ネットの動画で池田信夫が「戦後リベラルの終焉」というテーマで語っていた。今の日本のリベラルがどれだけ劣化したかを問題にしていた。争点の設定が間違っていたという意見には賛同するが、本当にそれだけなのだろうか。全共闘世代のまともな部分はすぐに離れたというのは、お花畑で都合よく解釈する政治的なロマン主義に付いていけなかったからだろう。平和と民主主義のプロパガンダでは通用しないのを、思い知らされたのではないか▼池田が見落としているのは、大衆との接点をどう考えるかである。戦後の論壇やマスコミを支配してきた者たちは、戦後70年以上にもわたって特権階級化し、既得権益を擁護する勢力に堕落したのではなかったか。リベラルを主張しながら、大衆を見下していたのではないか。朝日新聞がその典型であり、大衆から罵倒されるのは、リベラルを語りながらも、実際はぬくぬくと戦後社会の恩恵に浴してきた▼官僚やマスコミ、学者文化人をこき下ろすのが「ネトウヨ」であるならば、差別主義者とレッテルを貼るのではなく、彼らをリベラルが惹きつけられないことが大問題なのである。大衆のエネルギーをくみ上げられないリベラルは、政治的な力を持つことは難しい。お高くとまって大衆の怒りを無視するのではなく、それを自らの運動に体現すべきなのである。
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