「月」を題した序文が書かれたパネルがスポットライトに照らされていた。「夜がまだ暗闇だったころ 地上を照らすのは空に浮かぶ月でした ・・・・」という出だしで綴られていた。
そこから藤田コレクションがはじまる。最初の作品が国宝「柴門新月図(さいもんしんげつず)」だった。絵と複数の漢詩の両方が書かれ、絵と詩が密接に関わりあっている「詩画軸(しがじく)」という一服の掛軸。これが国宝作品というのは門外漢の私には理解不能である。多くの人が一つのテーマに、それぞれの詩を寄せているものとして貴重で珍しい日本の文化財産ということから国宝に指定されているという。
むかしは、よく禅宗系寺院などで禅僧たちが修行の一環として「詩会」を催し、同一テーマで詩や絵を描いていたといわれている。この柴門新月図は、中国の杜甫の詩「南鄰」に因んで送別をテーマに漢詩が18首詠まれ寄せ書き風に書き綴られたものである。
藤田美術館の解説では、序文に「柴門新月の図に題して、南鄰(なんりん)の故友に寄せる詩の序」と書かれているという。
この18首は、応永12年(1405年)に18人の南禅寺の禅僧が詠んだ詩であると記されてある。3首以外すべての自筆で署名し落款印が押されている。この作品の最後の句が「白沙翠竹 江村の暮 相送れば柴門に月色あらたなり」(訳 白い砂 緑の竹 江ぞいの夕暮れ 互いに見送れば 柴で作られている粗末な門に月があらわれた)。この詩が「送別」の代表首として結びに使われている。
これらの詩を読んで一人の画僧が絵を描いたのか、絵を参考にしながら18首を詠んだのかは分からないが典型的な詩画軸だろう。
ひとつ不思議ことに、この作品名が「柴門新月」とあるが、新月というのは月の満ち欠けの中で初めの月のことをいうので見えない月のはず。しかしながら絵からして満月をイメージしている。最後に「月色新たなり」という最後の一節から想像すると送別の詩としてやはり満月というとになる。満月を意味しながら新月と表現したのだろうと想像する。
リポート&写真 / 渡邉雄二 参考資料 / 藤田美術館解説文
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