民主308議席、政権交代 鳩山内閣、9月中旬にも 2009年8月31日
日経 http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090830NT002Y38730082009.html
政権選択が争点となった第45回衆院選は30日投票、即日開票された。民主党の獲得議席は定数480のうち308に達する圧勝で、政権交代を果たすことになった。民主党の鳩山由紀夫代表は9月中旬に召集を予定する特別国会での首相指名選挙で首相に選出され、社民、国民新両党との連立政権を発足させる。自民党は1955年の結党以来、初めて第1党の座を明け渡す歴史的敗北を喫した。
野党第1党が選挙で過半数を獲得し、政権を奪取するのは戦後初めて。1993年の非自民連立による細川護熙内閣の誕生から数えても16年ぶりの政権交代で、日本の政治は新たな時代を迎えた。
鳩山代表は30日夜、衆院選の勝利宣言とともに、参院で過半数がないことを踏まえ「社民党、国民新党と連立を組みたい」と、31日から政権協議を開始すると表明した。小沢一郎代表代行の処遇については「選挙を大勝利に導いた功績もある。来年夏の参院選も見据えながら仕事をしてもらう」と、選挙担当ポストを念頭に調整を進める考えを示唆した。
麻生首相、総裁も辞任へ 自民、公示前から議席6割減 2009年8月31日 日経
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090830NT002Y22630082009.html
自民党は衆院選で公示前勢力の300議席から約6割減となり、衆院第1党から転落した。麻生太郎首相(党総裁)は30日夜、NHK番組で「国民の声を真摯(しんし)に受け止め、反省の上に立って出直さなければならない。私としては責任を負わなければならない」と、総裁を辞任する意向を表明した。
同党の細田博之幹事長は30日夜、党三役と幹事長代理がそろって辞任すると首相に伝えた。
首相はフジテレビ番組で「首相指名選挙が行われた後、地方の党員・党友を含め、総裁選を行いたい」と語った。細田氏は記者会見で9月下旬の総裁選を想定していることを明らかにした。ただ党内には特別国会の首相指名選挙までに新総裁を選ぶのが望ましいとの意見も出ている。
公明、太田代表・北側幹事長ら落選 小選挙区で全敗 2009年8月31日 日経
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090830AT3S3001U30082009.html
公明党は全国8小選挙区で擁立した党独自候補が全滅となり、公示前の31議席を下回るのが確実だ。太田昭宏代表や北側一雄幹事長、冬柴鉄三前幹事長の党幹部が相次ぎ落選する事態に「党存亡の危機に直面する」(幹部)との悲鳴が出ている。1967年の衆院初進出以来、同党トップの落選は初めて。比例代表の結果次第では、衆院選での獲得議席数が67年の25議席を下回る可能性もある。執行部の刷新を含め来夏の参院選に向けた党の立て直しが急務だ。
公明党の歴代トップは支持母体の創価学会の意向も受けて決まるのが慣例。神崎武法前代表は98年から約8年間、代表職を務めた。06年の代表選には太田氏だけが出馬しており、落選は想定外の事態だった。創価学会内には「太田氏に代わる人材がいない」(中堅議員)との声もあり、後継選出は難航しそうだ。
選挙で政権交代は過去3回 2009年8月31日 読売
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news/20090831-OYT1T00194.htm
衆院選の結果が政権交代に結びついたのは、過去44回のうち戦前に1回(1924年)、戦後に2回(47、93年)の計3回しかない。
大正デモクラシー期の24年衆院選は、与党と野党3党が政権を巡って競い合う「政権選択選挙」だった。憲政会、政友会、革新倶楽部の野党3党は、選挙前に「護憲3派」を結成。普通選挙法制定などの共通公約を掲げた。護憲3派は464議席中284議席を獲得し、与党・政友本党を圧倒した。
明治憲法では国会による首相指名の制度がなく、第1党となった憲政会の加藤高明総裁は、元老の推薦で天皇により首相に任命された。加藤内閣は衆院選の結果、第1党となった党首が組閣した初の内閣で、以後、32年の5・15事件で犬養内閣が倒れるまで2大政党時代が続いた。
これに対し、戦後の2回は、選挙では、第1党、第2党が共に過半数を獲得できなかった。
