つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

森陽一郎先生の祝辞スピーチ(2)

2010年10月10日 | 友人
             森陽一郎先生の研修会(衆議院議員会館会議室6月)
 
 その時に彼は「結婚式場は如水会館を選んだ。水の意味が解りますか」と私に言ってくれました。
 私はその時は少し酔っていましたので、今この場で水について考えてみたのです。水というのはたしかに方円に従う。つまり水が流れていくときには丸い器あるいは円形の器、四角にも形にはまっているのですが、いざ一たんことが起これば、大洪水となって都市を呑み込み、多くの人々の命を呑み込んでまいります。
 しかしながら、世界の文明は必ずその水の流れ込んでいるところに発生したし、人類の歴史は水無くしてなかったはずであります。
 
 それやこれや考えているうちに私はふと禅の言葉でこんな言葉を思い出したのであります。 「水掬すれば、月手の中にあり」という言葉であります。
 もっとこれをやさしくいうならば、江戸時代の誰かが詠んだそうですが、「水打てば 葉ごと葉ごとの 月夜かな」 草木に水を打つ。そうするとその葉っぱの一枚一枚に水たまりができて夜ならばそこに月が映るということであります。
 
 池内さんが躰道協会の事務局の総局長としてこれから歩んでいく。また、京子さんを愛していく心構えは葉ごと葉ごとの月夜を大事にするようなそんな気構えでということを、私に言ってくれたのではないかと思います。(続く)

(10月10日記)
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