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長崎大水害の記憶

2020-07-04 09:34:33 | Weblog

揚子江流域の大水害のニュースは、日本の情報機関(マスコミ)では何一つ報道されていませんが、ネットで多くの人々の知るところとなっています。災害のスケールも日本とは桁違いで、一ヶ月も降り続いているのだそうです。そのすさまじい悲惨さと、日本人とは違った人々の逞しさとを見せつけられています。そして、今日はとうとう熊本県球磨川流域での水害のニュースを痛ましい思いで見ています。

このところ気になっていたのですが、ニュースなどで示される天気図には大陸の雲の様子も気圧の様子も、何一つ示されません。唐突に東シナ海で前線が始まっています。揚子江全域につながっているのだろうな・・・・・と漠然と想像はしていましたが、アジアの天気図は示されていません。そういえば、あの長崎大水害の時も20日ばかり雨が続いて、大陸から伸びた『湿舌』とかなんとか解説がなされたことを思い出しました。

 

あの長崎大水害の夏、私たち家族は春に長崎から佐世保に移転しました。長崎の住居があった城山町でもご近所の方が被害に遭われました。小さな子供達と家に閉じ込められた佐世保での期間、子供の手の触れた柱にはカビが生えました。多分あの時も・・・・・揚子江流域でも水害が起こったんだろうな・・・・・と思います。揚子江も黄河も氾濫の歴史で彩られています。三皇五帝の事績も治水の歴史です。

 

山がちな日本では、川はほとんどが急流で、海に流れ込んでしまうけれど、そんな川でも氾濫が起こるのは盆地か平野部・・・・・人々の暮らしの場です。人口が増えるにつれて、最も危険な場所へ人家が立ち並んでいくのは自然の流れなのだろうと思います。そんな自然の道理に逆らっている人間の無理の積み重ねは自然の転覆で清算されてしまうのかもしれませんが、知恵を絞って危険を避けるのが為政者の務めでした。『信玄堤』は我らが日本の近世の治水のシンボルですよね。ですけれど、揚子江流域の人々は見捨てられたとしか考えられません。ささやかな子供を囲んだ幸せも顧みられることもなく、あろうことか、武漢のウィルスもみんな濁流にのみこまれてしまうんですね。これが東シナ海に流出するのだとか・・・・・豊かな漁場は汚染されてしまいます。日本列島がアジア大陸の東の果てにあることをしみじみと感じています。私達日本の気象条件もアジア大陸のタクラマカン・ゴビ砂漠やヒマラヤ・崑崙山脈とつながっていることをヒシヒシと感じています。

私達は助け合って、何よりも身を慎んで、自然の一部・蟻と同じで何一つ変わらないのだということを肝に銘じて生きていくしかありません。そのうえで、人間として日本人としての今を生きていくことが、それぞれの昨日を明日につなぐことなのだろうと思います。


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