田和之さん(37)ら3人が逃げ遅れて死亡した。




 ………。昨日から始まった3連休の初日。私はお彼岸の時期ということもあり、親戚と一緒にお墓参り(2箇所)に行っていたのですが、こちらでも風が強く、先にいった場所ではかろうじて線香にだけは火をつけることができたものの、ろうそくはつけてもすぐに消えてしまうため断念。 もう1か所に至っては、火をつけることそのものが危険なくらい強い風が吹いていて、ろうそくも線香もなしでお参りしてきたのですが、帰って来てテレビをつけた途端 飛び込んできたこのニュース報道には、本当に吃驚させられました。
 非常にやり切れない思いがすると共に、『なんでよりによってこんな風の強い日に野焼きなんて…(絶句』と最終的にゴーサインを出した責任者の方の判断の甘さに怒りを感じずにはいられません。
 参加していた人達も全くの素人というわけでもなさそうですし、まして一緒に参加した自衛隊員ならば火の怖さというものは嫌という程わかっているはず…。まあ、人出を集めることができる3連休のうち、あとの2日は天気が荒れることが予想されたため、多少の風ならば延期できない との思いから中止の判断が遅れたのかもしれませんが、結果はこのような悔やんでも悔やみ切れない結果に…。
 亡くなられた方とその遺族には心からお悔やみ申し上げると共に、今後二度とこのような悲劇(人災?)を引き起こさないためにも、イザという時の避難基準や実施するか中止するかの判断基準など、野焼き実行時の二重三重の安全対策の作成をきっちり取り決めて欲しいと本気で思います。

(14日の選挙戦)輪島市長に梶氏再選 中浦氏と6436票差 投票率78.26%

2010-03-21 16:36:15 | Weblog
(14日の選挙戦)輪島市長に梶氏再選 中浦氏と6436票差 投票率78.26%  梶 文秋氏 2010年2月15日 北國
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20100315103.htm
 任期満了に伴う輪島市長選は14日、投票が行われ、即日開票の結果、現職の梶文秋氏(61)=無所属、同市鳳至町=が1万3752票を獲得し、会社社長で新人の中浦政克氏(46)=無所属、同市河井町=に6436票差で再選を果たした。投票率は78・26%だった。
 梶氏は昨年12月10日に立候補表明後、自民党県連、社民党県連合、市経済団体協議会などの推薦を受け、市内全域で市政報告などを実施。合併後の新輪島市の初代市長として能登半島地震からの復興などに努めた実績を基に、企業誘致や地場産業、子育て支援、高齢者施設の整備などを訴え、幅広い層の支持を得た。
 中浦氏は昨年12月8日の立候補表明の後、まちづくり活動や同級生らの人脈を生かして草の根戦術を展開し、市政刷新を呼び掛ける主張の浸透を図ったが及ばなかった。
 梶氏の任期は3月19日から4年間。当選証書付与式は15日、市役所で行われる。
●かじ・ふみあき 1967(昭和42)年輪島高卒。輪島市職員を経て91年同市議。98年、同市長に初当選し02年再選。06年3月、新輪島市長選初当選。全国市長会副会長。石川県過疎地域自立促進協議会長。輪島市鳳至町下町127。
★石川県輪島市 市長選挙結果
当 13752 梶文秋 61 男 無現 輪島市長
  7316 中浦政克 46 男 無新 和菓子会社社長



 石川県輪島市は、県北端の能登半島に位置する(輪島塗や朝市で有名な)2006年2月1日に旧輪島市と門前町が新設合併してできた人口3万人程の市で、市長選は旧輪島市時代の98年から市長を2期務め、4年前の前回選挙でもライバル候補に12倍弱の圧倒的格差をつけて再選(旧輪島市時代も含めると3期12年)された現職の梶文秋氏に対して、46歳で和菓子会社社長の中浦政克氏が挑みましたが、
 「この厳しい局面で、新しい風だけで何かが変わることはない」新幹線金沢開業などを見据え、「この3、4年が大事な時期。(変化より)安定した市政運営を目指さなければ」と現政権の継続を訴えた現職の梶文秋氏が13752票を獲得し、
 「この12年間でインフラ整備も進んだが、有効に生かされておらず、生活の豊かさにつながっていない」と指摘すると共に、「上意下達でなく、みなさん一人ひとりに参画していただき、将来を築く。輪島をしっかり変える」と訴え7316票を獲得した中浦政克氏 に6000票あまりの大差をつけて再選を決めました。

