危機の時代にあっては、決断が求められる。優柔不断ではいられないからだ。そこで注目されるのがカール・シュミットである。ナチスに協力したシュミットが今なお色あせていないのである。左右から見直しの動きが出ている。シュミットが日本でも再評価され始めたのは、次々と著作が翻訳出版された昭和44年あたりからだ。その当時、多田真鋤は『政治・文化・歴史 保守主義の世界観』において「現代日本においても政治的決断があまりにも不足している。国民の意思を尊重するのが民主政治であることに間違いはないが、国民に迎合することもまた民主政治ではない。政治的決断、変革期に対する認識、指導力を欠如した政治に対しては、シュミットの政治理論は一服の清涼剤の役割をはたすのである。ワイマールの悲劇は決して過去完了ではないのである」と書いた。それからまた歳月が経過した。現在まで政治改革の大合唱はあったが、戦後体制のぬるま湯に浸かったままである。逆に市場原理主義なるものに迎合し、日本の国柄はメチャクチャにされてしまった。このまま日本が滅びるのか、それとも再生するかは、政治的決断にかかっている。リアリティを欠如した憲法論争に終始し、迫りくる侵略に対処できないのでは大問題である。シュミットの「決断主義」は近代民主主義の根幹を問うことである。もはやそれを避けては通れないのであり、国家として身構えるというのは、非常時における決められる政治である。そこで登場するのがシュミットなのである。
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