朝日新聞は昨日の社説「天皇即位儀式」で、またもや反日的な言辞を弄した。一応は「憲法に整合し、皇室の伝統に即したものにするとの方針に異論はない」と述べつつも、性懲りもなく「神話に由来し宗教的色彩の濃い剣璽承継が、なぜ国事行為なのか」と日本の国柄を否定したからだ▼昭和45年1月1日付の日本読書新聞で、三島由紀夫は「尚武の心と憤怒の抒情」をテーマに村上一郎と対談した。そこで三島は「ネーションというものは祭祀的な国家というのが本源にあって、これは管理機能或いは統治機構と全然関係がないものだ。ここにネーションというものの根拠を求めなければ、私は将来守ることができないのだという考えを持っている」と主張した。三島にとっては「ラショナルな機能を統治国家が代表して、イラッショナルな機能はこの祭祀国家が代表する」というのがベストなのであり、まさしく天皇とは「祭祀国家の大神官」にほかならない。これに対して、朝日新聞はラショナルな国家しか認めないのである▼三島の「祭祀国家」としての文化的な面を包摂することは現憲法下でも容認されている。尾高朝雄は『法哲学』で「国民の総意をもって統治も基準としつつ、君主をもって国民共同体としての国家の統合性の象徴とすることは可能であり、君主制の伝統を有する国家の国家の特殊性をば、民主主義という普遍的な政治原理の中に生かしていくゆえんともなるからである」と書いており、朝日新聞とは真っ向から対立する。日本を守り抜くというのは、そうした誤った言説に言論戦を挑むことなのである。
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