邪馬台国は畿内にあった。奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から見つかった桃の種を放射性炭素年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135年から230年に収まることが分かった。邪馬台国を卑弥呼が治めたといわれる時代とほぼ重なる▼産経新聞は大々的に報道をしており、関東から九州までの土器が出ていると書いているが、会津地方の古墳が纏向の古墳と類似していることまでは触れていない。邪馬台国らか遠く離れた会津地方にまで、その勢力は及んでいた可能性があり、そのことが明らかになれば、日本の古代史は大きく書き換えられることになるだろう▼卑弥呼の墓とされる箸墓古墳は纏向にあり、会津坂下町稲荷塚の杵ガ森古墳は前方後円墳で形状が似ている。規模は6分の一であっても、築造時期も3世紀末から4世紀初めとみられている。東北地方では最古の古墳ともいわれるが、畿内の勢力は早い時期から東北南部を支配していたのではないだろうか。独立した勢力が頑張っていたというよりも、その影響下にあったからこそ、そうした古墳が見つかるのではないだろうか▼会津地方では会津若松市にある4世紀末の大塚山古墳が知られており、鏡や刀剣類が出土している。杵ガ森古墳が3世紀末となれば卑弥呼の時代とそれほど離れてはいない。日本が国家として統一されたのは4世紀末頃だともいわれてきたが、纏向の古墳と会津の古墳が似ていることから、その辺のこともこれから全貌が解明されていくのではないだろうか。
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