あちらこちらで梅がちらほら咲き始めている。
先日、ある方と喋っていてこんな質問をされた。
紅梅と白梅の違いは? と聞かれ、さらに花の色が違うことは誰が見ても歴然としているが、それ以外に? と突っ込まれ、答えに窮した。開花すれば花の色で判断できるが、開花前はどのように判断するか知っているか? と。
えぇぇ、それは幹や枝の表面や太さでしょ! とええ加減に返答したが、 “ブブ~” という返事が返ってきた。
禅問答しているかのようなやり取りに相手は諦めたのか、「紅梅と白梅の違いは木の断面で分かる」と。開花前でも枝を切ればどちらなのか判別できるということらしいが、 “えぇぇぇ~、木を切るんかぃ!” と突っ込みたかったけど、それは大人対応で喉まで出ていたが呑み込んだ。
紅梅の断面は紅色で、白梅は白色というのが、この写真でもわかる。しかし、切ってしまうと、木が乾燥し色が抜けていき徐々に褐色になっていくという。これは知らなかった。頭をいくら振ってもこの答えは出てこない。驚きである。
花だけではなく木の中も美しい、命あるものの神秘を感じる。教えていただいた方への感謝も忘れずに! ちなみに、紅梅と白梅の実の味も違うようだが、一般的に梅干しや梅酒になど食用に使うのは白梅の実である。
紅梅と白梅の木の断面
文/ 渡邉雄二(2022年の筆者ブログ記事を加筆し転載)
写真/ 渡邉雄二・ネット画像より転載(木の断面)
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昨日、打ち出の小槌で知られている
打出天神社(芦屋市打出小槌町)に寄った。
ここの梅が好きで、
この時季になると咲き具合を楽しみに寄せていただく。
同天神社には鳥居の左右に紅・白の梅が対に、
本殿の両サイドにも同じように植えられている。
その本殿横の白梅も咲き始めているが、
老木で幹が朽ちている。
愛でる者にはそれも味わいとして眺め楽しませてもらっているが、
残念ながら来月早々に植え替えることが決まっているようだ。
古木梅 なごり惜しげに 舞いおさめ
3月に植え替えが決まっている古木梅
文・写真/ 渡邉雄二
#打出天神社 #打ち出の小槌の発祥地 #芦屋市打出小槌町
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古くから息づいているモノやコトには必ずと言っていいほど伝説が付いている。その伝説は、モノやコトが創造されたときに、いまでいう取扱説明書のような役割のものだったのかもしれない。
わかりやすい喩えで言うなら、100年以上も続く老舗には、その店にしかないこだわりの言い伝えがあり、それが代々伝わり店の心柱になっている。
それと同じようなことだが、少々推測できそうもない歴史でものを言うなら、すごい話が尾ヒレとなってついている。そのひとつを紹介する。
先日、仏画曼荼羅アートの各教室で課題として提示していた「不動明王」にも計り知れない伝説というか、その伝説を創った存在理由のようなのがある。
全ての不動明王にあるとは限らないが、ほとんどの不動明王の頭上には「蓮華座」がのっている。いわゆる “蓮の花” である。通常よく見かける仏像は蓮華座の上に立っているか座っているのが一般的あるが、不動明王は足元に蓮の花があるのではなく、頭上にある。
その上に何か物が置けそうである。実は、この蓮の上に仏教に目覚めた人や人の魂をのせるようになっている。その人の代わりに不動明王は、地獄の地面を歩いてくれる仏さまという伝説をもつ仏像として役割を果たす。
古代インドでは、蓮は命の創造、豊穣、幸運、繁栄等の象徴とされ、インドの文献には蓮の花の上に立ち、蓮華の飾りをつけて誕生したとされる神様の事が記されている。蓮華台を根本的なシンボルとしている仏教では、仏教が誕生した際に、蓮華はお釈迦様の誕生とともに花が開いたといわれている。蓮華は泥等のある池でもしっかりと根を張り、きれいな花を咲かせるということが仏教の教示に近似することからも大切にされている。
蓮は泥の中で成長し、やがて水面から茎をだして美しい花を咲かせる。花の下は泥の中だから、頭上に蓮を頂く不動明王の姿は「泥の中は煩悩にまみれた現世で、わが身は泥の中にありながら衆生を美しい悟りの世界に導く、という強い誓願を示している」という意味のようだ。よごれた泥のような現世で苦悩する衆生のそばに現れ助けてくださる、そんな智慧と慈悲の仏さまだ、と。
ものの見事な伝説である。だれが創造し生み出したかはわからないが、悠久の歴史に伝え継がれてきた形ある存在のものとそれにまつわる伝説である。それを想像しながら描く不動明王は深く心にしみいり美しいと思えてくる。
頭上に人の魂をのせる蓮華座がある
文責/ 渡邉雄二
写真/ ネットフリー画像
参考文献/ ウィキペディア「不動明王」・その他不動明王と蓮華について
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なんでもそうであるが、やらなければ上達しない。やればやるほど技術の向上は見えてくる。 “継続は力なり” の言葉が沁みて感じることがある。
仏画曼荼羅アート教室では、昨年スタートしたばかりの教室からすでに7年目を迎える教室もある。通う生徒さんにとって、続けている中でいろんな葛藤が生じるだろうが、続けたいという気持ちが勝っているから今も楽しんでいる。人によって多少の違いはあるだろうが、新しい発見を喜び、そして仏画を描くことで審美眼を養っているようにも感じられる。
今回の作品は、佛日寺と神戸北区文化センター教室の生徒さんの作品を紹介。少しずつだがステップアップしているのが窺える。
作品/ 仏画曼荼羅アート佛日寺教室・神戸北区文化センター教室
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