歴史に学ぶとはどういうことか。『歴史に学ぶー激動期に生きた人々』と自分の本の題名にしたのは村松剛であった。三島由紀夫と親友であった村松は、フランスの詩人ヴァレリイの「人間はうしろ向きに、未来にはいっていく」との言葉を紹介し、その意味から説き起こす。村松によると「いずれにせよ人間は未来を想像するための素材を、既知の過去に求めるほかはないのである」というのだ。過去なくして未来は語れないからである。ただ、そこで村松は過去に執着することを主張しているのではない。「過去を学び得なかった国はもちろん、過去だけしか学ばなかった国にも未来はない。未来はそれ以上のことがらを、つねに求めるからである。過去をいかに学ぶかが、生きのびる条件となる」のである。それは正論であり戦後の日本の問題点を見事に言い当てている。今日でも、「進歩派」を名乗るサヨクは、集団的自衛権行使の容認も、憲法改正も認められないという。過去への憎悪が歴史を見る目を曇らせているのだ。そうした事態を引き起こしたのは、東京裁判史観がまかり通ったからだ。全ては日本の悪いであり、アメリカが正しいとの押し付けがあった。それがアメリカの占領政策であり、そうした教育を受けた人たちが未だに日本の指導的立場にある。柔軟な判断力と未知への挑戦。それが欠かせないとしても、過去を教訓として学ぶ姿勢が求められるのである。村松の明快な文章と論理の展開は、今なお多くの示唆に富んでいる。
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