経済学者の言っていることがどこまで信用できるか。経済学という学問が本当にあるのかどうか。アベノミクスを肯定するか批判するかにしても、そこまでの議論が行われていない気がする。西山千明の『近代経済学の哲学的基礎』を読んで、あくまでも学問である限り、絶対はないことを確認した。西山もまたカール・R・ポッパーの「科学は通常理解されているように『既知』によって『未知』を解明するものではなく、『未知』によって『既知』を解明しているものだという、一見パラドシカルにおもわれる重要な事実に気づくのである」という立場である。西山が与しないのは、一つの仮説によって説明しようとする愚である。それ自体思い込みである場合が多く、それを普遍化すれば、まさしく宗教である。そうではなくて、西山が指摘するように「例外なく各理性が具有する限界を知ることによってもたらされた『研究の自由競合』」が重視されるべきで、経済学においても問われるのは、人間としての謙虚さである。西山はそれを分かりやすく解説している。「批判的合理主義は、科学のすべての分野における現象の一般的概念化の不可避性を主張するとともに、こうして科学諸理論が一般的概念化の過程を経ることによって必然的に内蔵することになる限界の存在を強調するのである」。今の日本の経済学者は科学的立場から、どうして「『未知』によって『既知』を解明」できないのだろう。アベノミクスがどんどん先を行っているのに。
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