日本がアジアとどのように結びつくべきかは、大きな課題であることは、認めざるを得ないよ。先の戦争についても、日本軍の侵略ばかりが強調されているようだけど、そればかりではなかったんだよね。欧米からアジアを解放する戦いと位置づけていたわけだし。インド、ビルマ、インドネシア、ベトナムなどは、戦後になっていくら欧米諸国が植民地に戻そうとしても、一度火がついたもんだから、独立を奪い返すことはできなかったというのが真相じゃないかな。侵略者と批判される側面があったことを否定するつもりはないよ。でも、もう一つの側面があったことも忘れるべきではないよ。インドのネール首相が日本に感謝していたのも確かだし。葦津珍彦は『明治維新と東洋の解放』のなかで、「日本人のなかにあっても、概していえば政府や軍を支配したものがナチス型の精神であり、権力に遠い一般国民の意識の根底にひそむものが、日本的道義思想であったということもできるであろう」と書いていたっけ。そうした国民の支持をバックに、孫文の同志となった宮崎滔天、山田良政らの大陸浪人が活躍したんだよね。とくに、山田は革命軍に身を投じて戦死している。国民レベルでアジアへの連帯感があったんじゃないかな。ナチズムというのは、強者の権利を主張しただけ。日本の国民はそんなイデオロギーに振り回されたのではなく、もっと素朴な感情的なものだったはずだよ。鳩山由紀夫首相がしきりと口にする「東アジア共同体」というのが、どことなく胡散臭いのは、経済の成長を達成するための戦略として練られているからだよね。必ず国家間の利害は衝突するから、もっと国民レベルの視点がないと。民主党中心の鳩山政権のように、膨張する共産中国に唯々諾々と従うことは、抑圧されている少数民族や中国国民を敵に回すことになりかねないし、あまりにも韓国と接近し過ぎると、民族対立をあおりかねない。思想的な意味で、アジアとしての共通のベースをまずは確認してからでないと。火傷してからでは遅すぎるから。