つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

音声認識ガイド装置送信機・シグナルエイド

2010年10月14日 | 日記
                      シグナルエイド

視覚障害者が道路の交差点を渡る時に音声が鳴って青信号であることを確認してから渡っている。
池野通建株式会社が発売している「シグナルエイド」 (小型送信機)がある。
シグナルエイドは、音声標識ガイドシステムの利用者が携帯し、必要時にボタンを押すと電波を送信します。この電波により周囲に設置された音声認識ガイド装置をはじめ、メロガイド弱者感応信号機を作動します。
この送信機は、交差点に来たときにボタンを押すと受信した信号機は青信号になると音声を自動的に出す送信機である。
全国には2万箇所の交差点信号機が受信体制を整えているようだ。全体から比べるとまだまだ設置箇所は少ないようだ。

多くの交差点では、杖を使用しているマークが設置されている。視覚障害者がそのマークに近づきボタンを押すことはかなり困難なことであると思う。
その点、送信機があれば、交差点設置のボタンを押さなくても、近くに来たらシグナルエイドを押すだけで、音声が発信されるので便利である。

それならば、視覚障害者が常に携帯している白杖に内臓設置すればもっと便利であるとメーカーに聞いてみたところ、白杖に設置するにはコストがかかり高額になってしまうとのこと。白杖利用者の数が少ないこともあげられる。とのこと。

健常者である人には、なかなか分からない視覚障害者の行動範囲。
最近交通機関でもホーム扉を設置するところが増えてきた。
視覚障害者はよくホームから線路に転落をする事故が多いと聞いた。
政治が福祉をスローガンにあげるのであれば、このような視覚障害者が行動のしやすいインフラを確立必要があるだろう。

点字ブロックにおいても、国道の歩道には設備されているが、都道や区道、市道になると点字ブロックが完備されていないところが多い。
その点では、日本はまだまだ福祉後進国であると云える。

(10月14日記)
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元気な三浦照雄さん

2010年10月13日 | 日記
               散策する姿も凛々しい三浦照雄さん(くじら橋)

躰道の仲間である三浦照雄さんを訪れました。
JR南武線「稲城長沼駅」のそばに住んでいます。
家に訪ねていったら「今日は天気がいいから散歩に出かけよう」と言って、車で稲城中央公園へ連れて行ってくれました。
新興住宅街に整備された向陽台の中に位置します。その先には多摩ニュータウンが続いております。
中央のくじら橋からは、遠くに新宿や池袋の高層ビル群が見える。
ここの公園はとても整備が行き届いており、野球場は、2013年(平成25年)の東京国体での軟式野球大会の会場となるところである。

公園内の体育館はアリーナが2室、柔道場、剣道場、弓道場などの武道場が完備されていて練習には相応しい設備である。
公園内は丘の上に位置しているので展望も素晴らしい。
陸上競技場は一般にも開放しており、家族連れで来る人も多い。

三浦照雄さんは、天気の良い日にはこの公園に来て散歩をする。
その歩く姿はとても凛々しくスポーツマンそのものである。
元気な三浦照雄さんに久し振りに会って元気を頂いた。

(10月13日記)
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東京スカイツリー(10月)

2010年10月12日 | 日記
              東京スカイツリー(アサヒスカイルームから)

隅田川の吾妻橋のところにアサヒビール本社がある。
その本社ビルの22Fには「アサヒスカイルーム」があり、そこからの展望は素晴らしい。
今建設中の東京スカイツリーは目の前に大きく見える。
既に第一展望台を超えて上部に伸びていっている。
現在の高さは478mである。完成すると634mとなるから、今は4分の3(75%)まで高くなってきた。
東京都内からでもかなり多くの場所から東京スカイツリーが見渡せるようになってきた。
東京スカイツリーが見えると各地で携帯を取り出してカメラで撮影をしている人を多く見かけるようになってきた。
これからも月ごとにスカイツリーは伸びていく。

(10月12日記)
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森陽一郎先生の祝辞スピーチ(3)

2010年10月11日 | 友人
                 結婚披露宴(如水会館)

 先程からもう随分長い時間この披露宴をやっております。中村さんは一生懸命司会をやってくれました。私はディレクターとして彼の評価を下すなら、もう立派に赤坂のミカドの舞台ぐらいは立てるのであります。
 
 それからもう一つ、宗家の祝嶺正献先生が長く延ばせ長く延ばせというから会場の迷惑も考えずこんなに長くやりましたが、披露宴はもう4時間にもなります。しかし立派に皆さんを引きずってきております。あの浅草の国際劇場だって、日劇の舞台だって、宝塚だってせいぜいワンステージは2時間であります。その二倍立派に引きずってきております。あの新大阪駅で「お金がないから、恋人がいないから僕はだめなんだ」と言った池内さんの結婚式がこんなに立派に出来上がりました。
 
