つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

雨宮康雄さんについて

2010年08月16日 | 友人
                   
豊島区の東池袋に住んでいる雨宮康雄さんがいます。
ある仕事先で偶然に出会った。
住んでいる所と雨宮さんという名前から、30年ほど前に時習小学校体育館で躰道を指導していた時に習いに来ていた女の子の父親であることが分かった。
その娘さんは今はニューヨークに在住していて家庭を持ち2歳のお子さんの母親となっていた。
それからと言うもの雨宮康雄さんとは、縁が増幅して、交流が深まっていった。

雨宮康雄さんは、池袋生まれの池袋育ち、仕事も地元の池袋の東武百貨店で定年まで外商部で勤務していたバリバリのビジネスマンでありました。
現在69歳で元気印の人です。約束した時間はきちんと厳守します。
今は趣味は囲碁を嗜み、そして友人達と飲むお酒と会話が楽しみであると話す。
百貨店時代に培った体験が話題豊富な話術となって周りの人達を楽しませています。

秋にお孫さんのいるニューヨークに行くことが楽しみであると話しています。
話題豊富な雨宮康雄さんは、どんなお話を持ってニューヨークへ行くのだろうか。
益々元気に活躍している雨宮康雄さんです。

(8月16日記)

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東京大学キャンパスの銀杏の実

2010年08月15日 | 日記
                路上に落ちた銀杏の実(東京大学キャンパス)

夏休み真っ盛りの東京大学キャンパスを散策してみた。
キャンパス内は夏季休暇中でも多くの学生や教員など関係者たちを見かけた。
小学生を連れた家族も見かける。親は子供を東京大学へ入学させようと今から環境に慣れさせているようだった。先生に引率された高校生の団体も見かけた。
第二食堂はそれらの人々でいっぱいであった。
東京大学内の食堂はどこも安くて美味しい。

キャンパス内を歩いていると大きな欅並木や銀杏並木がある。
歴史の長さと重さを感じてしまう。
歩道に緑色の銀杏の実と葉が落ちていた。
昨日の台風4号の影響で風が吹き、そのために銀杏の木になっていた実が枝と共に落ちていた。
銀杏の実といえば秋の季節に黄色の実としてみるのが通常である。
まだ熟していない緑色の実であったので一枝拾ってきた。

近くにいた学生にキャンパス内の郵便局はどこですか?と聞いてみた。
何しろ広いキャンパスである。
その学生は、大学の付属病院の中にあります。そこまで案内をしましょうと丁寧な応対であった。
そこまで期待していなかったので、学生の心遣いに感激をした。
流石、東京大学の学生は学業と共に倫理感も持ち合わせているものであると気持ちが良かった。
東京大学のキャンパスは誰でも入ることができる。
三四郎池などは東京の喧騒を忘れさせてくれるほど静かなところである。

(8月15日記)
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星眞子デッサン展~恋する犬~

2010年08月14日 | 日記
                       星眞子先生の作品

彫刻家でもあり画家の星眞子(ほししんこ)先生のデッサン展が銀座で開催されます。
星眞子先生はイタリアに在住して創作活動に邁進しています。
星眞子先生がイタリアのピエトラサンタで愛犬のガボッシュと散歩しながら「恋する犬」をテーマに描いたパステルデッサンを30点展示します。
このデッサンを基にして作られたブロンズ像も展示しております。

◆日時 8月16日(月)~21日(土) 11:00~18:30
◆場所 銀座渋谷画廊(中央区銀座7-8-1渋谷ビル2F TEL03-3571-0140)

星眞子先生は、イタリアで大理石やブロンズを使用した彫刻家として創作活動をしている人です。
(経歴)
宮城県石巻市出身で、石巻女子高からは仙台市の三島学園女子大生活美術科に進学。
1975年に卒業後、宮城教育大美術科研究生になる。
当時は石こう、みかげ石が主な素材で、具象作品では裸婦像が多かった。
1981年、宮城県芸術選奨 新人賞受賞。
1996年、ヨーロッパ国際アートフェアin GINEVRA(SWISS)
1997年、イタリア国立カッラーラ美術学校卒業
2005年、石巻市「遊楽館」に石彫設置
2006年、「デッサン展」出品PISA(ITALY)
2010年、現在、ピエトラサンタ(イタリア)在住

