言語に関する考察・雑
先日の“スランプ”悲鳴より完全に立ち直ったとは言えないのですが、道筋が見えて光明がさしてきました。これはスランプの中間報告です。私は川崎先生のように言語の変遷をたどる知識がありません。仰ることはわからないではありませんが、それを全部正しいとしても、言語の変遷に歴史の変遷すべてを託すことが出来ません。それでも川崎先生のお考えは根本において正しいと思います。そのお考えを踏まえた現段階として私の結論を言うと、アジア地域はオリエントから極東にいたるまで、『五族の混在混血が進んだ!』という事です。そして言葉も混血し、神々も混血(?)したということです。それはつまるところ記憶と歴史が混血したということです。その上でその地域地域の条件を付与し加味して、混在する異民族(?)間の共通概念を形成していったはずです。
人類の“出アフリカ”の出口はエジプトとして間違いないだろうと思います。そして最初の人類社会の中心地はメソポタミアのシュメール、ウル・ウルク・・・・川崎先生はこの人々の部族としてのシンボルマークを牛だとおっしゃっています。確かにこの牛からシンボルマーク・トーテムは発展したに違いありません。このトーテムのマークが角を持った牛の抽象形である逆三角形なのです!!そしてそのウルクのトーテムマークを、遥か極東の地で私達日本人は『うろこ』(ウルク→ウロコ)と呼んでいるのです!!!魔除け模様だと言い伝えてきたのです!!!
最初の本で“ウル”が牛だと単純に教えていただいた時にはスッキリしていたのですが、どうもそうではないらしい・・・・次々に読む先生の本で混乱して頭の中はスランプ状態に陥りました。“ウル”はシュメール語で『動物』のことらしい・・・ウルの人々にとって大切な動物と言えば牛だったらしい・・・・それが派生した部族では犬になって“ウル”は犬の原語になったらしい・・・そしてそれが“イル・イリ・イン”と変化したらしい・・・・日本語の犬の起源もここにあるらしい・・・“最大の犬”という言葉が獅子や狼の原語らしい・・・
川崎先生の字面を追うのをやめて棚上げにし、マクロビオティック・インスピレーションによって考えることにしました。イチロー選手や石川選手が、イメージと動きの間にあるちぐはぐ感覚を体で確かめる期間を過ごしているに違いないと勝手に思い決めて、私もそうすることにしました。そしてこのところ一里塚のような道標を見つけることが出来ました。スポーツ界の二人が大選手であればある程、私のように簡単ではないと思いますが、早く道標に辿り着けるよう祈っています。
メソポタミアでウル(動物)がトーテムとしてのウル(牛)とイル(犬)に分かれたのだと思います。農耕族と狩猟族と・・・・菜食族と肉食族と・・・・そしてイル系の人々が遠征をした・・・・農耕は遠征には不向きです。今回のスランプの発端ギルガメッシュはウルの王でありながらイルだったんだろうと思います。子供のころ読んだギリシア神話で疑問に思ったことがあります。『どうしてゼウスが牛になって美女をさらわなければならないのか?』という素朴な疑問です。どうしてペガサスのようにもっと格好の良いものでないのだろうかと、長年疑問でした。ヨーロッパに住みついた犬族の人々の心の奥底にも牛が残っているんだろうと思います。それでスペインでは闘牛があるのではと思います。牛を食べることにした人々の深層心理に牛と闘うことの意味があるのではと思ってしまいます。
トーテムとは何でしょうか。川崎先生の本を読んで行くうちにあらためて思ったのですが、人間の力の及ばない自然現象に対する人間の態度には二通りあると思います。『感謝』と『畏怖』・・・・日月は変わらずそこにあり、その恵みを左右する風雨・・・・慰め願い祈らねばならないものは恐れるべき風神雷神(洪水・干ばつ・暴風雨をつかさどる神)だったのだろうと思います。その暴力性の象徴がシュメールの人々には大きな角を持った荒れ狂う牡牛だったのでしょうか。牛はメソポタミア原産だそうです。野生の牡牛の猛々しさは風神雷神そのものだったのだろうと思います。トーテムは基本的に風神雷神の性格の象徴、それを持って人間の前に現れるものだろうと思います。