47年衆院選では、野党・社会党が第1党を確保したが、与党・自由党との議席差はわずか12だった。社会党は片山哲委員長を首相とし、民主、国民協同両党との保革連立政権を発足させたが、社会党内の抗争が激化し、1年足らずの短命に終わった。
93年衆院選では、与党・自民党は過半数に届かなかった。その結果、自民党からの離党者が結成した新生党など野党の5党や、独自の立場をとった日本新党、新党さきがけなどが選挙後に協議し、非自民の8党・会派による細川政権が成立した。しかし、連立与党の足並みの乱れなどから、わずか8か月で倒れた。
衆議院選挙の結果ですが、自民が改選前の300議席から119議席まで議席を激減させ、公明も小選挙区8議席全てを落とすなど、31議席から21議席まで減らす一方で、民主は改選前の115議席から308議席まで大躍進。共産及び社民は改選前と変わらずそれぞれ9議席及び7議席。
国民新党は改選前より1つ議席を減らして3議席、みんなの党は改選前より議席を1つ増やして5議席、大地は1議席を死守、改革クラブが改選前の1議席を失くし、日本が1議席を獲得。
無所属は与党系が改選前の6議席から4議席になる一方で、野党系の無所属が2議席を確保。
富山3区から比例北陸信越ブロックに転出した国民新党の綿貫民輔氏(82歳)は落選し、森喜朗元首相は小選挙区の石川2区で123490票を獲得して119021票を獲得し比例復活当選した刺客の田中美絵子氏をかろうじて振り切って当選、群馬4区の福田前首相もかろうじてライバル候補を振り切って議席を死守したようです。
地区別に見ると、与党が全議席を獲得したのは福井、鳥取、島根、高知の4県のみで、岩手、秋田、福島、山梨、埼玉、新潟、長野、愛知、静岡、滋賀、長崎、大分、沖縄の13県で与党系候補が全滅。全敗が懸念された北海道は12議席中1議席、千葉は13議席中2議席 、東京は25席中4議席、大阪は19議席中1議席と、軒並み自公が壊滅状態となりました。
主だった落選者を見ると、公明党では太田昭宏代表、北側一雄幹事長、冬柴鉄三前幹事長の幹部3人が揃って落選。
自民党では、あの海部俊樹・元首相が落選し、他 閣僚経験者だけでも、笹川尭総務会長、山崎拓・前副総裁、尾身幸次・元財務相、谷津義男・元農相、深谷隆司・元通産相、杉浦正健・元法相、中山太郎・元外相、島村宜伸・元農相、堀内光雄・元通産相、柳沢伯夫・前厚生労働相、井上喜一・元防災相、中川昭一・前財務・金融相、久間章生・元防衛相、鈴木俊一・元環境相、赤城徳彦・元農相、丹羽雄哉・元厚相、船田元・元経済企画庁長官、伊藤達也・元金融相、伊藤公介・元国土庁長官、小坂憲次・元文部科学相、上川陽子・元少子化相、斉藤斗志二・元防衛長官、太田誠一・前農相、保岡興治・前法相などなどそうそうたる名前が…(滝汗
まあ、問題発言やスキャンダル絡みの、柳沢伯夫前厚生労働相、中川昭一前財務・金融相、久間章生元防衛相、赤城徳彦元農相、太田誠一・前農相、島村宜伸元農相、そして失言を繰り返したあげく一旦不出馬表明したのに後に無所属で強引に出馬した中山成彬前国土交通相あたりが落選するのは妥当としても、公明の北側さんや、山崎拓前副総裁クラスまで落選してしまうとは、予想の範疇を完全に超えていたとしか言いようがありません。
他、比例復活で救われた議員の名前を見ても、現役閣僚組だけでも、与謝野馨財務・金融担当相(東京1区)、野田聖子消費者行政担当相(岐阜1区)、佐藤勉総務相(栃木4区)、林幹雄国家公安委員長(千葉10区)、塩谷立文部科学相(静岡8区)、甘利明行革担当相(神奈川13区)の6名が救われ、他、中川秀直元自民党幹事長(自前)、公明党の斉藤鉄夫環境相、甘利行革担当相、伊吹元財務相、武部元幹事長、町村前官房長官、野田消費者行政担当相、塩谷文科相、小池百合子元防衛相といった大物クラスの名前もちらほら。
それにしても、武部さんを復活させるくらいならば、もっと他に救うべき議員もいたような気もしなくもないのですが、武部さんの復活人事は自民支持者の中でも波紋を呼びそうです。
ちなみに、比例代表ブロックでは候補者数との関係で民主が2議席足りず、大阪14区で敗北した自民党の谷畑孝氏と、公明党の比例名簿5位の赤松正雄氏が当選。
みんなの党も、東海、近畿両ブロックで1議席ずつ獲得できる得票に達したものの、比例名簿に登載された候補者が重複立候補した小選挙区で得票率10%に届かなかったこともあり、東海の1議席は民主党の比例名簿41位の磯谷香代子氏に、近畿の1議席は兵庫5区で敗北した自民党の谷公一氏に割り振られたようです。
得票率で足りなかったみんなの党はともかく、民主の2議席は実に勿体ないことをしましたね…。