興味のある方は、鑑賞に出かけたらよいでしょう。
毎日、銀座渋谷画廊には居られるとのことです。
星眞子先生はとても気さくな方ですので、お声を掛けてください。

(8月14日記)
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彫刻家・星眞子さんについて

2010年08月13日 | 日記
                 彫刻家・星眞子さん(右)とブロンズ作品。
                左はトゥッティコンサルタントの小熊美恵子さん

中野英人さんの案内で、日本橋高島屋6階画廊に行った。
彫刻家・星眞子(ほししんこ)作品展が開催されていた。
星眞子さんはイタリアに在住して創作活動に取り組んでいる人です。
大学の同級生である小熊美恵子さんのプロデュースにより作品展を開催している。
6月18日からは横浜市日本大通り三井物産ビル1階ギャルリーパリで開催した。
7月28日からは日本橋高島屋画廊にて二週間展示されていた。
ブロンズ彫刻作品。犬をモデルとした作品が6点とスケッチ画であった。
8月16日から21日までは銀座渋谷画廊にて星眞子作品展を開催。
中央区銀座7-8-1渋谷ビル2F 11:00~18:30

星眞子先生と小熊美恵子さんと話す機会があった。
経歴を詳しく説明をしてくれました。
◆イタリアに単独で渡って、彫刻の創作活動に励んでいる星眞子さんである。
彫刻ではルネサンスの盛期十六世紀にケラミンジェロ、十七世紀にはベルニーニを輩出したイタリアに、自らの彫刻の可能性を求めて移り住んだのは平成3年だった。
「良質の大理石が採れるのはギリシアかイタリア」ということで、新天地に選んだのがイタリア・トスカーナ州にあるピエトラサンタ。
ピサの斜塔で有名な都市ピサの近くの海沿いで、大理石の山々であるアプローネ山脈のふもとに位置する。
イタリアでの修行の成果としてブロンズ展の個展となった。
星の三島学園女子大生活美術科時代の講師だった彫刻家の翁ひろみ先生は「独自性を持った個性的な作品が彼女の特徴。直裁的な表現ながらも、見るものに彼女の思い入れは伝わってくる。常に新しい表現とチャレンジする女性」と評する。
トスカーナ州の州都フィレンツェはルネサンス美術の宝庫である。
イタリアの地が、ピエトラサンタの地中海性気候の風土が、創作意欲をかきたてる。
「イタリアはまさに石の文化。アプローネ山脈のふもとに住み、白い大理石の山々との対話で生まれた作品たちは心の風景であり、今や私の心の古里」と言い切る。
==●日本を離れてマイペース制作●==
彫刻にとりつかれたのは石巻女子高在学中。
「授業で粘土をこね回しているうちに、いつの間にか形を作り出すことの魅力におぼれてしまった」。
石巻女子高からは三島学園女子大生活美術科に進学。
昭和50年に卒業し宮城教育大美術科研究生になる。
当時は石こう、みかげ石が主な素材で、具象作品では裸婦像が多かった。
56年に宮城県芸術選奨新人賞を受賞したのをはじめ、河北美術展・彫塑の部で河北賞を四度受賞。

銀座渋谷画廊での星眞子作品展が楽しみである。

(8月13日記)
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日航機墜落の慰霊の園

2010年08月12日 | 日記
                     日航機墜落慰霊の園(上野村)

八月になると3日ごとに必ずニュースで報道されることがある。
8月6日(広島原爆平和記念式典)、8月9日(長崎原爆平和祈念式典)、8月12日(日航ジャンボ機墜落慰霊祭)、8月15日(終戦記念日)である。
8月12日は、日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落して25年目を迎える。

神流町の七夕祭りに出演した漫才の宮田陽さんと昇さんを上野村の慰霊の園に案内をした。
日航機墜落事故で亡くなった520名の氏名が全て石碑に彫りこんである。
歌手の坂本九さんは本名の大島九と記してあった。

12日の慰霊登山には前原国土交通大臣も参加し、夕方から慰霊の園での記念式典にも出席する。既に式典用のテントが設営されていた。
宮田陽さんと昇さんは「今までテレビのニュースで観ていた慰霊の園を実際に見て改めて日航ジャンボ機墜落の大きいことを認識した」と話していた。

