草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

資本主義の問題点を解消しようとしたケインズの復活!

2018年08月05日 | 経済

経済学については門外漢だが、ケインズが見直されてきているのは、漠然とながら理解できる。ここにきて市場原理主義が行き詰まつてきており、その象徴がトランプの登場なのである▼1926年に出版されたケインズの『自由放任の終焉』(宮沢義一訳)の文章は、未だに色褪せていないのではないだろうか。「私としては、資本主義は、賢明に管理されるかぎり、おそらく、今までに現れた、いかなる他の制度よりもいっそう有効に経済目的を達成するのに役だちうるものであるが、それ自体としては見るかぎり、資本主義は多くの点できわめて好ましくないもののように思われる。われわれの問題は、満足のゆく生活様式というものに関するわれわれの考えに逆らうことなしに、できるかぎり効率の高い社会組織を創り出すこと、これである」▼ケインズはそれを実現するための思想として、独自の経済学を提唱したのである。しかし、そこで危惧したのは「ヨーロッパには、行動に移る手段が欠如しており、アメリカには、そのための意志が欠けている」という事実であった。第一次世界大戦後のイギリスの果たすべき役割があると主張したのだ。現在の世界とまったく同じではないか。そのケインズの言葉を受けて、日本の経済学が金字塔を打ち立てるべきなのである。資本主義の先頭を走っているのは、アメリカやヨーロッパではなくて、我が日本なのだから。

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「永劫の国のおもひに心痛く」するのが本当の保守だ!

2018年08月05日 | 思想家

あまりにも日本の言論界が酷過ぎるから、売られた喧嘩は受けて立つしかない。しかし、それだけに終始してしまうのでは、それこそ生産性がない。保守には保守としての原点があり、それはひとりの日本人として、奥深い大和心に触れることなのである▼保田與重郎は『わが萬葉集』のなかで、国士であった三浦義一の歌を引用していた。「老いづきてくにのはじめの址(あと)にたちしづかにかうべ垂れにけるかも」「しづかに死にゆきにける老母(おいはは)の面わにか似つやまとの秋ぞら」。保田はこの二首の歌について「今さらに何を付言する必要があらうか。私はこれらの歌を誦し、この国に生まれたよろこびを、かなしみに味ひ、身のふるふものを感ずるのである」と書いたのだった▼左派に対しての保守ではなく、まずは日本なのである。それが何であるかに関しても、保田は言及している。「近代の学界は、先人の成果を知識として分割するだけで、成果をなした先人の学問の方法と志に学ばんとの思ひがないのである。旧時代の文人にとって、学はただの知でなく志だつだ。ものを生むはたらきをなす霊だつた」。今の世の中は情報が全てだといわれる。その点では保守派も例外ではない。それよりも大事なものがあることを、保田は私たちに教えてくれる。「しづかに」の一語に「感無量となり、永劫の国のおもひに心痛く」するのが日本人であり、保守なのである。

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