草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「特攻隊を永遠に賛美する」と書いた坂口安吾!

2018年02月08日 | 思想家

どんな人間であろうとも死にたくはないはずだ。だからといって、公のために殉じた者の死を論うことができるだろうか。坂口安吾は『堕落論』で「私は戦争を最も呪う。だが、特攻隊を永遠に賛美する」と書いている。「強要せられたる結果とは云え、凡人も亦かかる崇高な偉業を成就しうるということは、大きな希望ではないか。大いなる光ではないか」と弁護したのだ▼無頼派の安吾は、人間としての純真無垢さに共鳴したのだろう。太宰治も安吾も無償の行為に常に念頭に置いていた。日本の戦後をリードした進歩的文化人は、そのことの意味が理解できなかった。打算を突き抜けた境地に達しなければ、行動を起こすことは難しい。日本で革命が起きなかったのは、そのために身を捧げる人間がいなかったからだ。滅私奉公の精神の欠如なのである。実際には信じていないから、革命も机上の空論にとどまった▼「愛国殉国の情熱」を否定するのではなく、そのパトスがどこに向かうかなのである。言葉遊びに時間をつぶし、挙句の果てに口舌の徒では、社会変革など夢のまた夢なのである。切羽詰まってはいては、国のために身を挺して戦った者たちは偉大であり、それを単純なイデオロギーで裁くべきではない。「凡人も亦かかる崇高な偉業を成就しうる」ということの重要性に気付くべきなのである。

 

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北朝鮮の傀儡政権に異議を唱える韓国人はいないのか!

2018年02月08日 | 国際問題

文在寅の思い通りにさせるのではなく、韓国人は抵抗の声を上げるべきではないか。このまま収容所国家に向かって、のこのこ付いていくのだろうか。ならず者国家の宣伝に利用されるようなオリンピックは最悪ではないか▼北朝鮮は金正恩の妹の金与正を派遣して、南北の融和ムードを演出しようとしている。同じ民族であることをアピールして、同盟国であるはずの日本やアメリカとの分断を策しているのだ。一度誤った道を歩めば、それを修正することは難しい。韓国のことを考えて、これまで我が国は何度も何度も譲歩を重ねてきた。慰安婦問題での先の日韓合意もその一つであった。いかに誠意を示しても、それを認めないのであれば、もはや同盟国と呼ぶにはふさわしくない▼それによって困るのは韓国人なのである。文在寅は歴史を歪曲してまで、北朝鮮に迎合しようとしており、まさしく傀儡政権である。本性を現すことになっては遅い。自由アジアの一角が崩れることは、我が国の安全保障にとっても重大な問題であるが、それ以上に韓国人に悲劇をもたらすのは必至だ。言論の自由は奪われ、基本的人権など考慮されない全体主義国家に呑み込まれてしまうからだ▼欧米列強の支配に抗するために、かつては我らと共に戦った間柄ではないか。親日を口にするのがはばかれるなかであっても、自由を守り抜くために勇気を持って立ち上がる人はいないのだろうか。「後悔先に立たず」という言葉が韓国にはないのだろうか。

 

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名護市長選の敗北を認めたくない内田樹を嗤う!

2018年02月07日 | 思想家

フランス現代哲学の翻訳者に過ぎない内田樹は、語学はできるかもしれないが、政治的な判断は幼稚である。名護市長選での移設反対派の敗北を受けてのツイッターがあまりにも酷い。「日本もアメリカと同じように『国民的分断』の局面に入ってしまったなと思いました」と書いていたからだ▼一体何をいいたいのだろう。意味不明である。自分が応援した側が負けたことを認めたくないので、議論をすり替えようとしているだけだ。一端の思想家ぶって「『分断』とは政治的な対立が『同じ現実について、別の表現や別の判断を下す』ことではなく『それぞれ違うものを見て、違うことを言っている』状態になっていることです」と嘆いている▼それこそ唯識思想には「一人宇宙」という言葉がある。みんな一緒ということではなく、一人一人が宇宙を持っており、その違いをどう乗り越えるかが課題とされるのである。愚にもつかない議論をして煙に巻こうとしているのが内田なのである。そんな小賢しい翻訳者にそそのかされて、わざわざ沖縄まで出かけた活動家は悲劇を通り越して喜劇である。内田のように御託を並べているだけでは傷つくことはないが、真面目に取り組んだ者たちの挫折感は大きかったはずだ。差し迫った中共の侵略の危機に向かい合うことなく、くだらない論理を弄んでいる連中の言葉など聞く必要はないのである。

 

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ヘリ事故で殉職した自衛隊員を鞭打つ朝日を許すなかれ!

