草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

今こそ自衛隊違憲論に決着を付けるための憲法改正を!

2018年05月03日 | 安全保障

我が国が本来の意味での国家となるためには、交戦権なき憲法を改正するのは当然である。国家であれば国際法によって交戦権が認められている。それを否定するような憲法を放置しておいて誰が喜ぶかは明白である。我が国を侵略しようとしている中共などのお先棒を担いでいるのが、今の日本の野党やマスコミなのである▼我が国の安全を確保するために、24時間緊張を強いられている陸海空の自衛隊の諸君のことを思うと、戦後長きにわたって憲法学者の定説と化してきた、自衛隊違憲論に決着をつけなくてはならない。安倍首相が憲法に自衛隊を明記するという案は、現段階における最善の策であり、少しでも普通の国家に近づけなくてはならない▼会田雄次は『決断の条件』において、マキァヴェリの「運命の神は女神である。だから、これを組みしくためには、ときどき、なぐったり、蹴ったりしなくてはしなければならない」との言葉を引用していた。マキァヴェリが言いたかったのは、会田によると「甘受すれば死というとき、それが政治的な運命ならば全力を挙げて反撃せよ」ということことなのである▼世界の諸国民の公正と信義に信頼するというのは、あくまでも理想でしかない。東アジアの情勢は緊迫の度を増している。子や孫のためにも、私たちは座して死を待つべきではないのである。

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審議拒否口先だけの野党かな 10句

2018年05月02日 | 川柳

審議拒否口先だけの野党かな

辻元の号令いつもピントボケ

審議入りハードル低く設定す

くだらない学歴馬鹿が勢ぞろい

マスコミに媚びてる野党物笑い

テレビでのコメンテーター意気地なし

マスコミの野党攻勢フェイクなり

国会をサボった野党出てくるな

恵まれた高齢者ほどアベガ―に

若者の支持を集める安倍麻生

 

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非民主主義的な立憲主義を振りかざす日本の左翼を嗤う!

2018年05月02日 | 思想家

まっとうな左翼は立憲主義を否定しなくてはならない。アントニオ・ネグリは『構成的権力―近代のオルタナティブ』(杉村昌昭、斉藤悦則訳)において、立憲主義を「非民主主義的なパラダイム」と規定している。にもかかわらず、今の日本では共産党や社民党の自称左翼が憲法擁護に躍起になっている。その異常さに私たちは気付くべきだろう▼ネグリにとっての「構成的権力」とは「憲法の規範を産出する源泉であり、または憲法をつくる権力、したがって国家の権力を組織する根本的規範を指示する権力である。いいかえるなら、それは新しい法的秩序を樹立し、それによって新しい共同体の内部における法的諸関係を取り仕切る権力」なのである。憲法を絶対視するなどということは、本来の左翼には考えられないことなのである。既存の法体系は民衆の利益と合致したものではなく、それを突破するのが「構成的権力」なのである▼いよいよ明日は憲法記念日である。すぐに憲法を持ち出すのは、現状維持の保守派だというのが世界の常識である。保守派が憲法改正を主張し、左翼が護憲を訴えるというねじれ現象は、あまりにも異常である。日本でしか通用しない論理を振り回す者たちは、左翼とは無縁な単なる現状維持派でしかない。「構成的権力」を理解できない者たちは、左翼を名乗るべきではないのである。

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我が国の平和を守り国柄を取り戻す憲法改正を!

2018年05月01日 | 思想家

憲法学者の多くが昭和20年8月15日を民主主義日本の幕開けと位置付けたのは、日本という国家の歴史を全否定するためであった。ポツダム宣言の受託によって、新生日本が誕生したというのだ。大正デモクラシーという言葉があるように、それ以前から日本は民主主義国家への歩みを始めていた。それを無視した暴論がまかり通ってきたのである▼ここにきてようやく憲法改正の動きが本格化してきた。国家としての交戦権を認め、他国との同盟の根拠となる集団的自衛権を容認するのは、国際法の定めるところである。それよりも国内法である憲法9条を優先させることは、法解釈上無理がある。国際法と国内法との矛盾を解消するのは当然のことである。とくに東アジア情勢が緊迫しており、我が国にとっては喫緊の課題なのである▼それと同時に、憲法改正にあたっては、柳田國男の言葉を思い出すべきだろう。「我々の先祖はことにその一特徴として、いまだ生まれざる子孫を愛し、その繁栄を希いその安全の計を立てた。彼らの最も恐れたのは家衰え子孫愚かにして、死後に追慕してくれる者の次第になくなって行くことであった。そうして人間らしくまた男らしく、欺かず怠らず、神と秩序とを重んじておれば、すなわち家に幸いあって後裔たる我々も永く恩恵を受けるものと信じていたのである」(『青年と学問』)▼柳田が述べているのは、法を法たらしめる国柄のことであり、亡き先人やこれから生まれてくる者たちの思いを、私たちは常に念頭に置かなくてはならないのである。

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