それが風の使い『鳥』、風雨・雷雨の使い『蛇』、暴力の象徴角を持つ『牛』・牙を持つ『犬』、旋風のように現れる『馬』に集約されたのだと思います。そして民族の最初の混血は海を行く海洋族としての代表『蛇』と陸を行く狩猟民族の代表『犬』によってなされたのだと思います。ある時は追われる形で、ある時は追い込んで・・・・・決して平和的になされたのではないと思います。その証拠に古代から近代にいたるまで、私達のエネルギーは人力でした。社会は多かれ少なかれ奴隷制に依っていたのです。
奴隷という言葉に対する解答で最も鮮明だったのは、父が言った『奴隷や差別を受けている人々は昔の支配階級、およびその一族だ』というものです。私は差別に大して殆ど知識を持っていませんでした。大学入試で上京した時年子の弟から『姉さんは“山窩”を知らないの?』と呆れられたことを思い出します。それ以後も大して進歩はありませんでしたが、山窩が伝えてきたらしい『カタカムナ』によって私は『言葉』というものの持つ意味を知りました。そしてその言語の歴史から人類の歴史を探ろうとしています。そして自分の生きている『日本の歴史』の真実を知ろうとしています。
私達の日本だけが特殊であることは絶対にありません。ただ私達の日本の地理的状況はかなり特殊です。人類の吹き溜まり・極東の果て私達の日本では、もう海に飛び込むしかない人々の間で、日本人の意識を作り上げようとしたはずです。その始まりがいつなのか?????平城京に異国の臭いを感じる・・・・・のは、その辺も混血が現実に進行している問題だったのかもしれません。近江の大津京を歌った人麻呂の“ささなみの滋賀のみやこ・・・・・”に、いつも天智天皇と天武天皇の激しい断裂を思ってしまいます。桓武天皇の平安京にだって、まだ内心に???を禁じえません。・・・・・ですが遣唐使の廃止には強い一体感の志向を感じます。
もうすぐ私は日本の古代史に自分なりの解答を見つけるだろうと思います。そしてやっと楢崎先生・宇野先生の言語に関する課題『日本語は人類最初の原語である??』というテーマに取り組めると思います。田植えに当たって種籾の準備、苗代、田んぼの代掻きなど様々な仕事があるように、一つづつ進めて死ぬ間際には全部知りたいと願っています。死ぬ間際は刈り取りですが、刈り取りには次の種籾の保存が付帯しています。それで私は死ぬ間際では間に合わない種籾の選別のために、」その時その時の解答をこうやって発表することにしました。種籾は次世代のためですよね。こうして残しておけばお会いしたこともない何方かのお役にたてるかもしれません。ブログの記事が種籾にはなれないにしても、田植えをするエネルギー奴隷の一人くらいにはなりますようにと願っています。
結局世代を継ぐってそういうことなのですよね。今回の大震災の記憶も受け継がれて次世代の人々の種籾にならねばなりませんよね。歴史ってそういうものですよね。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!!
先日の“スランプ”悲鳴より完全に立ち直ったとは言えないのですが、道筋が見えて光明がさしてきました。これはスランプの中間報告です。私は川崎先生のように言語の変遷をたどる知識がありません。仰ることはわからないではありませんが、それを全部正しいとしても、言語の変遷に歴史の変遷すべてを託すことが出来ません。それでも川崎先生のお考えは根本において正しいと思います。そのお考えを踏まえた現段階として私の結論を言うと、アジア地域はオリエントから極東にいたるまで、『五族の混在混血が進んだ!』という事です。そして言葉も混血し、神々も混血(?)したということです。それはつまるところ記憶と歴史が混血したということです。その上でその地域地域の条件を付与し加味して、混在する異民族(?)間の共通概念を形成していったはずです。
人類の“出アフリカ”の出口はエジプトとして間違いないだろうと思います。そして最初の人類社会の中心地はメソポタミアのシュメール、ウル・ウルク・・・・川崎先生はこの人々の部族としてのシンボルマークを牛だとおっしゃっています。確かにこの牛からシンボルマーク・トーテムは発展したに違いありません。このトーテムのマークが角を持った牛の抽象形である逆三角形なのです!!そしてそのウルクのトーテムマークを、遥か極東の地で私達日本人は『うろこ』(ウルク→ウロコ)と呼んでいるのです!!!魔除け模様だと言い伝えてきたのです!!!
