草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

邪馬台国畿内説を裏付ける纏向と類似した古墳が会津に!

2018年08月23日 | 歴史

邪馬台国は畿内にあった。奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から見つかった桃の種を放射性炭素年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135年から230年に収まることが分かった。邪馬台国を卑弥呼が治めたといわれる時代とほぼ重なる▼産経新聞は大々的に報道をしており、関東から九州までの土器が出ていると書いているが、会津地方の古墳が纏向の古墳と類似していることまでは触れていない。邪馬台国らか遠く離れた会津地方にまで、その勢力は及んでいた可能性があり、そのことが明らかになれば、日本の古代史は大きく書き換えられることになるだろう▼卑弥呼の墓とされる箸墓古墳は纏向にあり、会津坂下町稲荷塚の杵ガ森古墳は前方後円墳で形状が似ている。規模は6分の一であっても、築造時期も3世紀末から4世紀初めとみられている。東北地方では最古の古墳ともいわれるが、畿内の勢力は早い時期から東北南部を支配していたのではないだろうか。独立した勢力が頑張っていたというよりも、その影響下にあったからこそ、そうした古墳が見つかるのではないだろうか▼会津地方では会津若松市にある4世紀末の大塚山古墳が知られており、鏡や刀剣類が出土している。杵ガ森古墳が3世紀末となれば卑弥呼の時代とそれほど離れてはいない。日本が国家として統一されたのは4世紀末頃だともいわれてきたが、纏向の古墳と会津の古墳が似ていることから、その辺のこともこれから全貌が解明されていくのではないだろうか。

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ネット民を批判するマスコミの拠り所は丸山眞男だ!

2018年08月23日 | 憲法

今のマスコミが拠り所としているのは丸山眞男なのではないか。昭和39年に世に出た『現代政治の思想と行動』には「超国家主義の論理と心理」「日本ファシズムの思想と行動」「軍国支配者の精神形態」などの論文が収録されている。とくに「日本ファシズムの思想と行動」では、日本のファシズムを担った者たちに言及し「疑似インテリ」と決めつけた▼日本にファシズムがあったかどうか大いに議論の余地があるが、「疑似インテリ」の果たした役割を重視したばかりか、次のような階層であるとまで書いたのだった。「小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、自作農上層、学校教師、ことに小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、総僧侶、神官、というような社会層」である▼丸山はエリートであったにもかかわらず、二等兵として召集されたことが根にあったのだろう。日本の名も無き民は大東亜戦争に恐るべきエネルギーを発揮した。しかし、それはファシズムのためではなく、祖国や家族を守るためであった。丸山は戦後民主主義を正当化するために、日本の名も無き民を断罪した。マスコミのネット批判と一緒ではないか。未だに丸山眞男の論理を振りかざすのが「本来のインテリ」を自称するマスコミなのである。

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