つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

森陽一郎先生の祝辞スピーチ(1)

2010年10月09日 | 友人
               森陽一郎先生の研修会(衆議院議員会館会議室9月)

私が尊敬をしている森陽一郎先生がいます。
弁論を指導している先生です。
躰道の創始者である祝嶺正献最高師範は「躰道の指導者は話し方が上手くなくてはならない。」と、当時若き躰道指導者の軌士研修会で森陽一郎先生を招聘して話し方の指導をしてもらいました。
それ以来40年も長く交流をさせて頂いております。

◆昭和54年3月11日(日)一橋如水会館において挙行された結婚披露宴での森陽一郎先生のスピーチを紹介します。

 『先程までここ如水会館の窓ガラスが春の到来を告げる風のためにガタガタ音をたてて揺らいでいましたが、今はもう本当に静かになりました。春というのは、烈風を伴って身を震わせて近づいてくるといいますが、奇しくもこの披露宴に時を合わせたようにピタリと着地したのであります。

 私は池内さんの顔を傍らからずっと見ておりまして、2年程前たしか大阪の躰道協会の皆様方に弁論の講義にいったその帰りに新大阪駅で彼と語り合ったその話の内容を思い出したのであります。
 
 彼は「私は祝嶺正献先生についていつまでもいつまでも躰道の道を歩んでいく」と言いました。ただ、私はその時に反対したのです。「もう。あなたも31か32になるから、私も33歳で結婚をしたものだから、もう、結婚のことを考えた方がよい。宗家もきっとそれは許してくれる」というように言いました。そうしたら、彼はこう言いました。「僕はお金も無いし、頭ももう禿げてきてしまったし、あんまり女の子にもてそうもないから、それはまあ後回しにしております。と言いました。でも、どこかチラッとその寂しそうな顔を記憶に留めていたのであります。
 
 先日のことでありますが、彼から久し振りに電話がありまして「今晩自分の家に来てくれ。結婚の日取りが決まり、嫁さんも決まったので、今日はその打合せの会合を開きたい」と言うのであります。
 そして「その制作担当として森陽一郎先生を指名するからぜひとも来てくれ」と言うのです。私は喜び勇んでまいりました。躰道の同志の方と一緒に深夜まで、今日の演出企画を練りに練ったのであります。私はその帰りに、お父さんとお母さんが住んでいる住宅のその3階に今度は新居を構えると言って彼は本当に嬉しそうな顔をして話してくれました。

 私は「池内さんよかったな。これでいいんだよ。これで京子さんと二人でピタリと一緒になって宗家祝嶺正献先生の後について行くんだよ」そういう思いでいたのであります。(続く)

(10月9日記)
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