 池内和彦は33歳であります。「疾風迅雷百花繚乱」という言葉があります。お遍路さんは四国の巡礼の旅へ出るときは「同行二人」と書くそうです。京子さんと二人、同行二人、祝嶺正献先生の後について歩んでまいります。
 
 私はここで皆様にお願いがあります。第1番目にいつまでも二人を温かく見守ってやって下さい。そして第2番目にはどうかいつまでも厳しく見守ってやって下さい。どうか満場の皆さん。今日はご協力を感謝申し上げますとともに、どうか池内和彦を立派な男にしてやって下さい。お願い申し上げます。(以上)

◆森陽一郎先生の結婚披露宴での祝辞スピーチは、今でも鮮明に記憶に残っています。
 200名ほどの参加者の結婚披露宴も終盤となり、会場内はかなり盛り上がっていました。森陽一郎先生がマイクの前に立って、スピーチを始めると披露宴会場内は段々と静まり注目をするまではほんの数秒でありました。
 どんなに多くの人が集まったところでも、宴席で盛り上がっているところでも、スピーチひとつで人々の目と耳を集中させる話術を持っております。
 森陽一郎先生は、学生時代は中央大学の弁論部「辞達学会」に所属して、卒業後も学生たちや政治を目指す人に話術を通して弁論の理念を指導して続けています。

(10月11日記)
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森陽一郎先生の祝辞スピーチ(2)

2010年10月10日 | 友人
             森陽一郎先生の研修会(衆議院議員会館会議室6月)
 
 その時に彼は「結婚式場は如水会館を選んだ。水の意味が解りますか」と私に言ってくれました。
 私はその時は少し酔っていましたので、今この場で水について考えてみたのです。水というのはたしかに方円に従う。つまり水が流れていくときには丸い器あるいは円形の器、四角にも形にはまっているのですが、いざ一たんことが起これば、大洪水となって都市を呑み込み、多くの人々の命を呑み込んでまいります。
 しかしながら、世界の文明は必ずその水の流れ込んでいるところに発生したし、人類の歴史は水無くしてなかったはずであります。
 
 それやこれや考えているうちに私はふと禅の言葉でこんな言葉を思い出したのであります。 「水掬すれば、月手の中にあり」という言葉であります。
 もっとこれをやさしくいうならば、江戸時代の誰かが詠んだそうですが、「水打てば 葉ごと葉ごとの 月夜かな」 草木に水を打つ。そうするとその葉っぱの一枚一枚に水たまりができて夜ならばそこに月が映るということであります。
 
 池内さんが躰道協会の事務局の総局長としてこれから歩んでいく。また、京子さんを愛していく心構えは葉ごと葉ごとの月夜を大事にするようなそんな気構えでということを、私に言ってくれたのではないかと思います。(続く)

(10月10日記)
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森陽一郎先生の祝辞スピーチ(1)

2010年10月09日 | 友人
               森陽一郎先生の研修会(衆議院議員会館会議室9月)

私が尊敬をしている森陽一郎先生がいます。
弁論を指導している先生です。
躰道の創始者である祝嶺正献最高師範は「躰道の指導者は話し方が上手くなくてはならない。」と、当時若き躰道指導者の軌士研修会で森陽一郎先生を招聘して話し方の指導をしてもらいました。
それ以来40年も長く交流をさせて頂いております。

◆昭和54年3月11日(日)一橋如水会館において挙行された結婚披露宴での森陽一郎先生のスピーチを紹介します。

 『先程までここ如水会館の窓ガラスが春の到来を告げる風のためにガタガタ音をたてて揺らいでいましたが、今はもう本当に静かになりました。春というのは、烈風を伴って身を震わせて近づいてくるといいますが、奇しくもこの披露宴に時を合わせたようにピタリと着地したのであります。

 私は池内さんの顔を傍らからずっと見ておりまして、2年程前たしか大阪の躰道協会の皆様方に弁論の講義にいったその帰りに新大阪駅で彼と語り合ったその話の内容を思い出したのであります。
 
 彼は「私は祝嶺正献先生についていつまでもいつまでも躰道の道を歩んでいく」と言いました。ただ、私はその時に反対したのです。「もう。あなたも31か32になるから、私も33歳で結婚をしたものだから、もう、結婚のことを考えた方がよい。宗家もきっとそれは許してくれる」というように言いました。そうしたら、彼はこう言いました。「僕はお金も無いし、頭ももう禿げてきてしまったし、あんまり女の子にもてそうもないから、それはまあ後回しにしております。と言いました。でも、どこかチラッとその寂しそうな顔を記憶に留めていたのであります。
 