 4年前の前回市長選では(当時57歳で現職の)梶氏に対して、当時80歳の候補が出馬したものの勝負にさえならなかっただけに、今度は現職よりも15歳も若い候補を擁立したものの、市民は現職の梶氏に引き続き舵取りを任せる選択を行ったようです。
 過疎や高齢化が進み、不況の影響で観光や漆器業も低迷する中、再選を決めた梶文秋氏は次の4年間でどのような実績を残してくれるのでしょうか…。

(14日の選挙戦)大田原市長に新人・津久井氏 千保氏の6選阻む 栃木

2010-03-21 16:29:31 | Weblog
(14日の選挙戦)大田原市長に新人・津久井氏 千保氏の6選阻む 栃木 2010年3月15日 下野
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20100314/295023
 任期満了に伴う大田原市長選は14日投開票され、新人の前県議津久井富雄氏(60)=無所属=が、6選を目指した現職の千保一夫氏(67)=無所属=に8447票の大差をつけ、初当選を果たした。選挙戦を通じて「市政刷新」を掲げ、5期20年続いた千保市政からの転換を訴えた津久井氏が激戦を制し、千保氏の6選を阻んだ。当日の有権者数は5万9984人。投票率は68・68%で、前回(55・03%)を13・65ポイント上回った。
 多選と財政が大きな争点となった今回の選挙。みんなの党代表の渡辺喜美衆院議員の有力支持者同士の対決で、市内の政党支部や業界団体の支持が二分する激しい選挙戦が展開された。
 津久井氏は、「権腐10年」などと長期政権による人事・財政の硬直化を指摘。既存の考え方にとらわれない市の組織改編や、事業仕分けなどの行財政改革推進を掲げ、支持を訴えた。終盤は小中学校の給食費無料化を公約に掲げ、子育て世代へのアピールにも力を注いだ。
 市議11人の支持を受けたが、津久井陣営は「草の根選挙」(選対幹部)を標榜。千保陣営に先駆けホームページを立ち上げるなど、早い段階からインターネットを活用。若者対象の集会にも力を入れ、従来の型にとらわれない選挙で上回った。
 千保氏は、市議の過半数の15人から支持を受けた上、新たに黒羽・湯津上両地区に後援会支部を組織。市内をきめ細かく歩き、「(国の政権交代など)大転換期に、市のかじ取りは私にしかできない」などと有権者にアピールしたが、多選批判の壁を越えられなかった。
★大田原市 市長選挙結果
当 24641 津久井富雄 60 男 無新 前栃木県議会議員、農業
  16194 千保一夫 66 男 無現 大田原市長、司法書士



 栃木県大田原市は、県北西部に位置する2005年10月に旧大田原市が湯津上村と同郡黒羽町を編入した人口約8万人程の市で、市長選は1990年から5期20年市長を務める現職の千保一夫氏に対して、前栃木県議会議員の津久井富雄氏が挑む形になりましたが、
 市長の任期について「最長3期12年」と明文化し、財政では「市長退職金ゼロ実現」を求めた津久井富雄氏が24641票を獲得し、
 「20年間の躍進ぶりは他市からうらやましがられるほどになった」と、市政担当5期20年の実績を強調した上で「時代の転換期は経験者がかじ取りしなくては」と再選を訴え16194票を獲得した現職の千保一夫氏
 に8447票の大差をつけて、ベテラン現職を破る形で初当選を決めました。
 まあ、5期20年も同じ方が市長を続ければ、おのずと多選批判は出てくるものですし、現職の考え方に反発する方も一定比率はいるのかな…と思いますが、(勝敗そのものはともかく)これだけの大差で現職が敗れたのは正直やや意外。外部の人間にはわかりにくい不満が市民の間に鬱積していたのでしょうか…。
 新市長に就任する津久井氏はどのような市政運営を行ってくれるのでしょう…。

