草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

同性愛で騒ぐロバート・キャンベルの勘違いを嗤う!

2018年08月14日 | 思想家

ロバート・キャンベルは何を勘違いしているのだろう。聖書では同性愛を禁じており、滅びにいたる者たちとして排斥されている。日本はそこまでのことはない。自民党の衆議院議員が「趣味みたいなもの」と発言したのは、文化的な違いがベースにある。大騒ぎするほどのことではないのである▼日本の保守派の精神的な支柱である三島由紀夫は、同性愛であったといわれる。真実はどうであったかよりも、だからといって彼が否定されるわけではない。キャンベラが同性愛であることを告白しても、日本人は咎めないのである。色々な生き方を尊重するのが日本人なのである。口を尖らせるキャンベラが間違っている▼宗教的な戒律に縛られないのが日本人である。悪人であっても、誰もが死ねば仏になるのだ。キリスト教やユダヤ教、イスラム教の国々では考えられないことである。文化論を研究しているのならば、その辺のことを話題にすべきだろう。一時期、日本でも西洋的な自我が大切だという主張があった。日本人にはそれが欠けているというのだ。しかし、西洋的な自我なるものは、神の前に立つという、最後の審判に耐えなければならず、同性愛であることも罪とされる。罪人は永遠の命は得られないのである。それと比べると日本の宗教は寛容である。キャンベラが告白すべきは、聖書絶対主義者に向かってなのである。

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北一輝の『日本改造法案大綱』は恐るべき予言の書だ!

2018年08月14日 | 思想家

北一輝が墓場から蘇る時代が到来したのではないか。『日本改造法案大綱』は恐るべき予言の書であった。日本が危機に対処するには、それを参考にすべきだろう。ソビエトの兵士評議会が権力を握ったように、在郷軍人会を活用しようとした北は、まさしく革命家であった。口舌の徒ではなかったのである▼今の日本は手詰まりになっている。外敵に備えようとしても、憲法が足かせになっている。反日国家の走狗と化した者たちの跳梁跋扈が目に余る。最悪の場合には決断するしかないのである。いうまでもなく、それは国家緊急権の発動である。昭和45年11月25日に三島森田義挙は、自衛隊員の怒号で無残な結末を迎えたが、今度同じことを繰り返せば、日本は滅亡するしかないだろう▼日本が日本であり続けられるかどうかは、自衛隊の諸君の双肩にかかっている。安倍総理が推進しようとしている自衛隊の憲法明記ですら、見通しは立っていない。もしそれが不可能な事態になれば、決起するくらいの覚悟を持つべきだろう。憲法制定権力としての国家緊急権は、起死回生の最後の行動なのである。北は天皇の名のもとに戒厳令を布告しようとした。日本同士が殺し合う内乱を阻止するには、自衛隊の力が不可欠である。私たちは最悪の事態を想定しておかなければならず、そこで出てくるのは北一輝の『日本改造法案大綱』の思想なのである。

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