ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

「考える人」は単に迫力の造形美。観る努力を強いる 【京博Ⅱ】

2020-08-05 14:09:19 | 文化想造塾「逸品殿堂」

数年前、「琳派 京を彩る」特別展覧会を京都国立博物館に観に行って際に、いつも敷地内にある明治古都館などいくつかの気になる建造物などに立ち寄る。その一つが「考える人」のロダン作の銅像。いつ観ても"なにを考えているのだろう" と想像を巡らす。
先日は、いつもよりちょっと異なる視点で観た。右肘が左脚膝に置かれ、左手が同じく左脚の上に置かれている。ちょっと複雑なポーズである。その理由がおもしろかった。博物館のHPの解説に下記のように書かれていたので紹介する。
「"考える人"は考えるというポーズをとっているだけで、本当にロダンの表現したかったことは、傾けた上体を支える右手と足の上にのせた左手という複雑な体の構成、もりあがった筋肉や異常に大きな手足などの力強さ、美しさ・・・」という。

そうなると作品は、「考える人」の考えるポーズは、単に筋肉の美しさを表現したものになる。背景となる意味よりも、純粋に形のもつ迫力だけを追い求めた彫刻ということになる。深い次元での芸術としての背景は何処に。

それは、鑑賞者の独自の視点で、それぞれの感じるアングルを見つけて想像してください、という、つまり観る側に努力を強いる彫刻だということのようである。

彫刻だけに限らず、芸術作品はそれが本位なのであるから、鑑賞者の想像力を試しているかのよう。

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眼が円相の中心にある「八方にらみ龍」 「龍たずねて―」シリーズⅤ ―妙心寺―

2020-03-21 10:48:44 | 文化想造塾「逸品殿堂」

妙心寺は、1342年に創建された、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山。日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占め、塔頭は40数か院に及ぶ大寺院である。前回紹介した大徳寺と同様に勅使門から法堂まで南北に一直線に並ぶ建築様式で、禅寺特有の修行を重んじる厳しい禅風の雰囲気が伝わってくる。

他の禅寺大本山同様に天井に龍が描かれている。この龍は、大徳寺の雲龍図を描いた狩野探幽の55歳のときの龍である。大徳寺の龍を描いたのが35歳、20年後の円熟した探幽が8年の歳月をかけ描き上げたとされている。板を鏡のように平滑に張ってある天井に、直径12mの円相の中心に龍の眼を描いている。立つ位置、見る角度によって、龍の表情や動きが変化するように見えるから不思議である。通称「八方にらみの龍」といわれている。

各寺院の雲龍図は絵師によって、また各寺院の歴史や謂れによっても異なるようだ。ご本尊を守護する龍神には変わりないが、妙心寺の龍は眼が中心にあるので広い視野が見通せるようだ。それぞれの龍を楽しんでみてください。

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文化の宝庫、大徳寺の「鳴き龍」もその一つ。 「龍をたずねて―」シリーズⅣ -大徳寺―

2020-03-20 15:53:20 | 文化想造塾「逸品殿堂」

大徳寺は歴史文化の宝庫と言われている。1325年に創建され、釈迦如来を本尊とし700年近くが経つが、応仁の乱ですべてが焼失し荒廃したが、一休宗純禅師(一休さん)の尽力で復興したといわれている。

安土桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を、ここ大徳寺で営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立。戦国時代の波に大きくかかわったお寺である。貴族、大名、承認、文化人等の幅広い保護をうけ栄えていった。とくに大徳寺は茶の湯の世界にも縁が深く、千利休や小堀遠州をはじめとする多くの茶人が同寺とかかわっていた。

 

大徳寺本坊は、中国禅宗の建築様式が特徴である。南から勅使門、三門、仏殿、法堂が一直線に並んでいる。それらの奥に庫裡と方丈がある。(ちなみに南禅寺は西から一直線)
方丈建築は通常、南側に3室、北側に3室の計6室から構成されるのが一般的であるが、大徳寺は南側に4室、北側に4室の計8室という珍しい造りになっている。

 

その大徳寺には二つの天井画がある。一つは釈迦如来像が鎮座されている仏殿の天井に。しかし、その天井画はほぼ剥がれ落ちて見えない状態である。関係者に聞くと、「飛天」が描かれていたという。そう聞いて改めて見ると、そうかなと思える。天から釈迦如来を守り続けているというなら、飛天と納得する。いつの日か仏殿に美しい飛天図が天井を彩るなら、本尊もさぞかし喜ばれることだろう。

 

さて、本題の龍はというと法堂の天井に描かれている。妙心寺同様に狩野探幽が35歳の時に描いた雲龍図だといわれている。天井がゆるいドーム状なっているので、地面の敷瓦の上で手を叩くと、天井の龍も共鳴しズウゥ~ンという音が堂内に響く。そのため「鳴き龍」と呼ばれている。

寺院を訪れると、日常にないいろんなものが見えてくる。寺院を通して、日本の歴史、そしてその時代の文化や人。さらにその証を観ることができる。

 

「龍をたずねてー」は続く。次回は妙心寺。

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建仁寺の阿吽の龍の迫力に圧倒される 「龍をたずねて―Ⅱ」-建仁寺-

2020-03-19 17:39:20 | 文化想造塾「逸品殿堂」

私が、京都の寺院の中で、訪ねた回数が一番多いのが建仁寺のように思う。それは、なんと言っても「龍」の絵に魅せられたことが大きい。5年前に完成した法堂の天井画の「双龍図」はもちろんだが、方丈の襖に描かれた「雲龍図」は、観る者を威圧する迫力がある。

襖八面に対峙する阿吽二形の双龍図は、江戸時代初期に活躍した絵師 海北友松(かいほうゆうしょう)の渾身の作品として生き続けている。(本物は京都国立博物館に所蔵され、建仁寺の方丈の襖絵は高精密複製画ではあるが、本物を体感できるほどのもの/綴プロジェクトより)。黒雲の中から姿を現した阿吽の龍が向き合い、視線をぶつけあう姿には計り知れないエネルギーを感じる。

そして法堂の天井画の龍は、2002年に建仁寺創建800年を記念し、日本画家の小泉淳作画伯によって2年掛かりで描かれた大作である。この天井画も双龍図で、釈迦如来像を守るために天井から睨みをきかせ、また法を説く修行の場で天空から見守り、そして法の雨を降らし修行僧に力を授けるための神仏として天井で舞っているという。

いずれの双龍画図を観に訪れた人は、目に見えないエネルギーを享受しているような気がする。だからまた訪ねてみたくなるのかもしれない。

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柏木圭子さんの、一日限定のニットコレクション

2020-03-09 16:14:29 | 文化想造塾「逸品殿堂」
今日、柏木圭子さんの、一日限定のニット展覧会を観に行ってきた。
柏木さんは、半世紀にわたりハンドニット一筋に歩んで来られた。
ひと針ひと針編み棒を交錯させ色柄を創作する作業ははかり知れない。
 国内はもちろんだが、海外からも絶賛される柏木さんのオリジナルハンドニット。
ニューヨークを始めパリ、ミラノ、ロンドンでも個展を開催。
フランスVOGUE誌にも紹介されたほどの技術と紋様に各国のニットファンからも称賛されている。
 
 柏木圭子さんのホームページ
 http://keikokashiwagi.chu.jp/
 作品の一部を紹介します。
 
 
 
 
 
 
 
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