草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

錯乱した民主主義をセーブするのは日本の文化や伝統だ!

2018年08月15日 | 思想家

日本の政治が為すべきは国家の再生である。それを実行に移すか、それとも邪魔するかなのである。マスコミの多くが日本を守り抜こうとする安倍総理をこきおろすのは、国家は悪であると決めつけているからだろう▼長谷川三千子は国家の再評価を主張している。「民主主義の錯乱した『理論』は、国家と国民の関係のうちに、常に闘争的なものを持ち込み、その実像を歪めてきたのであった。その錯乱がとり除かれてみれば、国家と、それを保ってきた文化、伝統、歴史というものを、ほかならぬわれわれ自身の財産として素直に受け取ることが可能となる。実際、理性の本質である知的謙虚というものを身につけてみれば、われわれが自己自身の手柄と思い込んでいるものが、いかに多く、先人から伝えられた文化、伝統、歴史の支えによるものであることが見えてくるのである」(『民主主義とは何なのか』)▼理性を復活させるというのは、国家を抜きには語れないのである。それは家族も一緒である。国家や家族が解体されるようなことになれば、人間の理性が機能しなくなる。長谷川は「人間の理性に目隠しをかけて、ただその欲望と憎しみを原動力とするシステムが民主主義なのである」(『同』)とも書いている。民主主義に一定程度の歯止めが必要になってきており、人間の英知が生み出した国家を再評価すべきなのである。

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