ロバート・キャンベルは何を勘違いしているのだろう。聖書では同性愛を禁じており、滅びにいたる者たちとして排斥されている。日本はそこまでのことはない。自民党の衆議院議員が「趣味みたいなもの」と発言したのは、文化的な違いがベースにある。大騒ぎするほどのことではないのである▼日本の保守派の精神的な支柱である三島由紀夫は、同性愛であったといわれる。真実はどうであったかよりも、だからといって彼が否定されるわけではない。キャンベラが同性愛であることを告白しても、日本人は咎めないのである。色々な生き方を尊重するのが日本人なのである。口を尖らせるキャンベラが間違っている▼宗教的な戒律に縛られないのが日本人である。悪人であっても、誰もが死ねば仏になるのだ。キリスト教やユダヤ教、イスラム教の国々では考えられないことである。文化論を研究しているのならば、その辺のことを話題にすべきだろう。一時期、日本でも西洋的な自我が大切だという主張があった。日本人にはそれが欠けているというのだ。しかし、西洋的な自我なるものは、神の前に立つという、最後の審判に耐えなければならず、同性愛であることも罪とされる。罪人は永遠の命は得られないのである。それと比べると日本の宗教は寛容である。キャンベラが告白すべきは、聖書絶対主義者に向かってなのである。
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