いよいよ新型コロナウイルス感染症との全面的な闘いが始まる。ここで怖気づいてはならない。政府が2月1日になって「指定感染症」にしたことで、日本国内でどう抑えるかに局面は変わってきているのである▼横浜に寄港しているクールーズ船で多数の感染者が出たことで、我が国の医療は深刻な事態を迎えている。351の感染症指定医療機関の1758床では対応するのが困難になってきているからだ。政府がそれ以外の医療機関でも入院させるとの方針を決めたのを受けて、日本医師会は一昨日、都道府県医師会、郡市区医師会の感染症危機管理担当理事あてに「新型コロナウイルス感染症患者等の入院病床の確保について」との文書を出した▼パンデミックを想定して日本中の医療機関が臨戦態勢に突入したのである。どこまで病床を確保できるかが喫緊の課題になっている。原則的には個室であり、トイレは他の患者とは共同使用というわけにはいかない。診療をする上での安全対策もなおざりにはできない▼もっとも犠牲を強いられるのは医療現場であり、政府は全面的にバックアップすべきである。大阪市などをはじめ、各自治体でもコロナウイルスの検査体制が強化されている。これからがいよいよ戦場での勝負なのである。
パンデミックを阻止できるかどうかは2、3週間が勝負だといわれてきたが、新型コロナウイルスによる日本国内の発症者の推移をみても、表面的にはそれほど深刻になっているようには思えない。これからどうなるかなのである▼今日ネットにアップされた産経新聞の記事でも、WHOのシニアアドバイザーを務める進藤奈邦子さんが同じことを述べていた。それが識者の大方の見方だとしても、潜伏期間が長ければ、もっと長期のスパンで考えるべきだ。武漢市からのチャーター機で戻ってきた人たちや、横浜港の碇泊中のクルーザー船の乗員乗客の感染者は、かなり後になって症状が出て陽性が確認されている。気を緩めてはならないのである▼残念でならないのは、安倍首相が新型コロナウイルスに際して、国民に向かって直接呼びかけを行っていないことだ。長期間になればなるほど、国民と共にあることを訴えれば、国民も動揺することなく、政府への協力を惜しまないのである▼2月11日は建国記念の日でもある。我が民族は幾多の試練を乗り越えてきた。先の戦争では我が国は焦土と化し、300万の命を奪われたのである。それでも先人たちの努力によって、今の豊かな日本が築かれたのだ。挙国一致で立ち向かえば負けることはないのであり、安倍首相が指導力を発揮できるかどうかなのである。
まったく今どうなっているかは見当が付かない。ただ一つ言えることは、政治家やマスコミの多くが中共に気を使っていることだ。新型コロナウイルスの中共国内での感染者数や死亡率にしても、それを鵜呑みにしている▼目下日本国内で騒ぎになっているのはマスクが手に入らないことだ。自民党幹事長の二階俊博が100万枚を中共に支援したのに続いて、それに東京都や兵庫県などが追随した。しかし、医療機関でも足りなくなっていることが明らかになり、実際にコンビニでも手に入らなくなったために、ネットでは媚中派政治家への批判が高まっている▼横浜に碇泊しているクルーズ船についても、その扱いに政府は頭を抱えてしまっている。船籍も船会社も日本ではないにもかかわらず、寄港を許したことで、全ての責任を取らされることになったからだ。そこでの感染者がカウントされることで、中共に次ぐ感染国のイメージが定着しつつある▼その一方で政府は、それ以外の日本国内の感染者の数字をつかんでいない。入国制限を厳しくしなかったことで、あちこちで感染が広がっているはずだが、その情報が出てこないのが不思議でならない。まったくゼロということはあり得ず、一気に表ざたになればパニックになりかねない。中共のように隠ぺいをするのではなく、国民とともに危機に立ち向かうリーダーシップが政府には求められており、ここで逃げてはならないのである。