以前は、群馬県のチベットと呼んでいた上野村は、御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機の墜落により大きく変貌していった。

(8月12日記)
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宮田小介くんについて

2010年08月11日 | 日記
                    宮田章司師匠一門会の人達

神流町の納涼七夕祭りは、宮田章司師匠一門の出場で盛り上がっていた。
神流町出身の宮田小介(近藤和学)君が出演をすることで、母親はじめ阿藤伯父さんや学校時代の仲間達が多く集まって見守っていた。

宮田小介君が神流町を出て東京へ行き宮田章司師匠に弟子入りして芸人の道を精進して10年が経過した。今は関口征矢君と組んでざっくばらんというコンビ名で漫才を修行している。
宮田章司師匠が「小介は10年頑張ってきたので、故郷の神流町の皆さんに成長をした漫才の芸を見てもらいたい」との希望が今回実現する形となった。
実現までは、万場かたる会(大塚会長)のメンバーや石崎安美夫妻の貢献が基礎にあった。

宮田章司師匠も小介の出身地である神流町で一門会ができることを喜んでいた。
また、宮田小介君も宮田章司師匠の心遣いに感謝していた。
兄弟子である宮田陽さんと昇さんも漫才で盛り上げてくれた。
神流町の人達も宮田章司師匠一門の芸をライブで見て堪能していた。

宮田章司一門の人達はライブ終了後の挨拶で神流町の人達の温かい気持ちが伝わってきたと喜んでいた。
宮田小介君のこれからの活躍を期待したい。

(8月11日記)
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万場納涼七夕祭り

2010年08月10日 | 日記
               万場納涼七夕祭りで漫才を披露するざっくばらんの二人

群馬県の神流町は5月の鯉のぼり祭りが有名である。
町の青年グループ「かたる会」が町興しのために企画したイベントは30年前からスタートしている。神流川を挟んで向こう側の紅葉山からロープを斜めに張り、800匹の鯉のぼりを空中に泳がした。
このことがメディアに注目され全国に発信されてから、各地で鯉のぼりをまとめて泳がすところが多くなった。
この神流町(旧万場町)が多くの鯉のぼりを空中に泳がすイベントをした発生の地である。

そのかたる会のメンバーが、夏には「納涼七夕祭り」を主催した。
今年は、特別ゲストとして宮田章司師匠一門を迎えた。
物売り声の宮田章司師匠は、七色唐辛子の実演もしながら売り声を披露した。
漫才の宮田陽さんと宮田昇さんは、巧妙な話術で日本全国の県名を素早く面白く展開する漫才であった。
ざっくばらん(宮田小介くんと関口征矢くん)の二人も漫才を披露した。
宮田小介くんは、神流町の出身であり多くの友人達が応援に駆けつけていた。
中でも宮田小介くんの母親は、息子の初めての晴れ姿に緊張しながらステージを見守っていた。伯父さんの阿藤さんもゲスト達にご祝儀をはずんでいた。

天候に恵まれた今夏の納涼七夕祭りは大きな成果を挙げて、大空に舞い上がる花火の打上げで終了した。

(8月10日記)
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真砂町界隈(現本郷四丁目)

2010年08月09日 | 日記
                   真砂町界隈(シビックセンター展望台25階より)

シビックセンター25階の展望台から下を見ると春日の交差点が多くの車の往来を通過させているのがよく分かる。
文京区の区民センタービルはリニューアル中である。
その後ろ側が、昔の真砂町界隈である。戦火を免れた地域でもあり古い町並みが多くある。
現在は本郷四丁目となっている。

菊坂通りには、小説家である樋口一葉が住んでいた家があり、井戸が今でも水を沸きあげている。
泉鏡花の婦系図(湯島の白梅)で有名な「真砂町の先生が許してはくれない」の有名な台詞が主税からお蔦へ別れの言葉が発せられる。
真砂町の先生が・・・だから芝居になるのだ。今ならば本郷四丁目の先生がとなって味も素っ気も無いものとなってしまう。