日経 http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090830NT002Y38730082009.html
政権選択が争点となった第45回衆院選は30日投票、即日開票された。民主党の獲得議席は定数480のうち308に達する圧勝で、政権交代を果たすことになった。民主党の鳩山由紀夫代表は9月中旬に召集を予定する特別国会での首相指名選挙で首相に選出され、社民、国民新両党との連立政権を発足させる。自民党は1955年の結党以来、初めて第1党の座を明け渡す歴史的敗北を喫した。
野党第1党が選挙で過半数を獲得し、政権を奪取するのは戦後初めて。1993年の非自民連立による細川護熙内閣の誕生から数えても16年ぶりの政権交代で、日本の政治は新たな時代を迎えた。
鳩山代表は30日夜、衆院選の勝利宣言とともに、参院で過半数がないことを踏まえ「社民党、国民新党と連立を組みたい」と、31日から政権協議を開始すると表明した。小沢一郎代表代行の処遇については「選挙を大勝利に導いた功績もある。来年夏の参院選も見据えながら仕事をしてもらう」と、選挙担当ポストを念頭に調整を進める考えを示唆した。
麻生首相、総裁も辞任へ 自民、公示前から議席6割減 2009年8月31日 日経
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090830NT002Y22630082009.html
自民党は衆院選で公示前勢力の300議席から約6割減となり、衆院第1党から転落した。麻生太郎首相(党総裁)は30日夜、NHK番組で「国民の声を真摯(しんし)に受け止め、反省の上に立って出直さなければならない。私としては責任を負わなければならない」と、総裁を辞任する意向を表明した。
同党の細田博之幹事長は30日夜、党三役と幹事長代理がそろって辞任すると首相に伝えた。
首相はフジテレビ番組で「首相指名選挙が行われた後、地方の党員・党友を含め、総裁選を行いたい」と語った。細田氏は記者会見で9月下旬の総裁選を想定していることを明らかにした。ただ党内には特別国会の首相指名選挙までに新総裁を選ぶのが望ましいとの意見も出ている。
公明、太田代表・北側幹事長ら落選 小選挙区で全敗 2009年8月31日 日経
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090830AT3S3001U30082009.html
公明党は全国8小選挙区で擁立した党独自候補が全滅となり、公示前の31議席を下回るのが確実だ。太田昭宏代表や北側一雄幹事長、冬柴鉄三前幹事長の党幹部が相次ぎ落選する事態に「党存亡の危機に直面する」(幹部)との悲鳴が出ている。1967年の衆院初進出以来、同党トップの落選は初めて。比例代表の結果次第では、衆院選での獲得議席数が67年の25議席を下回る可能性もある。執行部の刷新を含め来夏の参院選に向けた党の立て直しが急務だ。
公明党の歴代トップは支持母体の創価学会の意向も受けて決まるのが慣例。神崎武法前代表は98年から約8年間、代表職を務めた。06年の代表選には太田氏だけが出馬しており、落選は想定外の事態だった。創価学会内には「太田氏に代わる人材がいない」(中堅議員)との声もあり、後継選出は難航しそうだ。
選挙で政権交代は過去3回 2009年8月31日 読売
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news/20090831-OYT1T00194.htm
衆院選の結果が政権交代に結びついたのは、過去44回のうち戦前に1回(1924年)、戦後に2回(47、93年)の計3回しかない。
大正デモクラシー期の24年衆院選は、与党と野党3党が政権を巡って競い合う「政権選択選挙」だった。憲政会、政友会、革新倶楽部の野党3党は、選挙前に「護憲3派」を結成。普通選挙法制定などの共通公約を掲げた。護憲3派は464議席中284議席を獲得し、与党・政友本党を圧倒した。
明治憲法では国会による首相指名の制度がなく、第1党となった憲政会の加藤高明総裁は、元老の推薦で天皇により首相に任命された。加藤内閣は衆院選の結果、第1党となった党首が組閣した初の内閣で、以後、32年の5・15事件で犬養内閣が倒れるまで2大政党時代が続いた。
これに対し、戦後の2回は、選挙では、第1党、第2党が共に過半数を獲得できなかった。
