中共の習近平は第二の毛沢東を目指しており、今の中共はマルクスの共産主義とはまったくかけ離れている。日本のリベラルはなぜ批判しないのだろう。中国共産党は国家主席の任期制限を撤廃する憲法改正を決めた。憲法9条の改正に手間取っている我が国とは、まさしく雲泥の差がある。習は死ぬまで現在の地位を維持できることになったのである▼その改正では前文に習の名前が書き込まれる。習の神格化を推し進めよういうのだ。中国共産党の一部に反発もあるようだが、強権的独裁政治は国内的には人権弾圧を強化し、国際的には覇権国家を目指すことになる。ロシアですらプーチンは民主的な選挙で大統領の地位を得ているのに、中共だけが異常なのである▼自らを毛沢東と同列に置こうとしているのだから、滑稽この上ない。「一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として」(『ルイポナパルトのブリュメール18日』植村邦彦訳)というマルクスの文章を読んだことがないのだろうか。歴史は同じことを繰り返すことは絶対にないのである。毛沢東のように語録を民衆に持たせたいのだろうが、そこまで支那の民衆は愚かではないはずだ。あの毛沢東ですら権力闘争に苦慮したのである。「二度目はみじめな笑劇」になることに気が付かないのだから、あまりにもお目出たい。かえって自らの没落を早めただけなのである。
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