草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

西洋かぶれの直訳革命家でなかった北一輝!

2015年01月15日 | 思想家

日本はどこに向かうのだろうか。荒れ狂う暴力の海に漂って難破し、沈没して海の藻屑と化すのだろうか。明治43年に石川啄木は「時代閉塞の現状」について書いた。「かくていまやわれわれ青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその敵の存在を意識しなければならぬ時期に到達したのである」と主張したのである。それは幸徳秋水らを処刑した大逆事件を念頭に置いたといわれる。日露戦争の後で日本は国家目標を見失い、それによって動揺した啄木らは、幸徳らに同情の念を抱いたのだろう。しかし、啄木を幸徳の一派と考えるのはあまりにも早計過ぎる。超国家主義者北一輝と相通じるものがあるような気がする。北もまた幸徳と交際があった。大杉栄のところには弟の玲吉をフランス語の勉強に通わせている。それでも幸徳らと一線を画したのは、西洋の直訳である革命思想は肌が合わなかったからだ。日本の土俗的民衆にこだわうとした啄木とそこは共通性がある。それは同時に国際的に孤立を強いられつつあった日本を強固な国家につくりかえ、国家間の戦いに勝利することでもあった。観念的な国際主義は北にとって無縁であった。「階級闘争ニヨル社会進化ハアエテコレヲ否マズ。シカモ人類歴史アリテ以来ノ民族競争国家競争ニ眼ヲ蔽イテ何ノイワユル科学的ゾ」(『国体論及び純正社会主義』)と言い切った北の弁は、平成の世にあっても色あせていない。法華経の「大地震裂して地涌の菩薩出現することを云う」とは「地下層に埋るる救主の群」であり、北は危機の到来を前にして対外的にも剣の必要性を訴えた。啄木、北も過去の人ではないのである。

 

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