もしそれが本当であるのならば、パンデミック(世界的な流行)になってしまうのではないか。自然から生まれたウイルスの潜伏期間が24日間ということがあるのだろうか。テレビ朝日の今日の夕方のニュースで、中共の専門家チームが「新型コロナ潜伏期間は最長24日間になる」と発表したことを伝えた。感染者1099人に対しての調査で判明したもので、甘く見てはならないのである▼今のところクルーズ船や、武漢市からのチャーター便で帰国した邦人などの感染者以外に関しては、検査が大々的に実施されているわけでもなく、日本国内でどうなっているかは把握されていない。北京ですら閉鎖されたように状態になっているといわれる。かなり深刻であるのを習近平らは知っているのだろう▼我が国も安全保障上の観点から、新型コロナウイルスに立ち向かわなければならない。何としても医療崩壊だけは食い止めなくてはならない。今すぐやるべきは国が正しい情報を発信し、どのような症状が出れば、どこの医療機関にかかればよいかを、国民に徹底させるシステムを構築することである。重症患者と軽症患者と区別して治療する必要があるからだ▼ウイルスに対応するマスク、手袋、防護服、消毒液も、医療関係者ばかりでなく、介護関係者にも配って置くべきだ。感染を阻止できない場合のことを想定することこそが国の責任なのである。
新型コロナウイルスによって、中共が崩壊しようとしている。混乱だけを引き起こすのか、それとも希望に向かっての一歩を踏み出すのかについては、今の段階ではまったく予測が付かない▼ハンナ・アレントの「革命は政治的権威の失墜の原因ではなくて、その結果である」(『革命について』志水速雄訳)という言葉の通りであり、中共の民衆の多くは、習近平らの指導部を信用していない。しかし、それだけでは革命は達成されないのだ。さらに、アレントはもう一つの条件を述べている。「権威の崩壊にそなえており、同時に進んで権力を握るつもりがあり、熱心に組織活動をおこない、共通の目的のために団結して行動する人びとが十分に存在する」(『同』)ことが前提なのである▼中国共産党員の数は9千万人に達するとみられている。国民の人口比でいえば約6パーセントにあたる。ことここにいたっては、中国共産党から民主派が飛び出すのではないだろうか。14億の民をまとめあげるためには、全体主義しかないとの見方があったが、すでに台湾や香港では民主主義が根付いている。今のようなグローバル化した世界にあっては、一つの価値観で民衆を支配することは難しく、全体主義の鉄鎖で民衆を縛り付けておくことなどできないのである。
どんどん悪い方向に向かっているのではないか。もう遅いかもしれないが、中共からの入国を全面的な禁止すべきである。この場におよんで危険な地帯に渡航するというのも、自殺行為にほかならない▼医療関係者などが「中共と比べて日本の方が医療体制がしっかりしている」と述べているが、それはあくまでも限られた数の感染者の場合である。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客乗務員が次々と発症しており、現状でも手一杯である。もはや楽観的なことは言ってはいられないのである▼中共保健部は昨日になって「空気感染を確認した」と発表した。濃厚接触ではなくても、広範囲にウイルスが拡散されるというのだから、手に負えなくなってきているのだ。マスクをすること自体も意味がないのではないか。日本全体に拡大すれば、何万何十万という人数を検査し、治療しなくてはならない。まさしく想定外のことであり、そんなことにでもなれば、医療崩壊は避けられないのではないか▼もはや厚労省のレベルではなく、安全保障上の問題である。政府の危機管理の失敗のツケが、我々国民に回ってくるのだ。このまま感染が広がるようであれば、超法規的な措置として政府は、移動の規制や自宅待機を断行し、国民の命を守るべきなのである。
中共は間違いなく崩壊するだろう。新型コロナウイルスの感染症に関して、真実を伝えられなかった民衆は、怒り心頭に発しているからだ。圧政下からは解放されなければならず、そのエネルギーを抑えることは誰にもできないのである▼中華人民共和国が成立したのは1949年であった。中島嶺雄は「中国革命は何であったか—二十世紀の巨大な陰と陽」において、裏切られた革命であったことを指摘している。当初農民が中国共産党を支持したのは、悪徳地主が打倒されれば、土地が与えられると思ったからである。1951年にそれが実現したが、3、4年もしないうちに、共同化が行われ、人民公社のものとなったのである▼もう一つの裏切りは1949年の時点では、毛沢東は「人民民主主義」の旗を掲げていた。労働者階級だけではなく、農民階級、小ブルジョアジー、民族ブルジョアジーの「四民ブロック」を認めていた。しかし、それも一党独裁に向かうための方便でしかなかった。1960年代後半に起きた文化大革命は、「大躍進」の失敗で権力の座を追われようとしていた毛沢東の反撃であり、死者は2000万人にも達したといわれる▼中共の民衆は裏切られた歴史を肝に銘じているはずだ。中国共産党にしか統治能力がないという見方は偏見である。今一党独裁を倒さなければ、今回のような悲劇を終わらせることはできないのである。
