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人の進化(仮説)

2008-03-27 23:16:01 | 出版記事
夫が時々ブログで記事にしていた皆様ご存知?のテレビドラマ、『チャングム』の最終回のお話に次のような会話がありました.

「お魚はどうして目を開いたままなんだろう?どうして?」「じゃあお母さんが目を閉じさせて見せてあげる!」・・・・・???

これを聞いた瞬間、進化についてのインスピレーションの渦が始まり何とか整理がついて、今文章にしています.これはまさに独断と偏見の類ですが、論争の種になって皆様に考えて頂けたらと思います.久司先生の『トーマスによる福音書』の一説ではありませんが、私は此処に種を蒔きたいと思います.

先ずご存知の通り、魚類に瞼はありません.したがって寝ても覚めても目は見開いたままです.動物が瞼を獲得するのは、乾燥から目を守る必要が生じた(?)上陸後のことです.卵が固い殻を持つようになったのも同じ理由です.上陸直後の両生類の卵はまだ乾燥に弱く水の中や泡に包まれていますが、爬虫類になると固い卵を産むようになって生息区域も広がりました.蛙の卵と亀の卵を想像していただけるとよいと思います.

爬虫類を経て哺乳類が発生してきますが、爬虫類から人に至る哺乳類には三種類あると思います.1には卵を産む哺乳類.2には胎盤が発達しない有袋類.3に胎盤を持つ哺乳類.爬虫類の中にも、例えばマムシのように母体内で卵を孵化させるものもいます.ともあれ三種類の哺乳類はそのまま胎盤を獲得する進化の歴史だと思います.鳥類は恐竜の生き残りとも言われ、哺乳類への経路から早くに分岐した進化経路を持っています.

胎盤を詳しく調べてみると大変興味深いものがあります.胎盤には胎児性の部分と母体性の部分がありますが、私の考えですが、母体性の部分は胎児性組織の侵入による母体の対応だと思います.ヤドリギみたいに根を張るのです.そして必要がなくなると、脱落しやすいようにその根を溶かしてしまうのではないかと思うのです.夫に聞いたのですが、母体性の胎盤の大部分は出産時期には薄くなって脱落後には膜となるそうです.子宮の収縮によってはがれるのかとも思うのですが、その発端が何なのか、何を契機に収縮が始まるのか、もしかすると陣痛は胎児側からの脱落開始による母体側の止血反応かもしれません.

有袋類は何故あんなに小さい子を生むのか?そしてオーストラリアの特殊な条件でのみ生き残ったのか?ということを考えると、それが卵性から胎性への過渡で、哺乳類にとって胎盤の獲得が如何に有利な事件であったことがしのばれます.パンダは今でも小さな小さな子を産みます.胎盤完成組への過渡でしょうか.大方の哺乳類は子宮の中で卵を孵化させ成長させて誕生させることになりました.こうした変化は孵化させ得る卵の数の少なさを乗り越えて確実に種を保存する必要性を満たすものでした.魚類や珊瑚の気の遠くなるような卵の数と育児放棄(?)に対して、両生類の一部以降から哺乳類に至るまでの産卵数と育児の実態を考えてください.肉食系の哺乳類では大体2頭から6頭、草食の哺乳類や霊長類では通常1頭からせいぜい2頭です.人間も自然状態では1人かたまに2人です.

出産に関して霊長類を哺乳類から別つものが何かといえば、それは子供の未成熟度です.肉食草食を問わず哺乳類の子供は一年もすればとにもかくにも一人前になります.しかし霊長類の子供は乳児から長い青少年時代をすごします.人間ともなればその未熟ぶりは群を抜いて、法律上は20年、マクロビオティックで言えば女は7年、男は8年の2倍かからなければ身体的に成熟しません.もしかすると精神の成熟は、それぞれその8倍、いわゆる還暦前後にならないと完成しないのかもしれないのです.これは人間を他と別つ大脳の発達によると思います.このために人間は家族を単位とした社会を獲得発展させました.社会というものは、進化上子宮と胎盤の同列にあるものかもしれません.

胎性の出産には、胎児の娩出と共に胎盤の娩出を伴います.胎児にも膜が残っているので呼吸を容易にさせるため母親は子供をなめ胎盤を食べます.草食動物でも雌だけは出産の度に肉食をすることになります.何故食べるようになったかは分かりません.1.にはなめているうちに.2.には危険を避けるための学習によって.3.には出産による体力の回復のため(という説もありますが、私はそうは思っていません.)

しからば人間は?これからが私の仮説です.私の知る限り人間はある時胎盤を食べることをやめました.手を使えなければ舐めてやるしかない我が子ですが、手を持った人間はある時から胎盤を土に返すことにしました.チンパンジーもゴリラも胎盤を食べるそうです.でもイザナギイザナミはアマテラスの胎盤を『恵那山』に埋めました.神々のお話は人間の記憶です.その『ある時』がいつなのか、これを考えると上の答えが見つかるような気がします.多分社会による安全の確保によってだろうと私は思います.そしてこれからが今回のインスピレーションなのですが、鬼子母神伝説とは一体何なのでしょうか?このお話は考えれば考えるほど異様なものです.

鬼子母神ってご存知ですか?私の知る限りでは、我が子を愛して人間の子を食べる鬼女ですよね.お釈迦様がお諌めお諭しになって我が子を奪われる悲しみを知り、それから子供の守り神になりました.それでも人の子の味が忘れられないために、ざくろを食べるのだとか・・・・これは一体何のことでしょうか?血に染まった赤い裂けた口の鬼女・・・・・これも記憶に違いありません.鬼子母神ってまだ胎盤を食べていた頃の記憶ではないかと思うのです.そしてお釈迦様は人間の精神性の象徴に後代の人が考えついたのではないかと思うのです.長いこと女は不浄だとも言われてきました.月のものがあるからとの説もありますが、鬼子母神の記憶からではないかと思います.精進料理を生み出した人間の方向性を思うと、女の如何ともしがたい出産にまつわる生理や行動は不浄かもしれません.何しろ出産に関する私達の記憶は、竜宮城から海岸にやってきて出産したトヨタマ姫の“わに”の姿まで遡るのですから.

これは人間が動物から一線を画した事件ではないかと思います.身体という動物に重ねて、精神の所在である大脳を発達させた人間の最も新しい進化ではなかったかと思います.そしてその過渡期間中、なかなか雌の名残を捨てきれなかった“不浄な”女の記憶が鬼子母神ではなかったかと思うのです.

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