47年衆院選では、野党・社会党が第1党を確保したが、与党・自由党との議席差はわずか12だった。社会党は片山哲委員長を首相とし、民主、国民協同両党との保革連立政権を発足させたが、社会党内の抗争が激化し、1年足らずの短命に終わった。
93年衆院選では、与党・自民党は過半数に届かなかった。その結果、自民党からの離党者が結成した新生党など野党の5党や、独自の立場をとった日本新党、新党さきがけなどが選挙後に協議し、非自民の8党・会派による細川政権が成立した。しかし、連立与党の足並みの乱れなどから、わずか8か月で倒れた。
衆議院選挙の結果ですが、自民が改選前の300議席から119議席まで議席を激減させ、公明も小選挙区8議席全てを落とすなど、31議席から21議席まで減らす一方で、民主は改選前の115議席から308議席まで大躍進。共産及び社民は改選前と変わらずそれぞれ9議席及び7議席。
国民新党は改選前より1つ議席を減らして3議席、みんなの党は改選前より議席を1つ増やして5議席、大地は1議席を死守、改革クラブが改選前の1議席を失くし、日本が1議席を獲得。
無所属は与党系が改選前の6議席から4議席になる一方で、野党系の無所属が2議席を確保。
富山3区から比例北陸信越ブロックに転出した国民新党の綿貫民輔氏(82歳)は落選し、森喜朗元首相は小選挙区の石川2区で123490票を獲得して119021票を獲得し比例復活当選した刺客の田中美絵子氏をかろうじて振り切って当選、群馬4区の福田前首相もかろうじてライバル候補を振り切って議席を死守したようです。
地区別に見ると、与党が全議席を獲得したのは福井、鳥取、島根、高知の4県のみで、岩手、秋田、福島、山梨、埼玉、新潟、長野、愛知、静岡、滋賀、長崎、大分、沖縄の13県で与党系候補が全滅。全敗が懸念された北海道は12議席中1議席、千葉は13議席中2議席 、東京は25席中4議席、大阪は19議席中1議席と、軒並み自公が壊滅状態となりました。
主だった落選者を見ると、公明党では太田昭宏代表、北側一雄幹事長、冬柴鉄三前幹事長の幹部3人が揃って落選。
自民党では、あの海部俊樹・元首相が落選し、他 閣僚経験者だけでも、笹川尭総務会長、山崎拓・前副総裁、尾身幸次・元財務相、谷津義男・元農相、深谷隆司・元通産相、杉浦正健・元法相、中山太郎・元外相、島村宜伸・元農相、堀内光雄・元通産相、柳沢伯夫・前厚生労働相、井上喜一・元防災相、中川昭一・前財務・金融相、久間章生・元防衛相、鈴木俊一・元環境相、赤城徳彦・元農相、丹羽雄哉・元厚相、船田元・元経済企画庁長官、伊藤達也・元金融相、伊藤公介・元国土庁長官、小坂憲次・元文部科学相、上川陽子・元少子化相、斉藤斗志二・元防衛長官、太田誠一・前農相、保岡興治・前法相などなどそうそうたる名前が…(滝汗
まあ、問題発言やスキャンダル絡みの、柳沢伯夫前厚生労働相、中川昭一前財務・金融相、久間章生元防衛相、赤城徳彦元農相、太田誠一・前農相、島村宜伸元農相、そして失言を繰り返したあげく一旦不出馬表明したのに後に無所属で強引に出馬した中山成彬前国土交通相あたりが落選するのは妥当としても、公明の北側さんや、山崎拓前副総裁クラスまで落選してしまうとは、予想の範疇を完全に超えていたとしか言いようがありません。
他、比例復活で救われた議員の名前を見ても、現役閣僚組だけでも、与謝野馨財務・金融担当相(東京1区)、野田聖子消費者行政担当相(岐阜1区)、佐藤勉総務相(栃木4区)、林幹雄国家公安委員長(千葉10区)、塩谷立文部科学相(静岡8区)、甘利明行革担当相(神奈川13区)の6名が救われ、他、中川秀直元自民党幹事長(自前)、公明党の斉藤鉄夫環境相、甘利行革担当相、伊吹元財務相、武部元幹事長、町村前官房長官、野田消費者行政担当相、塩谷文科相、小池百合子元防衛相といった大物クラスの名前もちらほら。
それにしても、武部さんを復活させるくらいならば、もっと他に救うべき議員もいたような気もしなくもないのですが、武部さんの復活人事は自民支持者の中でも波紋を呼びそうです。
ちなみに、比例代表ブロックでは候補者数との関係で民主が2議席足りず、大阪14区で敗北した自民党の谷畑孝氏と、公明党の比例名簿5位の赤松正雄氏が当選。
みんなの党も、東海、近畿両ブロックで1議席ずつ獲得できる得票に達したものの、比例名簿に登載された候補者が重複立候補した小選挙区で得票率10%に届かなかったこともあり、東海の1議席は民主党の比例名簿41位の磯谷香代子氏に、近畿の1議席は兵庫5区で敗北した自民党の谷公一氏に割り振られたようです。
得票率で足りなかったみんなの党はともかく、民主の2議席は実に勿体ないことをしましたね…。