旧宅の玄関先の『蝋梅』の花がもう脹らんでいます.香りは強くありません.でももう蕾がほころんで「咲いているなあ」という感じです.お正月が来るんだなあとの思いを強くします.動植物は本当に自然の巡り、地球の巡り、天の巡りと一体になっていますよね.天体の運行をややもすれば忘れがちなのは、独り人間とその社会だけです.
なるほど人間は文明の曙を太古の時代に通過して、今や文明の爛熟期を迎えたのかもしれません.しかしマクロビオティックならずとも古の昔より教えられてきたように、始めがあれば終りがあるもの、爛熟ともなれば残るものは崩壊しかありません.そこをどう生きるかということが人間の文明の尺度ではないでしょうか.真の文明というのは、人間もその社会も天体の運行の中にあるということを忘れないよう戒めた奥ゆかしい社会が持っているものではないでしょうか.
それを思うと私達は東洋の知恵に回帰するしかありません.東洋の知恵はもう何千年も前に天然自然の人間や地球を含めた天体の運行を、自然(じねん)という言葉に縮小して伝えてきました.「おのづから然り」、つまり「宇宙の秩序に因ってこうなる」という意味です.東洋の文明は宇宙の秩序を根本原理として宇宙の秩序から自分たちを眺めるという姿勢で発達してきました.したがって「先ず己あり」といった西洋の認識学的思考に反して、自己は宇宙全体あればこその存在ですから謙虚に自己を宇宙の変化の法則の中に見たのだと思います.西洋の観念論に対して東洋の自然論といえると思います.
東洋の宇宙は天体を天体としてあらしめ運行させる力を包含しています.したがって見える物と見えない物とがセットになりました.東洋はいつもその運行変化の原則を二面性で表しています.陰陽、女?伏羲(じょかふっき)、注連縄、イザナミイザナギ・・・・・
つまり私達も同じです.私達は体と心という見える物と見えない物とを持っています.生まれてきて死んでいきます.先祖と子孫という形で生きています.朝起きて夜寝ます.取り入れて(食べて、息を吸って、気配、力・・)、出します(大小便、息を吐いて、熱、汗、気合、力・・).私達はいつも二本立てです.
ここ数年久司先生のご本を翻訳させていただいて、桜沢先生やもっと以前の方々が「宇宙の秩序」を英訳するに当てられた「Order」という単語を見て思いました.なるほど秩序というものは順序であって、おのづから然らしむるものであるんだなぁと.マクロビオティックによる食事が治療法ではないのに病気から回復するというのは、順序に則った変化であって自然の秩序の「再生」です.医療やその他のケアは洋の東西を問わず、そういう意味では順序を誘うための逆序であって「穴埋め、修復」です.人間がもし進化の頂点に立つというならば、二つを融合すべきだと思います.和魂洋才は言い慣らされた言葉ですが、まことに適切な言葉だと思います.「便利」を使うのは「謙虚な奥ゆかしさ」でなければなりません.奥ゆかしさは「畏れる心」だと思います.私達を生かしているものに対する「畏れと祈り」だと思います.
なるほど人間は文明の曙を太古の時代に通過して、今や文明の爛熟期を迎えたのかもしれません.しかしマクロビオティックならずとも古の昔より教えられてきたように、始めがあれば終りがあるもの、爛熟ともなれば残るものは崩壊しかありません.そこをどう生きるかということが人間の文明の尺度ではないでしょうか.真の文明というのは、人間もその社会も天体の運行の中にあるということを忘れないよう戒めた奥ゆかしい社会が持っているものではないでしょうか.
それを思うと私達は東洋の知恵に回帰するしかありません.東洋の知恵はもう何千年も前に天然自然の人間や地球を含めた天体の運行を、自然(じねん)という言葉に縮小して伝えてきました.「おのづから然り」、つまり「宇宙の秩序に因ってこうなる」という意味です.東洋の文明は宇宙の秩序を根本原理として宇宙の秩序から自分たちを眺めるという姿勢で発達してきました.したがって「先ず己あり」といった西洋の認識学的思考に反して、自己は宇宙全体あればこその存在ですから謙虚に自己を宇宙の変化の法則の中に見たのだと思います.西洋の観念論に対して東洋の自然論といえると思います.
東洋の宇宙は天体を天体としてあらしめ運行させる力を包含しています.したがって見える物と見えない物とがセットになりました.東洋はいつもその運行変化の原則を二面性で表しています.陰陽、女?伏羲(じょかふっき)、注連縄、イザナミイザナギ・・・・・
つまり私達も同じです.私達は体と心という見える物と見えない物とを持っています.生まれてきて死んでいきます.先祖と子孫という形で生きています.朝起きて夜寝ます.取り入れて(食べて、息を吸って、気配、力・・)、出します(大小便、息を吐いて、熱、汗、気合、力・・).私達はいつも二本立てです.
ここ数年久司先生のご本を翻訳させていただいて、桜沢先生やもっと以前の方々が「宇宙の秩序」を英訳するに当てられた「Order」という単語を見て思いました.なるほど秩序というものは順序であって、おのづから然らしむるものであるんだなぁと.マクロビオティックによる食事が治療法ではないのに病気から回復するというのは、順序に則った変化であって自然の秩序の「再生」です.医療やその他のケアは洋の東西を問わず、そういう意味では順序を誘うための逆序であって「穴埋め、修復」です.人間がもし進化の頂点に立つというならば、二つを融合すべきだと思います.和魂洋才は言い慣らされた言葉ですが、まことに適切な言葉だと思います.「便利」を使うのは「謙虚な奥ゆかしさ」でなければなりません.奥ゆかしさは「畏れる心」だと思います.私達を生かしているものに対する「畏れと祈り」だと思います.