 先日のことでありますが、彼から久し振りに電話がありまして「今晩自分の家に来てくれ。結婚の日取りが決まり、嫁さんも決まったので、今日はその打合せの会合を開きたい」と言うのであります。
 そして「その制作担当として森陽一郎先生を指名するからぜひとも来てくれ」と言うのです。私は喜び勇んでまいりました。躰道の同志の方と一緒に深夜まで、今日の演出企画を練りに練ったのであります。私はその帰りに、お父さんとお母さんが住んでいる住宅のその3階に今度は新居を構えると言って彼は本当に嬉しそうな顔をして話してくれました。

 私は「池内さんよかったな。これでいいんだよ。これで京子さんと二人でピタリと一緒になって宗家祝嶺正献先生の後について行くんだよ」そういう思いでいたのであります。(続く)

(10月9日記)
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浅草散策会(3)

2010年10月08日 | 日記
                      浅草の名店「神谷バー」

『デンキブラン今昔』
神谷バーにデンキブランと名付けられたカクテルが登場して、およそ120年の歳月が流れています。その間デンキブランは浅草の移りかわりを、世の中の移りかわりをじっと見てきました。ある時は店の片隅で、またある時はてのひらの中で・・・

「神谷バー」には予約してある時間より早く森田正文社長の手配で入ることができた。
神谷バーの3階席は宴席となっていて、陽(ひ)の会が貸切であった。
参加者の中には、初めて顔を合わせた人もいたことから自己紹介となった。
自己紹介を終わると今度は、森陽一郎先生がその人を更に詳しく説明をしてくれました。
皆さんいろいろのことをやっております。趣味やボランティア、ビジネス等に携わっている活動的な人達。
自分は、新国劇の「国定忠治の赤城天神の場」を演ずることで自己紹介を兼ねた。
その方が印象に残って覚えて貰えるだろうと試みた。
木村先生と松井さんは詩吟を演じてくれた。
これらも「言」を楽しむ試みであろう。
土曜日の午後のひとときを散策と懇親の場で楽しい思い出のページをまた一つ増やした。

森陽一郎先生から手紙が届きました。
「言を楽しむ。浅草遊歩、神谷バーでの懇談は、人と人との絆の有難さを、実感として知る場となりました。お陰さまで、九月の「森陽一郎の会」に続き、今回、「陽の会」も第一歩を踏み出しました。心から心から、感謝を申し上げる次第です。」
    
 平成二十二年十月三日     森 陽一郎

(10月8日記)
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浅草散策会(2)

2010年10月07日 | 日記
                    島田正吾氏の手形顕彰(浅草公会堂)

二天門から浅草神社境内へ進む。
丁度猿回しの大道芸が行なわれていた。
猿回しの人間と猿との掛け合いが面白く観客を笑わせる。

浅草神社は三社祭の本宮となるところ。
森田正文社長が、三社祭の神輿の参加者であるとのことで詳しい説明を聞くことが出来た。
森田さんが所属する町内会では、三社祭の神輿の参加者が大勢集まるところとのこと。
浅草神社では、丁度結婚式が執り行われていた。笙の音に引率された新郎新婦が清々しかった。
その後、浅草寺境内の銭塚地蔵、淡島堂、薬師堂、影向堂を回り、新奥山を通り六区へ向かう。途中大衆演劇を公演する木馬館と講談などの定席である木馬亭の横を通る。
六区の通りは昭和の中頃までは、劇場や映画を鑑賞する人たちでごった返して、歩くことも困難な時があったが、今ではゆっくりと歩くことが出来る。
浅草演芸ホールから六区通りに入ると電灯のポールのところに浅草ゆかりの芸人たちの写真と説明書きが掲示されている。一箇所予約済みと記されたところが「ビートたけし」の場所であるという。

浅草公会堂前には、俳優、芸人の手形顕彰が並んでいる。
先日亡くなった女優の池内淳子さんのところには追悼の花籠が偲んで置いてあった。
その横に新国劇の島田正吾、辰巳柳太郎の手形が並んで掲示されている。
島田正吾さんの95歳の誕生日パーティの時に一緒に写した写真を持っていたので、そこに手形顕彰のところに置いて写真を撮る。緒形拳さんの手形のところでも一緒に撮った写真をおいて写した。
伝法院通りを東に行くと仲見世を横切ったところから建設中の東京スカイツリーがよく見えた。スカイツリーをバックに記念写真を写す。
二時間半の散策後、懇親会場として予約をしてある神谷バーへと向かった。(続く)