最初の本で“ウル”が牛だと単純に教えていただいた時にはスッキリしていたのですが、どうもそうではないらしい・・・・次々に読む先生の本で混乱して頭の中はスランプ状態に陥りました。“ウル”はシュメール語で『動物』のことらしい・・・ウルの人々にとって大切な動物と言えば牛だったらしい・・・・それが派生した部族では犬になって“ウル”は犬の原語になったらしい・・・そしてそれが“イル・イリ・イン”と変化したらしい・・・・日本語の犬の起源もここにあるらしい・・・“最大の犬”という言葉が獅子や狼の原語らしい・・・
川崎先生の字面を追うのをやめて棚上げにし、マクロビオティック・インスピレーションによって考えることにしました。イチロー選手や石川選手が、イメージと動きの間にあるちぐはぐ感覚を体で確かめる期間を過ごしているに違いないと勝手に思い決めて、私もそうすることにしました。そしてこのところ一里塚のような道標を見つけることが出来ました。スポーツ界の二人が大選手であればある程、私のように簡単ではないと思いますが、早く道標に辿り着けるよう祈っています。
メソポタミアでウル(動物)がトーテムとしてのウル(牛)とイル(犬)に分かれたのだと思います。農耕族と狩猟族と・・・・菜食族と肉食族と・・・・そしてイル系の人々が遠征をした・・・・農耕は遠征には不向きです。今回のスランプの発端ギルガメッシュはウルの王でありながらイルだったんだろうと思います。子供のころ読んだギリシア神話で疑問に思ったことがあります。『どうしてゼウスが牛になって美女をさらわなければならないのか?』という素朴な疑問です。どうしてペガサスのようにもっと格好の良いものでないのだろうかと、長年疑問でした。ヨーロッパに住みついた犬族の人々の心の奥底にも牛が残っているんだろうと思います。それでスペインでは闘牛があるのではと思います。牛を食べることにした人々の深層心理に牛と闘うことの意味があるのではと思ってしまいます。
トーテムとは何でしょうか。川崎先生の本を読んで行くうちにあらためて思ったのですが、人間の力の及ばない自然現象に対する人間の態度には二通りあると思います。『感謝』と『畏怖』・・・・日月は変わらずそこにあり、その恵みを左右する風雨・・・・慰め願い祈らねばならないものは恐れるべき風神雷神(洪水・干ばつ・暴風雨をつかさどる神)だったのだろうと思います。その暴力性の象徴がシュメールの人々には大きな角を持った荒れ狂う牡牛だったのでしょうか。牛はメソポタミア原産だそうです。野生の牡牛の猛々しさは風神雷神そのものだったのだろうと思います。トーテムは基本的に風神雷神の性格の象徴、それを持って人間の前に現れるものだろうと思います。
それが風の使い『鳥』、風雨・雷雨の使い『蛇』、暴力の象徴角を持つ『牛』・牙を持つ『犬』、旋風のように現れる『馬』に集約されたのだと思います。そして民族の最初の混血は海を行く海洋族としての代表『蛇』と陸を行く狩猟民族の代表『犬』によってなされたのだと思います。ある時は追われる形で、ある時は追い込んで・・・・・決して平和的になされたのではないと思います。その証拠に古代から近代にいたるまで、私達のエネルギーは人力でした。社会は多かれ少なかれ奴隷制に依っていたのです。
奴隷という言葉に対する解答で最も鮮明だったのは、父が言った『奴隷や差別を受けている人々は昔の支配階級、およびその一族だ』というものです。私は差別に大して殆ど知識を持っていませんでした。大学入試で上京した時年子の弟から『姉さんは“山窩”を知らないの?』と呆れられたことを思い出します。それ以後も大して進歩はありませんでしたが、山窩が伝えてきたらしい『カタカムナ』によって私は『言葉』というものの持つ意味を知りました。そしてその言語の歴史から人類の歴史を探ろうとしています。そして自分の生きている『日本の歴史』の真実を知ろうとしています。
私達の日本だけが特殊であることは絶対にありません。ただ私達の日本の地理的状況はかなり特殊です。人類の吹き溜まり・極東の果て私達の日本では、もう海に飛び込むしかない人々の間で、日本人の意識を作り上げようとしたはずです。その始まりがいつなのか?????平城京に異国の臭いを感じる・・・・・のは、その辺も混血が現実に進行している問題だったのかもしれません。近江の大津京を歌った人麻呂の“ささなみの滋賀のみやこ・・・・・”に、いつも天智天皇と天武天皇の激しい断裂を思ってしまいます。桓武天皇の平安京にだって、まだ内心に???を禁じえません。・・・・・ですが遣唐使の廃止には強い一体感の志向を感じます。
もうすぐ私は日本の古代史に自分なりの解答を見つけるだろうと思います。そしてやっと楢崎先生・宇野先生の言語に関する課題『日本語は人類最初の原語である??』というテーマに取り組めると思います。田植えに当たって種籾の準備、苗代、田んぼの代掻きなど様々な仕事があるように、一つづつ進めて死ぬ間際には全部知りたいと願っています。死ぬ間際は刈り取りですが、刈り取りには次の種籾の保存が付帯しています。それで私は死ぬ間際では間に合わない種籾の選別のために、」その時その時の解答をこうやって発表することにしました。種籾は次世代のためですよね。こうして残しておけばお会いしたこともない何方かのお役にたてるかもしれません。ブログの記事が種籾にはなれないにしても、田植えをするエネルギー奴隷の一人くらいにはなりますようにと願っています。
結局世代を継ぐってそういうことなのですよね。今回の大震災の記憶も受け継がれて次世代の人々の種籾にならねばなりませんよね。歴史ってそういうものですよね。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!!