昔の町名が無くなっていくことは寂しい気がする。

(8月9日記)
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サンシャインビル池袋方面

2010年08月08日 | 日記
             池袋サンシャインビル方面を望む(シビックセンター25階より)

シビックセンターの25階にある展望台からは遠くまで見渡せる絶景の場所である。
筑波山もよく見える。
池袋サンシャインビル群もはっきりと見える。
サンシャインシティ60階ビル、プリンスホテルの40階建てのビルはもう30年以上前に建設されている。
今そのそばに東池袋開発地区では、高層のマンションとオフィスビルが建築中である。
また、池袋の清掃工場の煙突の高くそびえている。
池袋地区もかなり高層のビル群が建設され増えてきている。

(8月8日記)
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東京スカイツリー(8月)

2010年08月07日 | 名所
               東京スカイスリー(シビックセンター25階展望台より)

東京スカイツリーの建設がどんどんと進んでいる。
現在408メートルの高さで第一展望台の上までいっている。
かなり遠くからも見える高さになった東京スカイツリー。
文京区役所のあるシビックセンターの25階の展望台から東京スカイツリーを見た。
猛暑の中、晴れ上がった空に高く伸びている。
周りの建物が低い地域に建設されているのでとても大きく見える。

関東地方の地上デジタル放送は2003年12月より放送が開始されているが、都心部に林立する200m級超高層ビルの影響を受けにくい600m級の新タワーからの送信が望まれている。

新タワーに移行すると、地上デジタル放送の送信高は現在の約2倍となるので、年々増加する超高層ビルの影響が低減できるとともに、2006年4月に開始された携帯端末向けのデジタル放送サービス「ワンセグ」のエリアの拡大も期待されているところ。

また、災害時等の防災機能のタワーとしての役割も期待されている。

(8月7日記)
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マック、6月中間も過去最高を更新

2010年08月06日 | 経済
                 最高益を挙げたマクドナルドのハンバーガー

(産経新聞から)
日本マクドナルドホールディングスが4日発表した2010年6月連結中間決算は、全店売上高が前年同期比2・9%増の2682億円、本業の設けを示す営業利益は51・8%増の146億円となり、いずれも過去最高を更新した。

1月に開始したボリューム満点で価格も高めのハンバーガー「ビッグ アメリカ」シリーズが大ヒット。
節約志向による外食不況の逆風の中、“独り勝ち”の快走を続けた。

同期の既存店売上高は2・8%増。デフレで客単価が0・3%減と落ち込んだが、客数を3・1%増と伸ばしカバーした。
最終利益は、不採算店を積極的に閉鎖する攻めのリストラを進め、特別損失を計上したことから、58・7%減の20億円と減益だった。

2010年12月期の通期業績見通しは従来予想を据え置き、売上高は前期比13・6%減の3130億円、営業利益が同7・3%増の260億円、最終利益が同54・7%減の58億円を見込む。

同時に発表した7月の既存店売上高は前年同月比9・8%増と、2カ月ぶりのプラス。
客数が4・6%増、客単価も5・0%増と伸ばした。

同月に発売した「チキンバーガーソルト&レモン」などチキンシリーズのヒットが貢献した。

原田泳幸会長兼社長は、決算発表会見で、「おかげさまで良い結果だった」と振り返った。
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車椅子の体験

2010年08月05日 | 日記
                            車椅子

車椅子に乗車して体験してみた。
シビックセンターから春日町の交差点を通って社会福祉協議会の入っているビルまで。
通常歩いているときは気がつかないくらい、車椅子で道を通ると走りにくいことが理解できる。
点字ブロックは視覚障害者のために設置してある。
最近は多くの歩道に点字ブロックが設置されるようになった。
車椅子ではフラットの面はスムーズに進むことができるが、少しでもスロープとなっているところは注意が必要である。下り坂のスロープはスピードが出てしまう。上り坂のスロープは力がいる。また角度を曲げることも困難である。
それからエレベーターの乗降のときやトイレでの使用時には気を使う。

交差点を移動するときは信号が青から赤に変わらないかと気が焦る。
また、前から来る人とぶつからないかと気になる。
車椅子では少しでも段差の通路は前の車を上げたり、力を入れたり苦労がいる。
車椅子を体験したことにより、健常者ではわからない移動に対する不便さを感じたし、このような不便や苦労があるのだと知る機会となった。
車椅子の体験をすると人に優しくなることを実体験した。

