ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

名匠逸品は永遠不滅の技から。

2017-01-21 21:38:53 | 匠の技
名匠といわれる人、老舗といわれる店が今の時代とくに苦戦している。それも苦戦を強いられて久しい。

その一つがオーダーメイドの紳士服である。紳士服は江戸時代の終わりごろヨーロッパから神戸に入り、日本全国に広まっていった言われている。当時は機械がまだない時代なのですべて手縫いで作られていた。その手縫い技術は、いまも脈々と受け継がれている。

いまの時代、30万円出してスーツを買う人がいるのだろうか。と首を傾げたくなるが、この人が作る服でないとダメ。この仕立てでないとダメ。という心粋をもつ人たちが、まだまだたくさんいるという。でも、当然昔のバブル時のときに比べれば雲泥の差であろう。

紳士服をフルで手縫いすると、一針を5万回くらい通すことになるらしい。それくらい複雑でパーツが多いことになる。オーダーメイドは、いまさら記述することもないだろうが、生地選びから始まる。そして採寸。この採寸が出来上がりの良し悪しを決めるポイントだといわれている。

体型は、一人ひとりのすべて違う。丈、肩幅、腕の長さ、胸周り、胸の厚み、胴周り、腰周り、脚の長さに太さなどをしっかりと採寸する。そして左右の肩の位置が違う、腕の長さが違う、姿勢が違う、歩き方が違う。さらにそれに加えてお客様の好みが入ってくる。

これらの条件を入れて採寸、裁断、縫製をしていく。この技術をマスターするのは最低10年はかかると言われるほど難しい。仕上げる前に仮縫いという工程がある。この仮縫いは、お客さんに実際に着用してしてもらい、体にフィットしているか、どうかを確認する作業である。

この仮縫いのときに、肩の位置がずれてないか、胸に弛みが出てないか、腕にしわが寄ってないか、ボタン位置と丈のバランスがいいか、背中に生地がなじんでいるか、というほんと細部にわたってチェックする。そこでミリ単位で生地を摘んだり、長く短くしていく。

その仮縫いで補正した服をもう一度試着する。出来上がりまで少なくとも一ヶ月はかかる。

こんな手間隙かけて作る逸品が求められる時代ではないが、この服を着てくれる一人のお客さんを思い浮かべながら通す一針一針は実に重い。これも名匠逸品である。この精神は、いつの世にも生きる財産である。








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おろし金造りの達人。

2016-12-30 22:02:53 | 匠の技
[逸品伝道]シリーズ part2

二回目は、合田商店。同商店が製造しているものは「銅手打ちおろし金」と「銅玉子焼き器」の2つ。
合田商店は大阪・住之江区にある。住宅地の一角で自宅の一階が工場(鍛冶屋)になっている。ここで合田裕一さん(85歳)と息子さんの八郎さん(58歳)ふたりが仕事をしている。
訪ねたとき丁度、八郎さんがガスコンロの上で玉子焼き器の中に"錫(すず)引き"をしていた。錫引きというのは、100%に近い純錫を焼き器の中に入れて溶かし全面に錫を広げていく。すべて手作業である。この作業は熟練しないとできない。その難しさは初めて観る私にもわかる。引いたあとは、気泡のようなものができないように丁寧に丁寧に成らしていく。
錫引きしていた玉子焼き器は正方形である。玉子焼き器といえば長方形だと思っていたが、正方形は関東用として出荷される。関東と関西の玉子焼きの作り方が異なるので形も違う、という。
八郎さんの隣で、お父さんの裕一さんは、おろし金に錫引きした部分を研磨していた。おろし金の目立てをする前の作業である。研磨がすむと、その錫引きしたところに目立てをする位置決めの線を引いていく。そして目立て作業行う。
台に置いたおろし金の板に、目立て用の釘のような小さな彫刻刃の頭を金槌で小刻みに叩いていく。叩いた反動で彫刻刃を持つ手が自然に移動する。そしてまた叩く。この繰り返しで目立てができおろし金の刃になる。均等割りで間隔が詰まった刃が浮き上がっている。まさしく職人芸である。
おろし金は周知のとおり両面に刃が浮き上がり、荒目と細目がある。関西は表になる方が細目、裏が荒目。一方関東は、関西の逆になっている。こんな道具にまで違いがあるようだ。はっきりしたことはわからないが食文化の違いなんでしょう、と八郎さんはいう。
さらに驚かされたのがある。あるところから修理を頼まれている、という。それもよくあることらしい。機械の修理(?)と聞いてしまった。いえいえ、おろし金の修理ですよ、と。えぇー、考えられない。驚きである。
見ると持つところにすべて刻印が押してある。何十年も使われている風格がある。前回の鍋もそうだったが、たかがおろし金、されど・・・だった。





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たかが鍋、されど鍋。匠の技。

2016-12-29 17:16:08 | 匠の技
この記事は、2011年に、【逸品殿堂】シリーズの第一弾として大阪市平野区にある甲野製作所の取材したものです。

古くから和菓子に使われる"餡子(あんこ)"を炊くのに欠かせない道具として銅版の鍋が使われている。いまも家内工業的な和菓子屋さんの奥に入ると大きな銅鍋がある。餡子炊くには銅鍋というのが定説になっている。銅鍋が使われる一番の理由は、あずき色がでるから。それとあずきのふっくら感が他の鍋とは違う、ということである。和菓子屋さんにとっては銅鍋はなくてはならないものである。

それと天ぷら屋さん、和食割烹などのプロの料理人の道具必須アイテムとして君臨してきた。最近でこそ見なくなったが卵焼きには銅鍋に限る、と言われてきた。さらに炊く料理は、水分をほどよく飛ばしながら食材に味をしみこませるのを得意としている。そのレパートリーは肉じゃがや魚の煮付け、煮豆といった和風のものから、ホトフ、カレー、シチューなどがある。そしてフレンチのソースづくりにも最適とされている。

銅鍋を、昔ながらの手打ちで造り続けているのが大阪市平野区の甲野製作所である。手打ちとは、機械に頼らずに長年培われた技術と勘で仕上げていること。ここ甲野製作所は、現在3代目の甲野通弘さんと、跡継ぎで4代目になる息子さんの浩正さんのふたり。バブル時までは職人さんが何人かいたのだが、いまは親子二人でがんばっている。
3代目の通弘は現在77歳。銅鍋づくり50年のベテランである。作業は、とにかく叩く。銅版を金床に置いて金槌で叩いて叩いて、また叩く。なんで叩くのか、というと、銅の分子が詰まり硬く頑丈になっていくから、という。銅鍋は、叩いた跡の槌目が特徴である。ここ甲野製作所のものにはどの部分にも槌目が入っている。だから頑丈なのである。出来上がりのものを手に持ったとき、手にズシリとくる。その存在感は鍋の王様の風格を感じさせる。
造る過程は、まず鍋の胴部分の製作、底板の接合、磨き、槌目入れ、柄の接合、スズの塗装といった行程に分かれている。そして銅を火にあぶり軟らかくして焼きいれをする。鍋を造るのには、一枚モノの銅版を押し込んで造るものだと思っていたが、胴回りと底板を接合している。接合部が見えないのは、ここでも叩いているわけである。

手造り。手間をかけて造る。鍋の出来が料理を左右することまで頭に入れて造っている。
生産性は低いが、職人の魂が入っている。時代遅れかも知れないが、本物である。たかが鍋、されど鍋。すばらしい逸品に出会った。



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