昨日は雪の建国記念日でした。この国民の祝日は、明治になって遠い昔の言い伝えの日を割り出して制定されたものです。昭和20年の敗戦後はアメリカ合衆国の占領政策により、主権を回復した後は日本人のアイデンティティの喪失の後遺症により、何か後ろめたい、進歩的ではないという祝日にされてしまいました。それを戦後60年余ずっと引きずってうやむやの中敗戦の“かせ”を知らない若者達は“進歩的”な教育により育てられ、口を閉ざした老人は人生を終え、国民一色何とはない休日へと性格を変えています。それでも不遜な政府が土日とくっつけて連休に出来ないのは、この祝日が2月11日という、限定的な性格のものだからです。
私は戦後間もない昭和24年に生まれました。戦後教育の環境にありましたが、なにしろこの世で最も敬愛したのは父親でしたから、かなり中和されて政治的な影響を受けることはありませんでした。父は幼年学校から陸軍士官学校を出、敗戦直前の特攻出撃予定時には陸軍大尉でした。私は『大尉の娘』というところです。そういう学校は国防という最も現実的な性格を帯びていましたから、当時の学校の中では最もドライな、理念的ではないつまり絵に描いたぼた餅ではない教育を父達は受けたと思います。父は記紀のおかしな所もおかしな所として教えてくれました。現在の日本の理念は『平和』ですが、教育現場は非現実的です。なぜかというと『平和』が与えられるべきものであって、みんなが守るものとして教えられないからです。守るためにはどうするのかという思考を抜きに理念として植えつけられるからです。
父は子供達にこの世の矛盾というものを教えたと思います。それを埋め合わせるものが、思い合いと譲り合う心だと教えたと思います。今でもよく思い出すのはちょっとした言葉づかいです。父は言いました。『朝鮮の人といいなさい。社会から朝鮮人という言葉に残る見下しのニュアンスが消えるまで。』私達にとって『日本人』と同列に並ぶべき言葉『朝鮮人』、私達が『日の本』と誇る『日本』、朝鮮の人は『朝日の鮮やかな』国『朝鮮』なんでしょうね。でも言葉というものには歴史という感情が含まれます。五族協和と言いながら、日本人は日本の優越を信じたかったんでしょうね。でも人間の出自を問題にしてはいけないと教えられました。どこの国にも立派な人とそうでない人がいる。立派な人はそうでない人が悪い心を起こさないようにその社会を作る。悪い人が少ない国が立派な人が多い国、つまり立派な国だと。
その遠い昔の2月11日、大和の国を建てられた(とされる)神武天皇は、国の理想を五族協和、つまりみんなの平和を『八紘一宇』という理念に込められました。『一つの家のようにしたい』と宣言されたのです。これを否定するのはやはり言葉を客観的に見ていない証拠だと思います。確かに国を建てるには武力をもってしたと思います。しかしそれは現代の世界情勢を見ても、一歩も進んではいません。現代社会でも武力で平和を守る以外、決定的な方法を見出せずにいるのです。日本書紀の編纂は時代を下って7、8世紀のことですから、当時の大和朝廷の理念かもしれません。それでもこれは建国理念として人類の最高傑作だと思います。イタリアの人々は自分達の建国を紀元前8世紀のロムルス・レムルスのローマに置いて、自分たちがトロイのエレンの子孫だと信じています。それでいいのだと思います。
父は子ども達とこの日には、紀元節の歌を合唱しました。『雲にそびゆる高千穂の・・・・・・・』そうして私たち兄弟は高千穂に降りて来られた神話を聞いたのです。こういう民族の物語は誇りの心を生みだすと思います。誇りは人生を律する大切で最も有効な規範だと思います。そして誇りを驕りに変えないのが教育だと思います。非常事態を過ぎると自然に湧きあがってくる驕りに対する戒めが『身の程を知る』という日本人の持ってきたつつましさでした。そのブレーキが利かなくなると破滅の危機ですが、大切に子孫を育て上げることが歴史の継承で、本来それ以外に人生の目的は無いのだと思います。怖れをもって人生を全うしたいと思います。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るだろうか!!!
私は戦後間もない昭和24年に生まれました。戦後教育の環境にありましたが、なにしろこの世で最も敬愛したのは父親でしたから、かなり中和されて政治的な影響を受けることはありませんでした。父は幼年学校から陸軍士官学校を出、敗戦直前の特攻出撃予定時には陸軍大尉でした。私は『大尉の娘』というところです。そういう学校は国防という最も現実的な性格を帯びていましたから、当時の学校の中では最もドライな、理念的ではないつまり絵に描いたぼた餅ではない教育を父達は受けたと思います。父は記紀のおかしな所もおかしな所として教えてくれました。現在の日本の理念は『平和』ですが、教育現場は非現実的です。なぜかというと『平和』が与えられるべきものであって、みんなが守るものとして教えられないからです。守るためにはどうするのかという思考を抜きに理念として植えつけられるからです。
父は子供達にこの世の矛盾というものを教えたと思います。それを埋め合わせるものが、思い合いと譲り合う心だと教えたと思います。今でもよく思い出すのはちょっとした言葉づかいです。父は言いました。『朝鮮の人といいなさい。社会から朝鮮人という言葉に残る見下しのニュアンスが消えるまで。』私達にとって『日本人』と同列に並ぶべき言葉『朝鮮人』、私達が『日の本』と誇る『日本』、朝鮮の人は『朝日の鮮やかな』国『朝鮮』なんでしょうね。でも言葉というものには歴史という感情が含まれます。五族協和と言いながら、日本人は日本の優越を信じたかったんでしょうね。でも人間の出自を問題にしてはいけないと教えられました。どこの国にも立派な人とそうでない人がいる。立派な人はそうでない人が悪い心を起こさないようにその社会を作る。悪い人が少ない国が立派な人が多い国、つまり立派な国だと。
その遠い昔の2月11日、大和の国を建てられた(とされる)神武天皇は、国の理想を五族協和、つまりみんなの平和を『八紘一宇』という理念に込められました。『一つの家のようにしたい』と宣言されたのです。これを否定するのはやはり言葉を客観的に見ていない証拠だと思います。確かに国を建てるには武力をもってしたと思います。しかしそれは現代の世界情勢を見ても、一歩も進んではいません。現代社会でも武力で平和を守る以外、決定的な方法を見出せずにいるのです。日本書紀の編纂は時代を下って7、8世紀のことですから、当時の大和朝廷の理念かもしれません。それでもこれは建国理念として人類の最高傑作だと思います。イタリアの人々は自分達の建国を紀元前8世紀のロムルス・レムルスのローマに置いて、自分たちがトロイのエレンの子孫だと信じています。それでいいのだと思います。
父は子ども達とこの日には、紀元節の歌を合唱しました。『雲にそびゆる高千穂の・・・・・・・』そうして私たち兄弟は高千穂に降りて来られた神話を聞いたのです。こういう民族の物語は誇りの心を生みだすと思います。誇りは人生を律する大切で最も有効な規範だと思います。そして誇りを驕りに変えないのが教育だと思います。非常事態を過ぎると自然に湧きあがってくる驕りに対する戒めが『身の程を知る』という日本人の持ってきたつつましさでした。そのブレーキが利かなくなると破滅の危機ですが、大切に子孫を育て上げることが歴史の継承で、本来それ以外に人生の目的は無いのだと思います。怖れをもって人生を全うしたいと思います。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るだろうか!!!