日本のリベラルが真のリベラルでないのは、自らのイデオロギーを信奉しているからである。それはまさに信仰に近い。カール・ポッパーが指摘しているように、どんな理論であろうとも、反証可能性がなくては科学ではないのであり、それに耐えられないものはイデオロギーなのである▼中共や北朝鮮を持ち上げてきた者たちは、とっくの昔に立場がなくなっているはずだ。一時は地上の楽園のごとく讃えていたのではなかったか。あろうことか「共産主義国家は平和を希求している」とまで述べていた。中ソの国境をめぐる軍事衝突や中越戦争によって、その幻想が完膚なきまでに打ち砕かれた。何度も何度も冷水を浴びせられれば、普通なら目覚める。それでも特定のイデオロギーから抜け出せないのが、彼らの特徴である▼彼らとて変化がなかったわけではない。共産主義を表に出すと支持を得られなくなるというので、目先を変える意味で逃げ込んだのが環境保全とマイノリティへのこだわりだ。2011年の東京電力福島第一原発の事故もあって、反転攻勢に出ると思われたが、それほどでもなかった。バックに中共や北朝鮮が控えていることを、多くの日本国民が勘付いたからだ。リベラルの旗のもとに結集しようとするのなら、独裁者の習近平や金正恩に尻尾を振るような真似だけはすべきではないのである。
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