(14日の選挙戦)奥州市長に、小沢昌記氏(51)初当選 

2010-03-21 16:23:14 | Weblog
(14日の選挙戦)奥州市長に、小沢昌記氏(51)初当選 2010年03月15日 朝日
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001003150003
 奥州市長選が14日投票され、即日開票の結果、が現職相原正明氏(62)=いずれも無所属=を破り、初当選した。投票率は77・34%(前回79・84%)。当日有権者数は10万4017人だった。
 小沢氏は当選が決まると、「問題は山積しているが、必ず解決できると確信している。皆さんの力をお借りして、しっかりしたまちに変えていきたい」と抱負を語った。
 「継続」か「変化」か。小沢氏が出馬にあたって問いかけたのは、合併時にあった期待感と現状との落差だ。
 水沢、江刺、胆沢、前沢、衣川の5市町村合併による奥州市の誕生から4年。相原氏は、経営難の市立病院や土地開発公社、岩手競馬の存続問題など、旧市町村から引き継いだ課題を、スケールメリットを生かして解決に向けた軌道に載せてきた。
 しかし、旧市町村間のサービス統一のために実施された水道料金の値上げなどが、「不満」として相原氏に矛先が向けられた。
 選挙戦は、旧市町村単位の攻防となった。水沢が地元の小沢陣営は「相原氏の出身の江刺区に事業配分が偏っている」と批判。合併協定に基づく配分だが、他地区で小沢氏支持が広がる一因となった。
 「合併直後の混乱期をまとめた」と実績を強調して、市政の継続を訴えた相原氏だったが、再選はならなかった。
 同日投開票された奥州市議選(定数34)には、現新36人が立候補。開票作業は深夜まで続いた。
★岩手県奥州市 市長選挙結果
当 46157 小沢昌記 51 男 無新 元市議、会社役員
  33537 相原正明 62 男 無所属 奥州市長

小沢・新奥州市長 合併協定見直し示唆 2010年03月16日 朝日
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001003160001
 14日に投開票された市長選で、奥州市は新顔、久慈市は現職の候補が当選。一夜明けた15日、奥州市長に初当選した小沢昌記氏(51)は「責任の重さを痛感している」と話した。開票が深夜に及んだ奥州市議選では、現職25人と新人9人の計34人が当選を決めた。
 奥州市長選で現職の相原正明氏(62)を破って初当選した小沢氏は15日午前、奥州市内の事務所で報道陣の質問に答えた。
 この中で、5市町村の合併で奥州市を発足させる際に旧市町村長が調印した合併協定について、「金科玉条ではない」と述べ、見直す考えがあることを明らかにした。
 合併に先立つ2005年3月、水沢、江刺、胆沢、前沢、衣川の5市町村長が、法定合併協議会で合意した内容を「合併協定」として調印した。新市の根幹をなす「約束」で、協定に基づいて策定された新市建設計画で、各市町村の財政規模などに応じた事業配分が決まった。
 計画には新市に持ち込んだ基金の額で事業配分が決まる仕組みもあり、約12億7千万円と一番多くを持ち込んだ江刺区で事業量が多くなっていた。小沢氏の地元の水沢区は約1億1千万円だった。
 小沢氏は選挙戦で「相原氏の出身の江刺区に、事業配分が偏っている」と問題視していた。この日も改めて、「合併協定が市の発展の足かせになっているとすればおかしい」と話した。
 14日には合併後初めて全市1区で争う市議選も行われた。小沢氏は「オール奥州の議会で承認されれば、合併協定は変更できる」と話し、議案提出を目指すという。




 岩手県奥州市は、県南部に位置する2006年2月に水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村の2市2町1村が合併してできた人口12.6万人程の県都盛岡市に次ぐ人口規模を持つ県第二の都市で、市長選は2003年に旧江刺市長に就任して、4年前の初代奥州市長選では、旧水沢市長の高橋光夫氏と元衆院議員の高橋嘉信氏の2人を僅差で破って、初当選を決めた現職の相原正明氏に対して、元市議で会社役員の小沢昌記氏が挑戦する形になりましたが、
 「合併してよかったという声が聞こえてこない」と現政権を批判すると共に、「農商工のバランスが取れた奥州は、もっと出来るはず」と市民の声に丹念に耳を傾ける街づくりを訴えた小沢昌記氏が46157票を獲得し、
 「旧市町村間の仕組みの違いの調整はほぼ終わり、土台は出来た。満足すべき4年間」と現職としての実績を強調すると共に、「初代市長としての責任がある。再選出馬に迷いはなかった」と「市民が合併してよかった」と実感できる政策の展開を訴え33357票を獲得した現職の相原正明氏 に12620票の大差をつけて、初当選を決めました。
 相原氏は、前回の市長選よりも3000票あまり獲得票数を増やしたものの、江刺区(旧江刺市)に対する予算配分が優先されている と不満を持った現職批判票が小沢氏に流れ、再選ならずといったところでしょうか…。
 ところで、新市長に就任する小沢昌記氏は、早速予算に関する合併協定見直しを示唆。いくらなんでも合併の是非そのものにまで影響する可能性は少ないと思いますが、近江八幡市と安土町との騒動一つとっても、旧自治体同士の住民感情の対立問題は大変解決が困難なものがあるだけに、今後の動向が非常に気になるところです。