2018年02月06日 | 自衛隊

昨日の佐賀県での自衛隊のヘリコプターの事故で、朝日新聞は軽傷を負った子供や怒りの声を上げる母親ばかり大きく報道している。それ以外のことはどうでもいいのだろう。自衛隊憎しで憲法に明記することに反対する勢力だからこそ、そこまでできるのである▼東アジアの情勢が深刻化しているなかで、明日にでも戦争になりそうな緊張状態が続いている。限られた予算しかあてがわれていない自衛隊は、もはや限界に近いのではないだろうか。住宅地であったことは大問題であるが、死亡したのは二人の自衛隊員なのである。彼らにだって家族があり、子供もいるはずだ。朝日新聞にとっては、それはどうでもよいことなのである▼事故の原因については徹底的に解明されなくてはならないが、殉職した自衛隊員に鞭打つことだけは許してはならない。そうでなくても、自衛隊員は戦後70年以上にわたって憲法違反と罵倒され、日教組の扇動もあって、その子供たちは学校で虐められてきたのである▼危険な自衛隊の任務からして、事故をゼロにすることは不可能である。少しでも減らすためには予算を増やさなくてはならない。それが最善の策なのである。自衛隊は士気が緩んでいるのではない。精一杯やり過ぎて疲労困憊なのである。自衛隊を批判して留飲を下げるような朝日新聞は、もはや私たち国民の敵以外の何物でもないのである。

 

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名護市長選の勝利を祝う 5首

2018年02月05日 | 短歌

若者の力で沖縄変わりけり自由を守る砦築けと

香港や台湾の声沖縄も連帯をして自由アジアを

雪深き会津の地より万歳を叫びしことも沖縄ゆえに

後に続け特攻機の若者の白きマフラー沖縄の海

沖縄を死守するために一億が特攻となる覚悟今こそ

 

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現状肯定の立憲主義に固執する日本のリベラルを嗤う!

2018年02月05日 | 思想家

日本の今のリベラルが唱える立憲主義というのは、現状を肯定することであり、変革に逆行することである。それを振りかざすのは思想的敗北を自らが認めることである。もはや革命を目指さないわけだけだから、安倍内閣を批判するのはお門違いなのである▼アントニオ・ネグリが『構成的権力・近代のオルタナティブ』で述べているように、革命を目指す勢力にとっては、立憲主義は構成的権利としての革命権の行使を否定することにほかならない。ネグリは「構成的権力は民主主義が絶対的権力である」との立場なのである▼「立憲主義は過去しか知らない法的ドクトリンであり、それは、過ぎ去った時間への絶えざる参照、強化された諸力―そしてそれが惰性化したときには、精神の精神内部への閉じこもり―への絶えざる参照のなかで成り立つものである。それに対して、構成的権力は、常に来るべき活力を持った時を指向しているのである」▼マルクスの理論からしても、法律などは上部構造に属し、下部構造の経済の進展に伴って変革を余儀なくされるのである。世界中のどこを見渡してみても、立憲主義にこだわるリベラルや左翼は存在しない。立憲主義が時の権力を縛るなどというのは、暴論以外の何物でもない。全体主義国家の中共の走狗と化したリベラルは、いかに抗弁しようとも、本来の役割を放棄し、反動の側に与しているのである。

 

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1万人の無辜の民衆を虐殺したのが天安門事件の真相だ!

2018年02月04日 | 国際問題

中共がどんなに国であるかを知る上で参考になるのは、1989年6月の天安門事件である。今もなお中共当局は、自分たちが虐殺した民衆の数を218名としているが、実際は1万人が装甲車にひかれ、銃弾に倒れたのである▼昨年12月23日付で英国のBBCなど欧米のメディアが一斉に報道した。英国国立公文書館が保管していた極秘公電の機密指定が昨年10月に解除されたことで、これまで隠されていた真相が明らかになった。当時の駐中共英国大使が国務院の関係者から聞いた話として「1万人が殺された」と伝えたのである▼大虐殺を実行したのが山西省の人民解放軍「第27集団軍」であったことも特定された。一時間の猶予を与えたというのは真っ赤な嘘で、警告からわずか5分後に攻撃を開始したのである。自らの全体主義体制を守るためには、血も涙もないのが中共である▼全体主義国家で抑圧され鉄鎖につながれている民衆は、一日も早く自由を手にしなければならない。そうした現実を直視することなく、中共を擁護するというのは、それこそマルクスの思想を冒涜することになりはしないか。60年安保騒動で我が国でも自衛隊が治安出動の命令が下る寸前までいった。しかし、時の自民党政権は民衆に銃を向けることをせず、穏便に対処した。凶暴な全体主義国家中共は、我が国にとって最大の脅威なのである。

 

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揚げ足取りがブーメランになって自滅する希望立憲!