(8月5日記)
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真紅の百日紅(さるすべり)

2010年08月04日 | 日記
                     猛暑の夏に真紅の花を咲かせる百日紅

百日紅(さるすべり)について
・禊萩(みそはぎ)科。
・学名 Lagerstroemia indica Lagerstroemia : サルスベリ属 indica : インドの
Lagerstroemia(ラジェルストレミア)は、18世紀のスウェーデンの生物学者で、
植物学者リンネの友人の「Lagerstroum さん」の名前にちなむ。学名 L

・開花時期は、 7/15頃~10/15頃。
・中国原産。
・「約100日間、ピンクの花を咲かせる。」のが名前の由来。
 約3ヶ月間、秋まで咲き続ける。
実際には、一度咲いた枝先から再度芽が出てきて花をつけるため、咲き続けているように見える。花はしわしわの形。白い花もある。
・「猿滑」とも書く。
”幹がスベスベで、猿も登れない”ところから。
・秋になると、けっこう早めに落葉する。
・夾竹桃(きょうちくとう)と同じような時期に咲く。

・「百日紅 ややちりがての 小野寺」 与謝蕪村(よさぶそん)

「さるすべり 寺中おほかた 見えにけり」 炭太祇(たんたいぎ)

「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」 加賀千代女(かがのちよじょ)

「炎天の 地上花あり 百日紅」 高浜虚子(たかはまきょし)

テレビで百日紅の木に猿を登らせた。猿は落ちるか、登れるか。結果猿は見事に百日紅の木をいとも簡単に登っていった。

(8月4日記)
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全国少年少女躰道優勝大会

2010年08月03日 | 躰道
                  選手宣誓をする鈴木善貴選手と高橋妙理選手

第32回全国少年少女躰道優勝大会・第29回全国高校生躰道優勝大会が東京武道館にて開催された。
開会式では、選手宣誓として鈴木善貴選手(青森県)高橋妙理選手(宮城県)の二人が立派に行なっていた。
全国から選抜された小・中学生の選手と高校生選手の優勝大会である。
中でも青森県、宮城県、山形県、新潟県、静岡県、和歌山県、広島県などの選手は指導者も熱心であり、遠方でも参加している。結果、上位の成績を挙げていた。
日頃の指導の成果が大会で挙げられて喜んでいた。

一方、会場の来賓席と観客席は少なく寂しい限りであった。
今回師範など指導者への大会開催の案内がなかった。
来賓席は工藤依子さんと中村正弘会長の他ほんのわずかであった。
観覧席は選手の関係者が大半を占めており、一般の観覧者ほんのわずかであった。
躰道の創始者である祝嶺正献最高師範は「躰道の大会は、躰道を広報するためには一番いい機会である。大会を開催する以上観客を集める努力をしなさい」と常々話していた。
昭和52年に開催された第10回全日本躰道選手権大会では、千駄ヶ谷駅前の東京体育館の3階席までも満員にする盛況であった。
競技を運営することばかりに力を注いで、躰道を広報して発展させようとの気持ちが伺えない大会であった。
立派な大会プログラムの役員の挨拶文が虚しく思えた寂しい大会であった。

(8月3日記)
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ピザトースト元祖の店「紅鹿舎」

2010年08月02日 | 日記
                  ピザトースト元祖の店「紅鹿舎」

日比谷の一角に喫茶店「紅鹿舎」がある。
ピザトースト元祖の店として、多くのメディアが取材をしている。
テレビの人気番組「シルシルミシル」でも喫茶店お初店に登録もされた。

小西美智子先生と愛先生にも紅鹿舎のピザトーストを食べて貰った。
とても美味しいと喜んで食べていた。
流石元祖の店と銘打っているだけに絶品のピザトーストである。
この店のハンバーグもとても美味しい。
大抵ここでは「ハンバーグセット」を注文することが多い。

この紅鹿舎は女性客が多く、ひといきをする時に絶好の場所である。
食事も美味しいし、飲み物も充実している。
いつ来ても落ち着く喫茶店「紅鹿舎」である。

(8月2日記)
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