(14日の選挙戦)久慈市長に、山内隆文氏(58)再選

2010-03-21 16:10:23 | Weblog
(14日の選挙戦)久慈市長に、山内隆文氏(58)再選  2010年03月15日 朝日
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001003150002
 久慈市長選は14日、投開票され、無所属の現職・山内隆文氏(58)が53票差の接戦を制し、再選を果たした。当日有権者数は3万957人で、投票率は70・61%(前回58・30%)だった。市議補選(被選挙数1)も同日投開票された。
 山内氏は事務所で支持者らを前に「政権与党が大挙して来た選挙だった。結果は僅差だが、大勝利だと思う」と述べ、再選を喜んだ。
 選挙戦では、旧久慈市長と合わせて2期7年の実績を強調。企業誘致や中心市街地活性化などの分野で、市の経済基盤を改善させたことや、子育て・教育環境の整備にいち早く取り組んだ成果を訴えた。
 民主党県連が全面的に支援した遠藤譲一氏(56)と事実上の一騎打ちとなった今回の選挙では、明確な争点がない中、「市民のための市民による街づくりをしっかり進めるかが問われている」と、民主党県連が進めるトップダウン型の首長擁立の動きを批判した。県議に初当選した1983年から27年間の政治生活で培った高い知名度が後押しし、幅広い層から支持を集めた。
 一方遠藤氏は、民主党県連が国会議員、秘書、県議を久慈に投入する「挙党態勢」で臨んだ。県職員としての経験、政権与党や達増拓也知事とのパイプを強調。旧久慈市時代に山内氏と市長選を戦った元市長の久慈義昭氏が支援した。立候補表明から約3カ月と準備期間が短い中で追い上げたが、わずかに及ばなかった。
 地域紙発行業の宮古邦彦氏(70)は支持が広がらなかった。
◆岩手県久慈市 市長選挙結果
当 10562 山内隆文 58 男 無現 久慈市長、会社役員
  10509 遠藤譲一 56 男 無新 無職、元県職員
  582 宮古邦彦 70 男 無新 会社役員

久慈市の課題:市長選を終えて/上 厳しい雇用環境 /岩手 2010年3月16日 毎日
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20100316ddlk03010019000c.html
◇「仕事ない」意識強く 地場産業振興に活路
 希望する職がないことが分かると、深いため息が出た。久慈市の無職男性(29)はハローワーク久慈の求人検索端末で職を探し続ける。1月まで東京都内のIT企業で派遣社員として働いていたが、足腰が弱った高齢の両親のため実家に戻った。工場やスーパーで働くことも考えたが、交通の便や収入、労働時間など条件がなかなか合わない。「無い物ねだりなのは分かっている。でも仕事の数が少な過ぎる」と漏らした。
 市の雇用環境は県内でも厳しい。岩手労働局によると、久慈地域の99~08年度の有効求人倍率は0・23~0・43と、県平均をすべて下回る。近隣町村の受け皿でもあり、一層「雇用がない」という思いが地域に強くなる。
 市も静観しているわけではない。工場賃貸料の半額補助など企業誘致を進め、18社を誘致した。今も北日本造船など13社が操業している。だが、物流環境の悪さもあり、企業進出も頭打ちだ。今年度は雇用対策6事業で約200人を雇用したものの一時的だ。
 そこで市は、地場産業の振興に活路を見いだす。04年から起業や商品開発を支援する「ふるさと創造基金」制度で、最大1500万円を無利子無担保で融資する。融資条件は厳しくなく、14件採用で数十人が雇用された。市産業開発支援担当の猪久保健一部長は「間口は広く、できるだけ貸す」と話す。小さな起業でも雇用者数を積み重ねることで雇用創出を図る。
 企業側でも、必死の努力を続ける。創業63年の「宇部煎餅店」(宇部清三郎社長)はその一社だ。従業員約60人は、社長と専務以外すべてパートにするなど経費削減で他社商品より格安で販売し、急成長中だ。10年前まで年商約3000万円だったが、年商1億円ペースで売り上げを伸ばし09年度は4億円を超えた。宇部社長は「まだ、注文に応え切れていない。機械を買って人も何人か雇いたい」と話す。
 市としても、求職者や事業主の要望を一層取り込んで対処する必要性を感じている。猪久保部長は「受け身ではなく、ダイレクトメールや成功事例を踏まえた説明会など広報、企業のフォローアップを徹底したい」と話している。
 旧久慈市、山形村が合併し、新市が誕生してから4年。慢性的に少ない雇用の場や、財政を圧迫する市営バスなど課題は山積する。市民はそのかじ取りを、再選した山内隆文市長(58)に改めて託した。