政府に頼っていても駄目で、いよいよ自分たちで自分の身を守るしかないのである▼共同通信によると日本感染症学会は昨日、新型コロナウイルスの感染症について、「既に国内にウイルスが入り込み街の中で散発的な流行が起きていてもおかしくない」との見解を発表した。遠回しな表現であっても、「起きている」とみているのだ。水際対策がうまくいかなかったことを、公的な機関が認めたのである。全ては政府が中共の春節を前に入国を禁止しなかったからである▼日本感染症学会は、感染者の分析結果として「ウイルス性の感染性や病原性はインフルエンザ相当か、やや強い程度と推察される」との見方を示している。数字を示さず「やや強い程度」という言い方や、「推察される」というのでは、医学者としては下の下の発言である。政府や医療関係者の決まり文句である「正しく恐れることが必要だ」という言葉も、あまりにも漠然としている▼中共では主要な都市が次々と封鎖されている。感染者も死亡者も日々増えている。我が国でも「散発的な流行が起きていてもおかしくない」のであれば、これからパンデミックになる可能性が高い。政府は日本国内の移動を制限し、大規模な集会も延期するようにすべきである。とんでもない危機が目の前に迫っているのだから。
今回の新型コロナウイルスの感染症は、我が国にとっては国民の命に関する安全保障上の問題である。にもかかわらず、今の日本国憲法下では非常事態は想定されておらず、政府の対応に限界があるのは確かである▼非常事態の最たるものが安全保障であるが、戦後の日本は長い間アメリカに依存してきた。責任を持つようになったのは、平成15年の自衛隊のイラク派遣からであった。日本が国際社会の一員としての役割を引き受けることになったのだ。そして平成27年の平和安全法正によって、アメリカとの同盟関係を対等なものに近づけることとなった。ようやく日本はまともな国家になりつつあるのだ▼残された課題は、危機的状況化で、どのように国民の命を守るかである。疫病などにおいても、国家としてのやるべきことを断行しなくてはならない。尾高朝雄は『法哲学』において「事実が法と相反すれば、法の安定性は動揺する」と指摘している。目の前の危機を乗り切るにあたって、法が足かせとなるようでは最悪である。重箱の隅をほじくるような議論をするのではなく、時には超法規的な決断が容認されなくてはならないのである▼日本でパンデミックが起きるようなことになれば、戒厳令と同じような処置を講じるべきである。パニックが発生して、国民がバタバタ倒れるような事態だけは、何としても阻止しなくてはならないのである。
新型コロナウイルスは恐れるに足らないのだろうか。今の日本においては、免疫が弱いとされるがん患者は約100万人、糖尿病患者は約328万人ともいわれている。その人たちの命をどう考えるのだろうか。若い健康な人であれば、風邪程度の症状で済むだろうが、持病を持っている人たちにとっては、すぐに死に直結するのである▼日本政府や医療関係者が確率論を振りかざして説明するのは、自分たちの無力さを弁護したいからなのである。入国を禁止するのは、水際で阻止することにはならず、時期を遅らせるだけだとの暴論がある。たとえそうであっても、やらないよりはやった方でいいのではないだろうか。1種間であろうと、2週間であろうとも、国家全体として準備をする期間があるからだ。手洗いなどで防げるというのであれば、なおさらそれが大事になってくるのではないか▼スペイン風邪のときは1918年から1919年にかけて世界的に猛威をふるい、日本では39万人が亡くなっている。日本でも医療関係者が次々と感染し、医療崩壊が起きたことが悲劇に結び付いたといわれている。楽観論は禁物である。パンデミックにならないように努めることは、国家としての当然の使命であり、確率論で語るべき問題ではないのである。