2018年02月03日 | 政局

日本の政治が混迷するのは、まともな野党が存在しないからである。今のところかろうじて政権与党に大きな失態がないことが救いだが、揚足取りに終始しているような野党では、この先が思いやられてならない▼我が国をめぐる安全保障環境はかってない危機である。そんなことはどこ吹く風で、未だに多くの野党にとっては「モリカケ」しかないのである。朝鮮半島にいる在留邦人を、いざというときに救出できるのか、北朝鮮の核ミサイルによる脅威がどの程度のものであり、我が国に対処する能力があるのか。それについては国会でまったく質問せず、どうでもいいことで安倍内閣を追及している▼希望の党の玉木雄一郎代表などは、茂木敏充経済再生担当相の線香配布に関して噛みついて大臣辞職を迫ったが、同じようなことしていたことが発覚した。まさしくブーメランである。立憲民主党にも線香をタダで配った国会議員がいたことが判明した。政党支部や関連団体の収支報告書に、線香代が記載されていたからだ▼野党は反対のための反対であってはならない。議会制民主主義を守り抜く意味からも、国民的な利益を実現するためには、与党との合意形成は欠かせない。とくに安全保障政策に関しては、水と油であってはならない。国の根本の問題をめぐっての議論が成立しないのは、国民にとってもこの上ない不幸である。万年野党への回帰はもはや許されないのである。

 


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日本のリベラルが劣化したのは大衆から孤立したからだ!

2018年02月02日 | 思想家

ネットの動画で池田信夫が「戦後リベラルの終焉」というテーマで語っていた。今の日本のリベラルがどれだけ劣化したかを問題にしていた。争点の設定が間違っていたという意見には賛同するが、本当にそれだけなのだろうか。全共闘世代のまともな部分はすぐに離れたというのは、お花畑で都合よく解釈する政治的なロマン主義に付いていけなかったからだろう。平和と民主主義のプロパガンダでは通用しないのを、思い知らされたのではないか▼池田が見落としているのは、大衆との接点をどう考えるかである。戦後の論壇やマスコミを支配してきた者たちは、戦後70年以上にもわたって特権階級化し、既得権益を擁護する勢力に堕落したのではなかったか。リベラルを主張しながら、大衆を見下していたのではないか。朝日新聞がその典型であり、大衆から罵倒されるのは、リベラルを語りながらも、実際はぬくぬくと戦後社会の恩恵に浴してきた▼官僚やマスコミ、学者文化人をこき下ろすのが「ネトウヨ」であるならば、差別主義者とレッテルを貼るのではなく、彼らをリベラルが惹きつけられないことが大問題なのである。大衆のエネルギーをくみ上げられないリベラルは、政治的な力を持つことは難しい。お高くとまって大衆の怒りを無視するのではなく、それを自らの運動に体現すべきなのである。


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今こそ欧米を野蛮と断じた西郷隆盛の精神に学ぶべきだ!

2018年02月02日 | 思想家

世界に日本が誇るべきは西郷隆盛の精神である。世の中が欧米一辺倒に靡いているなかにあって、弱肉強食の野蛮さを糾弾したからである▼「文明とは道の普く行わるるを賛称せる言にして、宮室の壮厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うに非ず、世人の唱うる所、何が文明やら、何が野蛮やらちとも分らぬぞ。予かつてある人と議論せしこと有り、西洋は野蛮じゃと云いしかば、否文明ぞと争う。否野蛮じゃと畳みかけしに、何とてそれほどに申すにやと推せしゆえ、実に文明ならば、未開の国に対しなば慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左は無くして未開蒙昧の国に対するほどむごく残忍のことを致し己を利するは野蛮じゃと申せしかば、その人口をつぼめて言無かりきとて笑われける」▼明治維新を境にして、それまでの攘夷が開国となり、欧米崇拝に陥っている我が国を、西郷は痛烈に批判した。明治10年の西南戦争で西郷党が敗れてからは、その精神は在野の名も無き人たちによって受け継がれた。影山正治に言わせると「この地下水が今や地表に沸騰して昭和維新の気運」(『大西郷の精神』)となったのである▼平成も今年でお終いであるが、グローバリズムとして私たちに立ち向かってくるのは共産主義だけではない。もう一つの敵であるアメリカニズムにも警戒を怠るべきではないだろう。野蛮な欧米に我が国は、道義を掲げて対峙すべきなのである。


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