久慈市の課題:市長選を終えて/下 「市民の足」バス /岩手 2010年3月17日 毎日
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20100317ddlk03010005000c.html
◇市営化で財政圧迫 官民で維持策模索
 診療を終えると、寒風が吹くバス停のベンチに腰を下ろした。久慈市侍浜町の無職、畑中勝男さん(69)は、持病の治療のため、自宅から徒歩2分のバス停から県立久慈病院の泌尿器科と眼科に月3回通う。高齢で運転がおぼつかなくなり、車は手放した。「病気は治ったり悪くなったりだ。バスなくなれば大変だ。病院さ行けなくなる」
 市が08年9月に実施した利用者アンケートでは、60歳以上が78%を占める。目的別では通院が53%。同病院を行き来する1日約30本のバスは、健康を守る「市民の足」として欠かせない。
 不採算でJRバスが撤退し、市内7路線のバスは、08年4月から「市営バス」になった。市は、以前から運行していた患者輸送、通学などのバスと合わせ11路線を持つ。07年度までの市営バス運行費は年間約1500万円だったが、7路線継承で費用は3600万円に増えた。厳しい財政状況を圧迫する。
 だが、初乗り運賃はJRバスと同じ130円を維持し、利用者に配慮した。それでも、利用者減に歯止めがかからない。07年度に約11万2700人だった利用者は、08年度に約8万1200人に激減。09年度も12月末現在、前年同月比6・2%減が見込まれる。
 厳しい状況の中、市は09年、路線バスツアーに活路を求めた。バスで海岸まで行き、歩いて駅まで戻るなど年4回実施。だが参加者はいずれも15人前後で成果は乏しかった。
 住民も現状を看過していない。枝成沢町の町内会では、約10年前からバスを使った清掃活動に取り組む。各バス停に近い住民が、1、2区間バスで移動し、出発点まで道路清掃をして戻る。費用は自費。月2回で約20人が参加するほど定着しているという。取り組みを始めた新田勝昭さん(75)は「世話になっているバスに恩返ししたかった。道路もきれいになるし、地域のコミュニケーションも図れる。一挙三得だ」と話す。
 市は10年度、ニーズに合った運行時刻に見直すなど検証事業を進める。全世帯に時刻表を配布するなど利用も促す。
 市まちづくり振興課の村上章課長は「バスは無くしてはいけないが、財政は厳しい。車両の小型化などを含め、市民の足を確保したい」と話すが、現状打開の「特効薬」は見つかっていない。




 岩手県久慈市は、県北部の太平洋岸に面する、2006年3月に旧久慈市と山形村が合併して誕生した人口3.7万人程の市で、市長選は旧久慈市時代から市長を務め、4年前の前回選挙でもライバル候補に6.5倍の圧倒的大差をつけて再選された2期7年の成果を掲げる山内隆文氏に対して、元県職員で民主党と社民党が支援する遠藤譲一氏と地域紙発行業の宮古邦彦氏 の2新人が挑戦しましたが、
 「中心市街地活性化に全力を傾注し、空き店舗が減った」と、合併前の旧久慈市と合わせて2期7年の実績を強調すると共に、「ようやく努力の成果が表れつつある。新久慈市の第2ステージへ向かいたい」と訴えた山内隆文氏が10562票を獲得し、
 「県庁で30年以上行政の仕事をしてきた。市民の声を聞き、貴重な財源を丁寧に配分し、元気で明るい久慈にしたい」と訴え10509票を獲得した遠藤譲一氏 をわずか53票の僅差で退けて再選を決めました。
 「光ケーブルの配線など合併時の約束が守られず、山形町は元気がなくなってしまった」と合併後の市政運営を批判すると共に「市長給与30%削減」「副市長のうち1人を山形町に配置」などと旧村部に配慮する独自の政策を語った宮古邦彦氏の獲得票は582票と伸び悩みました。