(10月7日記)
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白鳥勝彦家のひととき

2010年10月05日 | 日記
                  白鳥勝彦さんと鯉沼ご夫妻と(白鳥家)

白鳥勝彦さんの趣味は、マジックと社交ダンスであると話しています。
TAMCマジック発表会では、都築幹彦さん出演の「シャルウイダンス」に助演しました。
白鳥勝彦さんが入会した3年前の秋に開催されたマジック発表会のこと。

都築幹彦さんは毎年世界の国をテーマにマジックを披露しています。
その年は、イギリス編で社交ダンスのメッカといわれるブラックプールでダンス競技中に瞬間的に衣装が変わるなど多くのマジックが披露された。

白鳥勝彦さんのダンス相手は、同じサークルで活動中の鯉沼カツ子さんでした。
鯉沼ご夫妻が白鳥勝彦さんの家を訪問しました。
マジック大会の「シャルウイダンス」を撮影したDVDを大きなテレビ画面で鑑賞しようとの試みでありました。
テレビに映し出される映像を観ながら、マジック大会を回顧しました。
鯉沼さんは、大ホールのステージで多くの観客の前でダンスを踊れたことをとても喜んでおりました。

白鳥勝彦さんの趣味であるマジックと社交ダンスのことで話が盛り上がり夜遅くまでの楽しい懇談のひとときでありました。
白鳥さんの奥様・智佐子さんの手料理がまた美味しく旨いものがたくさんテーブルに並んでいました。
白鳥勝彦・智佐子さんご夫妻は、訪問してきたお客様を心からもてなす気持ちが溢れています。

(10月5日記)


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巾着田の曼珠沙華(2)

2010年10月04日 | 日記
                  白い曼珠沙華も咲いている巾着田

高麗駅から里山の細い道が続く。
このシーズン道の両側に農家で採取された新鮮な野菜類を販売している簡易な販売店が出店している。

巾着田に向かう人達の多くは年配の女性達。
高齢世代の女性達は元気印である。
背中にはディバッグを背負っていて、歩くのも慣れているようだ。

巾着田の曼珠沙華群生地には、赤い絨毯の中には白い色の曼珠沙華も咲いている。
ほとんどが紅色の中で少ない白い曼珠沙華はとても目立ち映える。
アマチュアカメラマンの多くが白い曼珠沙華が咲いているところでは立ち止まりカメラのシャッターを切っている。
群生地はゆっくり歩いても1時間ほどで観てまわれる。
今年は猛暑が続いていたので、お彼岸時期よりも遅れて咲き乱れている。

(10月4日記)
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高麗巾着田の曼珠沙華

2010年10月03日 | 日記
                 高麗巾着田の曼珠沙華(日高市)

西武秩父線の高麗駅から徒歩15分で巾着田の曼珠沙華の群生地に行くことができる。
曼珠沙華とは、秋の彼岸時期に花を咲かせる彼岸花のことである。
草原や野原にも咲いている。
紅色の花が多いが、白い花も咲かせている。

巾着田は、高麗川がU字型になって囲まれた場所である。
日高のシンボル的名山である日和田山(305m)から大きく湾曲した高麗川に囲まれた地形が巾着のように見えるところから「巾着田」と呼ばれている。
日本有数の曼珠沙華の群生地であるとともに、豊かな自然や懐かしい田園・里山風景などが残されている。

巾着田には、曼珠沙華の早咲き群生地と遅咲き群生地に分かれている。
早咲き群生地は、巾着田の南に広がる。ニセアカシアなどの林の足下に咲く曼珠沙華の大群落の様子は、真っ赤な絨毯を思い出させる。
遅咲き群生地は、巾着田の東に広がる。清らかな高麗川と曼珠沙華の美しいコントラストが、秋の情緒を感じさせてくれる。

(10月3日記)
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白山通り界隈

2010年10月01日 | 日記
                 白山通り界隈(春日町交差点から)

春日通りと白山通りの交わったところが春日町交差点である。
ここから水道橋方面を見るとなかなか面白い光景が見えてくる。
東京メトロ丸の内線が地上に見えて白山通りの上を通過している。
その手前の右側には柔道のメッカである講道館がある。
その向こう側には、大きな曲線を描いたジェットコースターの線路が見える。
その後には大観覧車が半分見える。
東京ドームシティの遊園地の大落下傘遊具も大きい。
ドームシティホテルも大きく見える。
なかなかの光景である。
地下鉄の電車やジェットコースターが動いていると躍動感が伝わってくる。
なかなか面白い光景である。

(10月1日記)
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