 まあ、70歳の宮古邦彦氏はともかく、実質は現職の山内隆文氏と民主党が県連を挙げて全面的に支援した遠藤譲一氏の一騎打ち状態だったかと思いますが、市民は現職を選択。
 とはいえ、雇用問題、市民の足であるバスの運営維持問題など課題は山積。再選を決めた山内氏は次の4年間 どう限りある財源を上手く活用して市政運営を行ってくれるのでしょうか…。

合併「新市長」どっちがやるの? 最後は知事裁定で決定

2010-03-21 16:05:39 | Weblog
合併「新市長」どっちがやるの? 最後は知事裁定で決定 2010年3月21日 朝日
http://www.asahi.com/politics/update/0320/OSK201003200117.html
 滋賀県の近江八幡市と安土町が合併して誕生する新・近江八幡市の市長職務執行者が合併前日の20日、嘉田由紀子知事の裁定で冨士谷英正・近江八幡市長に決まった。合併に反対する大林宏・安土町長と、新市の市長選に立候補表明している冨士谷市長の協議がまとまらず、全国初の知事裁定による決着という事態になった。
 安土町はリコール運動により合併推進の町長や町議会を解職・解散させるなど、住民投票や選挙で合併反対の意思を示してきた。職務執行者は4月下旬に予定される市長選で新市長が決まるまで務めるが、選挙に立候補すると執行者の代理を立てる必要が出てくる。冨士谷市長は「合併反対の町長には任せられない」、大林町長は「選挙に立たない首長が務めるのが通例」と協議は平行線のままだった。
 嘉田知事は、冨士谷市長を選んだ理由を「市長としての経験」とコメントを発表。冨士谷市長は「知事から良識あるご判断をいただけた。全力で職務にあたる」。大林町長は「結果には従うが、市長選告示で失職し最後まで務められない人が執行者になるのは疑問」と話した。

信長のまち二分 滋賀・安土町リコール町議選で合併反対派が過半数 2010年3月15日 産経
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/100315/elc1003150038001-n1.htm
 滋賀県近江八幡市との合併をめぐるリコール(解散請求)成立に伴う同県安土町の出直し町議選(定数10)の投票が14日行われ、即日開票の結果、合併反対派が6人当選し、過半数を獲得した。21日の合併が目前に迫る中、反対派は新議会での合併撤回議案の可決を目指すことになり、町内を二分する混乱が続きそうだ。投票率は62・91%で、平成19年4月の前回選挙より1・03ポイント上回った。
 町議選には反対派8人、推進派6人が立候補し、合併の賛否を争点に激しい舌戦を繰り広げてきた。
 新議員は合併に伴う在任特例で平成23年4月29日まで新「近江八幡市」の議員を務める。すでに合併は官報告示されており、町議選の結果は合併の効力に影響しない。
 安土町では、昨年8月に合併を推進した前町長がリコールによる住民投票で失職。10月の出直し町長選で、合併反対を掲げた住民団体前代表の大林宏氏が初当選した。しかし、合併の賛否を問う住民アンケートの実施などをめぐり、町長と、合併推進派が過半数を占める議会が対立。先月には、町議会のリコールが成立する事態に発展した。
 大林町長が専決処分で実施した合併の賛否を問う住民アンケートでは、有効投票の約62%が合併反対だった。



 う~ん。私も、自治体が合併することによる合併市町村が初代首長を決めるまでの市長職務執行者というものは、公平性を期するためにも、普通は首長選に出馬しない方が担当すべきだと思うんですけどね…(汗
*3自治体の合併で2つの自治体の首長が出馬するならば、出馬しないもう1人の方が担当するのが普通。今回のように2自治体の合併ならば、大きな側の自治体の副市長(助役)なり、それに近い要職の方が担当するのが妥当でしょうか…

 ちなみに14日に行われた安土町の出直し町議選では、合併反対派8人のうち6人が当選し、定数10の過半を占めただけに、『職務代行者が誰になるかは、普段よりもより慎重に考慮すべきだったのではないか』と思うのですが、この決着がきっかけでますます住民同士の感情的対立につながらなければいいけど…と懸念します。